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最終章 目に青葉


(2)


「自分の店を出すっていうのは、間違いなく博打。その方法
がスマートであってもなくてもね」

「……」

「わたしの場合、きっかけは元ダンナの暴走だったけど、そ
のタイミングでなくても、いずれ自分の店を持つかどうかの
決断はしないとならなかった」

「はい」

「それは、これからゆかりがここを引き継ぐ時も同じなの」

「あ……」

「今、ここはわたしの店。竹内真理江の店なの。でも、わた
しが鋏を持てるのは、もし腰が治ってもせいぜいあと数年ね」

「えー? ママの腕ならもっと出来そうな……」

「体調のことだけじゃなくてね。センスとか時代性とかが微
妙に狂ってくるからね。美容師は、六十、七十になってまで
やる商売じゃないわ」

そうなのか……。

「わたしがリタイアするまでの間に、ここをゆかりの店に切
り替えないとならない。そして、ゆかりのトシを考えたら、
それは早ければ早いほどいいの。改装を考えてるのはそのた
めね」

「はい。分かります」

「内装や外装を手直しするのは、単なるオカネだけの問題。
大したことじゃない。でもね、わたしとゆかりとでは店のコ
ンセプトが違う。ゆかりの舵取りになるなら、主導権は完全
にゆかりが握らないとダメ」

「どうしてですか?」

「わたしが、この店の切り盛り優先で柚木さん入れちゃった
失敗を、二度と繰り返させたくないから」

「あ……そうか」

「この店のオーナーはわたしよ。でも、わたしは結局ずーっ
と柚木さんを立てないとならなかった。自分の店なのにチー
フが他の人って、ありえる?」

わたしは首を横に振らざるを得ない。

「でしょ? そういうねじれは絶対にこれから持ち込みたく
ないの。この店のスタッフは全てゆかりが決める。ちゃんと
ゆかりがコントロール出来るようにする」

うん。それは当然だと思う。

「でもね」

「はい」

「それは、リスクも連れてきちゃうの」

「え? リスク……ですか?」

「そう。この店が、たみちゃんのいたローリーみたいに超有
名店だって言うなら別よ? 小さな店だと優秀なスタッフを
時間をかけて選りすぐる余裕はないの。だから、スタッフが
ころころ変わらないように、出来るだけ固定したい」

「分かります。でも、それがどうしてリスクなんですか?」

「ゆかりの性格よ」

「……」

「お人好しのわたしと違って、ゆかりはすごく気が強い。は
んぱなくキツいの。今回のことみたいに感情がどかあんと出
ちゃうと、お客さんだけでなくてスタッフもしんどい」

そ……か。

「たみちゃんは、ゆかりの気性を分かってくれてる。それで
も、結局泣くはめになっちゃったでしょ?」

う……。

ママが今まで見たことがない、恐い顔をした。

「長い間人間関係が固定すると、感情がぶつかった時に収拾
が付かなくなる。腕が上がったたみちゃんがゆかりと衝突し
て、わたしもう辞めますってこの店を出てってごらん?」

ママは、わたしではなく、ゆかりさんの顔を真っ直ぐに見つ
めて強い警告を出した。

「あんた、すぐに干上がるよ?」

「……うん」

ゆかりさんが、渋々認めた。

「いい、ゆかり? スタッフはあんたの奴隷じゃないよ。あ
んたが柚木さんみたいになったら、この店は保たない。もう
わたしはあてにならないんだから」

「はあい……」

きっちりゆかりさんにねじ込んだママが、今度はわたしの方
を向いた。

「でね」

「はい」

「ゆかりの暴走を防ぐために、わたしは重石を乗せときたい
の」

「重石……ですか?」

「そう。俺様のゆかりが全権を握ると、どこにぶっ飛んでく
か分からない。怖くてたまんない」

「……」

「だから、たみちゃんに共同経営者に入ってもらいたいの」

ずるっ! 思わず椅子からずり落ちちゃった。

「ええええっ!?」

「あはは。名前だけよ」

な、なあんだ。

「でもね、名前だけって言っても、経営権を持ってるのがゆ
かりだけじゃないという事実は重要。ゆかりが何か決めても、
たみちゃんがノーと言ったらそれまでよ。それがブレーキ」

うーん……。

「たみちゃんや他のスタッフが、ゆかりのやり方に強い不満
を感じた時に、辞めるという以外のオプションをどうしても
確保しておきたい。そう出来るようにするためには、ゆかり
と対等である立場がどうしても必要なの」

「うわ……そっか」

「でしょ? でもね、それはたみちゃんをここに縛ることに
なる。それがリスクなの。だからわたしたちは、一緒にやろ
うよってたみちゃんを誘うことは出来るけど、無理は言えな
い」

「たみちゃんがここに来た時とは状況が変わってる。だから、
改装を機に一度関係をゼロに戻す。たみちゃんは、自分の身
の振り方をじっくり考えて欲しいの」

……。

わたしがママの店に来たばかりの時なら、わたしは即座にオー
ケーを出しただろう。でも、今のママの問い掛けは正直重かっ
た。
一、二年の話じゃない。自分の一生をここに捧げることにな
る。それで……いいの? 本当に?

わたしは……かっちんと固まってしまった。

しんと静まり返ってしまったリビング。
わたしたちの会話を静かに聞いていたトシが、ふっと笑った。

「似てますね」

「え? トシ、何が似てるの?」

「うん? 藤野さんのところでお世話になってる僕と、さ」

「??」

「僕は、何にも出来ないよ。ほんとに役立たず。だから、藤
野さんのところで働いている間に僕がやることは、全部僕の
財産になるの」

「そうか……」

「だから、もらえるものがなくならない限り、ずっとお世話
になるつもり」

「トシは……それでいいの?」

「てか、僕が藤野さんから切られたら、履歴書に何も残らな
い」

「あ!!」

「それは……困る。本当に困る」

トシがぐっと両拳を握り締めた。

「運悪く藤野さんの社が倒産しちゃったら。それは僕のせい
じゃないよ。でも、解雇は別。それは僕の責任になる」

「……うん」

「それじゃ、僕に何も残んない」




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