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最終章 目に青葉


(3)


トシが、慎重に話を続けた。

「藤野さんは、僕の腕を買ってくれたんじゃない。そんなの、
僕には何もない。藤野さんが僕を採ってくれたのは理由は、
僕が空っぽだからさ」

「空っぽ?」

「そう。僕には色が着いてないから、そこにはいろんなもの
が入るだろう。いろんなことをこなせるようになるだろう。
そういう可能性を見てくれたんだと思う」

「ふうん……」

「そしたら、その空欄がちゃんと埋まるまでは、放り出した
くない」

トシの言葉は、どんどん苦くなって行った。

「さっきママさんが重石って言ったでしょ?」

「うん」

「僕は、こうやっていつも自分に重石を乗っけておかないと、
すぐにぐだぐだに戻ろうとしちゃうんだよ」

ふうっと吐息を一つ残して……トシは口を閉ざした。

空っぽの自分を満たすもの……か。
トシの言葉は、ショックだった。

トシが好きという気持ちだけで、わたしの全部を満たすこと
は出来ない。それだけじゃ、生きていけない。
空っぽのわたしの心を満たそうとするなら、その最初のパー
ツはトシじゃなくて、まずわたしじゃないとダメだったんだ。

トシは、それを最初から宣言してた。
まず空っぽの自分を作ってからじゃないと、わたしとのこと
を考えられないって。

それは……わたしも同じ。

トシはわたしじゃない。
わたしの欠けてるところを、トシが残らず埋めてくれるわけ
じゃないんだ。
わたしも、トシの欠片全部を埋めることは出来ない。

まず自分をきちんと満たして、それでも満たし切れない部分
をトシに埋めてもらう。
うん……順番が逆だったなー。

親や養親にずっと振り回されてきたわたしは、見かけよりも
ずっと自我が弱いんだろう。
それは、ちゃんと自覚しないとだめだ。

さっきのママさんの投げかけも、もしわたしがしっかりして
いたら即座にオーケーを出せた。
でも、ゆかりさんに逆らえなくなるイメージがどこかにちら
ついて、わたしのゴーサインを止めちゃったんだ……。

俯いていたトシが、ひょいと顔を上げた。

「でもね。僕を最初に評価してくれたのは、藤野さんなの。
僕はその縁は逃したくない。雇用してくれた恩があるからっ
てことじゃない。藤野さんは、こんなかすかすの僕ですら利
用しようとする。すっごい貪欲なんだよね」

!!

「僕が、真っ先に藤野さんからもらえたものがあったとすれ
ば、そういう姿勢なの」

トシは、にこっと笑った。

「横手さんや小野さんは、ぐだぐだな僕を心配して強引に僕
に関わってくれたけど……いつまでもそんなのをあてにして
ちゃダメなんだ」

「……うん」

「自分から……取りに行かないとさ」

そうか。
トシがママの店の庭の手入れを手伝ってくれたのは、そうい
う背景があったのか。

今までトシに徹底的に欠けてた積極性。それだけは、他の人
にはどうにもならない。

自分からがんがん取りに行かないと、何ももらえないよ。
もっともっと貪欲になりなさい!
トシは、それを藤野さんの姿勢から学び取ったんだろう。

わたしは。
トシの今の話で、決心がついた。

「ねえ、ママ。ゆかりさん」

「うん?」

「わたしね、ママの提案、承けます」

「いいの?」

「わたしがしっかりすればいいことだもん。ママやゆかりさ
んがゼロからやるって決心してるなら、わたしもそうすれば
いいこと」

「そうね」

ママが、ほっとしたように笑みを取り戻した。

「ゆかりさんがママ思いの優しい人だってことは、よーく分
かってます。わたしの面倒もしっかり見てくれたし。だから、
わたしがきちんと戦力になるまでは諦めません」

「うん。嬉しいな」

ゆかりさんが、いつもの元気を取り戻した。

「わたしは、たみちゃんを支配したり、一方的に指図するこ
となんか考えないよ。そんな心の余裕ないもん」

うん。

「だけど、わたしに言いたいことがあったらはっきり言って。
そうしないと、わたしは鈍で分かんないから」

ふう……仕切り直しって、こういうことだね。

「はいっ!」

わたしたちのやり取りを見ていたトシは、すっごい嬉しそう
だった。

「それとね」

ゆかりさんは、思いがけないオプションを切り出した。

「改装に当たって、もう一人スタッフを増やす。ママの分は
人数にカウントしない。三人でやりたい」

う……わ。

「大丈夫……ですか?」

「大丈夫になるよう、がんばる」

ゆかりさんが、プランを書いてあった紙をぱらっと広げてわ
たしに見せた。

「さっきママが言ったみたいに、わたしは、この店のコンセ
プトを変える」

ごくり。

「どんな風に……ですか?」

「今までは年配のお客さんにターゲットを絞ってやってきた
の。ママが開店した当時から付き合いのあるお客さんを大事
にする形で」

「はい」

「それを残したまま、対象年齢を広げたい。お得意さんのお
子さんが来てくれる店にしたいの」

あああっ!!

「そうしないと、じり貧よ。年を取ったら、どうしても美容
院に来る頻度が下がっちゃうから」

「そうですよね……」

「わたしは、これまで通りミドルからシニア中心に鋏を取る
けど、若い人はたみちゃんと新しい子で見て欲しいの。宣伝
も、そういう多角路線で行く」

うん。ママの元カレと違って、ゆかりさんはよーく先を見据
えてる。そして、その『先』を担うのは、わたしたちだ。
責任重大だけど、うんとやる気が出る!

「よーし! 踏ん張りますぅ!」

「よろしくね。新しい子は、もう目星を付けてるから」

「え? 誰……ですか?」

「ゆうかちゃん」

わあ!

「来年美容学校を卒業したら、うちに来たいって本人から申
し出があったの。でも、今のままならたみちゃんまでで精一
杯よ。返事はちょっと待ってねって、引っ張ってたの」

ゆかりさんが、紙の上をとんとんと叩いた。

「でも、さっきのママの話じゃないけど、博打はどうしても
要る。ママ抜きの三人で回せるように、わたしが覚悟しない
とならないの」

そうか。わたしだけじゃない。ゆかりさんにもすっごく重い
決断が迫られていたんだ……。

「新しい店の切り盛りが軌道に乗るまでは、スタッフのこと
でごたごたしたくないの。たみちゃんだけじゃない。わたし
も……うんと我慢しないとならない」

「だから、わたしに遠慮しないで、黙ってないで、きちんと
言って欲しい」

「はい!」

「ゆうかちゃんは、しばらくサブスタッフの扱いにする。そ
の代わり、束縛はしない」

……。

「いい子だと思うけど、まだわたしたちには中身がよく分か
んないからね。そこは慎重にやりたい」

そういうことか。

「もし、ゆうかちゃんに大きな問題がなくて仕事に慣れてき
たら、正式にスタッフに迎える。そこからは、たみちゃんと
同じね」

「よーく分かりました。楽しみだなー」

「ふふ。そうね。そうやって、前向きに考えましょ」

「はい!」




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J'ai Vu Le Loup, Le Renard Et La Belette by Malicorne