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第四章 青嵐


(4)


トシは所長さんの狼狽を見逃さず、身を乗り出すようにして
畳み掛けた。

「一番の理解者であるべき母親からも疎まれてたんですよ?
そして、ほとんど放置されていた。保育園や幼稚園にも行か
せてもらえず、一人きりで」

「ええ」

「その状態で、誰と仲良くなれます?」

「……」

「家族がどうのこうの。それ以前です。僕が人の中にいるの
を拒否したのと同じ兆候が、かっちゃんにもくっきりと見え
る。それは……僕が歩いてきた不毛な道です」

「……」

「さっきたみが、自分と同じ思いをして欲しくないって言っ
た。僕もそうなんです」

トシがきっぱりと言い切った。

「僕のような出来損ないに育ってしまうのは、二重三重に不
幸です。僕にはまだ両親がいたけど、かっちゃんにはいない
んですから」

所長さんは、俯いてしまった。

病院から聞いていた情報が、ここに来てから何一つ当てはま
らない。誰ともうまくコミュニケート出来ない。
どうして? 話が違うじゃない! そういう焦りや苛立ちみ
たいのが……所長さんにあったのかもしれないね。

わたしは、それは責められない。
不遇な子供たちの支えになってくれているだけでも、すごく
ありがたいこと。感謝することはあっても、非難するつもり
はない。

トシは、静かな声で許可を求めた。

「所長さん。かっちゃんとの面会を認めていただけますか?
もし、かっちゃんが他の人との積極的な接触を拒否していて、
その例外が僕とたみなら。その接点はどうしても確保してお
きたいんです」

所長さんは、それで踏ん切りがついたんだろう。
渋々ではあったけど首を縦に振った。

「そうね。あなたの言うのはもっともだわ。あとは、柳さん
にお任せします」

そうか。柳さんに下駄を預けたのか。責任回避だけど……仕
方ないね。

所長さんは、頼りないわたしたちがかっちゃんの拒否反応を
助長しちゃうのを恐れたんだろう。
でも、わたしたちも今のかっちゃんが分からない。
まず、話をしてみないとね。

柳さんが、のそっと立ち上がった。

「じゃあ、小寺さん。ミーティングルームをちょっとお借り
しますね」

「はい。鍵はもう開いてます」

「ありがとうございます。じゃあ、弓長さん、たみちゃん、
向こうで延長戦をやろう」

「はい。所長さん、お邪魔しました」

「よろしくお願いします」

わたしとトシが揃って会釈をしたら。
そろっと立ち上がった所長さんが、まだ不満げな表情を残し
た顔を隠すように伏せた。



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「うーん……」

「どうした? たみちゃん?」

「いや、さっきの所長さんの反応がどうも……」

「ああ、小寺さんは、穏やかそうな見かけとは違って結構我
が強くてね。独自の精神論で何でも押し切ろうとするところ
があるんだ。その気性をよく知ってるスタッフが、現場で角
を丸めてるって感じかな」

そっか。トクさんも、全幅の信頼を置いてるってわけじゃな
いんだ……。

「そもそもここは孤児院のようなところじゃない。一時託児
所に近い」

「えっ!?」

知らなかった……。
トシもびっくりしてる。

「例えば母子家庭で、まだ子供が小さいのにお母さんが体調
を崩して入院してしまったとか、再婚相手の義父に暴力を振
るわれて一時避難してるとか、そういう子供たち向けの短期
預かり施設なんだよ」

「そっかー……」

「だから、子供たちに愛情を持って接するっていうより、規
律を求めるところがあってね。かっちゃんには、それが実家
での雰囲気と同じみたいに感じられるんだろう」

「あ! それで……」

「そう。馴染めない」

ふうっと吐息を漏らしたトクさんが、忌々しげに開いたノー
トを何度か叩いた。

「かっちゃんの母親、大沢歩美(あゆみ)。彼女の扱いがま
だ定まってなくてね。児童福祉施設へ入所させる手はずがな
かなか整わないんだ」

「あのあとどうなったんですか?」

「傷害の現行犯逮捕だから、精神がまともなら、かっちゃん
への加害と併せて間違いなく有罪だよ。数年の懲役。実刑だ
ろう」

「ええ」

「でも、そこが微妙でな……」

「……」

トクさんが、ノートに書かれた文面を目で追いながら説明し
てくれる。

「簡易判定では精神障害の結果が出ない。それだと精神の病
いではなく、単なる性格の偏りということになる」

「はい」

「だとすれば正邪の判断は正常に出来るとみなされる。裁判
では減刑の材料にならない。実刑は免れないんだ。彼女の将
来を考えるなら、それは避けたい」

わたしは……どうしてもそこが納得出来ない。
なぜあんな鬼みたいな女をかばう必要があるの?

わたしのむくれた顔が目に入ったんだろう。
トクさんが苦笑とともにわたしをなだめた。

「たみちゃん。気持ちは分かるよ。でも、かっちゃんの母親
は一人しかいない。それがどんな母親であってもね」

「く……」

「それなら、かっちゃんが親からの自立を自力で出来るよう
になるまでうんと距離を置くしかない。母親も、威圧で子供
をコントロール出来なくなれば、親子の関係を見直さざるを
得ないだろ?」

「……はい」

「たみちゃんの時みたいなネグレクトよりは、執着の方がま
だずっとましなんだよ」

そう言ったトクさんが、窓の外に目を移した。

ざうっ! ざうっ!

強い風で街路樹が激しく揺すぶられ、ちぎれた若葉が風に舞っ
てどこかに吹き飛ばされていく。

かっちゃんは、その若葉じゃない。
どんなに風が強くても、きっとそれを堪えてくれると思う。
でも……このままじゃ……。

トクさんが、さらっと話を続けた。

「もう少し彼女の経過観察を続けてもらって、最善策を探る
さ。それまでは、かっちゃんをここから動かせないんだ」





Le Temps De Vivre by Georges Moustaki