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第二章 見たくない夢


(2)


「……」

もうろうとした頭をゆっくり持ち上げて、上体を起こす。

さっきと違って、今度は少し深く眠っていたらしい。
でも、眠れたのは熱が下がって楽になったからじゃない。
熱があることに慣れたからだ。

食欲はないけど、水分補給はしないと……。
さっきちょっとしか飲めなかった缶紅茶を冷蔵庫から出して
口に含んだ。

「……」

おいしくない……っていうか、紅茶の味がしない。
味覚が変になっている。

それでも、水分摂らなきゃっていう義務感だけで、どうにか
こうにか飲み干す。

「うぷ」

まだ吐き気が収まっていない。
口の中に残った紅茶の糖分が、微妙に不快感を呼び醒まし、
吐き気を誘発する。

慌てて、水道水を含んで口をすすごうとした。
そうしたら……。

「うぷ」

今度は、塩素の匂いと味が口にこびりついて。
むかむかむかむか。

「ううー」

まあ、いい。
とりあえず水分は摂ったから、また横になろう。

酒も飲んでいないのに、千鳥足でベッドに向かって歩いて行
き、その上に倒れこんだ。

ばすん。

ひどい……な。
こんなひどい風邪。一度も経験がない。

全ての不調が押し寄せ、全ての感覚が奪われていく。
それは……まるで刑罰のようだ。

僕は、こんな風に厳しく罰せられるような何かをしでかした
んだろうか?
いやいや。そこまでネガに考えなくてもいいんだろう。
僕は風邪のウイルスに愛されただけだ。

それは……一方的な愛情。
僕から元気と体力をむしり取るだけの……偏った愛情。

「ふ……」

目がぽっかり開いているのに、僕はまたうつうつと夢を見始
めた。

白昼夢。
そして、見たくない夢。

うつうつと。



tz05



ウイルス……か。

僕の両親にとって、僕はウイルスみたいなものだったかもし
れない。

それはただ『僕』という我を徒らに増やし、そこら中にはび
こらせ、制御出来なくした。

親が僕を放置したのは、そのウイルスから身を守るため。
でも、ウイルスは取り付く体から離れたら生きていけない。

ウイルスだけ取り出されても、増えるどころか、生き残るこ
とすら出来ない。
今の僕は、取り付く相手を奪われて死にゆくウイルスみたい
だ。

僕がずっと抱えたまま自分から切り離せない崖っぷち感も、
そこから来てるんだろうと思う。

僕は……養ってくれていた『家』という臓器から切り離され
ると長くは生きられない。そういう存在なんじゃないか。
確信に近い疑念が、僕の自発性や感情をいつもむしり取って
いく。

中途半端に除光液で拭き取られたマニキュアみたいに、無に
することも作り直すことも出来ないまま、ふらふらと世の中
を漂ってる。

「……」

熱でぼやけていた視野が少し開けて。
僕の見ていた夢は現実と合致し始めた。

一葉館の木の天井。
その木目が描くパターンは、ついさっきまで現実をぐるぐる
かき回して濁らせていた。
その混沌が頭の奥底に沈殿して。

今度は、押し寄せる波と化した。

二十数年変わらなかった、石像のような僕。
それはこれからもずっとそのままだと思っていたのに。
いきなり大波に足元が洗われ、そこが削り取られ、ひっくり
返って海に投げ込まれた。

もし僕が本当に石像なら、溺れてそれきりになっていただろ
う。でも、僕は波間にぷかぷか浮かんでる。
完全に家に引きこもってたわけじゃない僕は、まだかちこち
に凝り固まってたわけじゃなくて。その分いくらかはましだっ
たんだろう。石像じゃなくて、木の像だったんだ。

でも。僕が石であっても木であっても、これまでみたいに同
じところにずっと立ってはいられないのは同じだ。

波間に浮かんでいる僕は、これから波の向かう通りに漂って
いけばいいのだろうか? それとも……?

「ふうっ……」

分かっていることが一つだけある。

僕はまだ、自分の腕で波をかき分けてはいない。
それが自立能力が足らないことによるのか、単なる怠け癖な
のかは僕には分からないし、それを突き詰めても意味がない
だろうと思う。

自力で水を掻いて進むには、目的地が要る。
そこに行けば水から上がれるっていう陸地が要る。
そして、僕にはまだそれが見通せない。

だから……すぐに泳ぐ気力を失う。

泳げないんじゃない。泳ぐ気がないんだ。
そして、ぷかぷか浮いているだけじゃ、僕はどこにも行き着
けない。最後には結局沈んでしまう。
僕が石でも木でも人間でも同じこと。

ずっと見つめていた天井の木目が歪んで、ぼやけた。

ああ……また熱が上がってきたみたいだ。





Love Rain Down by Gary B