えとわも、800話の区切りが近くなってきました。
700番台最後は、ぱっけーじというサブテーマでいくつかお話をお届けして行こうと思います。
わたしたちは、誰もが『自我』、すなわちそれぞれの思想、信条、感情、思考回路を持ち、それを他者に主張します。自我は各個人に固有(ユニーク)のものであり、他のなにものでも代替出来ません。そしてわたしたちは、それが容器(パッケージ)には依存しないとものだと考えがちなんです。
だって、思考や感情なんか形がないじゃん。それをぴったり収納出来る容器なんてどこにもないよ。そう言ってね。
違いますよ。自我は、容器に充填されないと意味がないんです。充填される中身が見えるか、見えないかは関係ありません。あなたを形作る思考、感情、才能は、それが『あなた』という容器に入っていると認識されない限り、誰にも見えないんですよ。
意識していても、意識しなくても。容器の存在は、いろんな悲喜劇をもたらします。
例えばね。
『ノーベル賞確実な理論を思いついたが、それを伝える手段がない』
それを、生命維持装置に繋がれている瀕死の科学者がベッドで呟けば、悲劇です。でも、わんこのポチがそう吠えれば喜劇なんですよ。
そんな風に。パッケージに左右されるちょっとしたお話を、いくつか重ねてみたいと思います。
水飲みて春陽編むなり玻璃器
Biggest Part Of Me by Ambrosia