《ショートショート 0787》


『旗』 (りすたあと 12)


地に一面に打ち敷かれた旗。

色褪せ、ほつれ、千切れ、破れ。
それでもなお、旗であることからは逃れられない。



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(カシワの枯葉)



「よう、源(げん)」

「ああ、承(しょう)か」

「もう発つのか?」

「ああ、暗くなる前に丁章(ていしょう)に入りたいからな」

「そうか」

楊源(ようげん)は、軍お抱えの旗商人であった。
西域の織物商人との交易に非凡な才があり、厚織りの生地を
仕入れて重厚な刺繍を加え、見事な大軍旗を仕立てて王や将
に一手に納めていた。

その軍旗が象徴的なものに留まれば、売り上げがどんどん増
えることはなくとも安定した商売を続けていけただろう。

だが乱世にあって軍旗は消耗品であり、軍があるいは勝ち、
あるいは負けるたびに大量の旗が新調され、楊源に巨万の富
をもたらした。
だが楊源自身は旗の発注が荒っぽいことに強い不安を抱いて
おり、その憂いは間もなく現実のものとなった。

戦続きの国土が荒れて生産力が衰え、収入が乏しくなった国
からの支払いが滞ってきたのだ。
それなのに、旗の発注だけは増え続けた。

西方商人との取引は全て現物決済で、金銀が用意出来なけれ
ば生地を売ってもらえない。
王や将にそれをいくら訴えたところで、戦の勝敗にしか興味
のない彼らにその理屈を理解してもらえるはずもなかった。
身銭を切らざるを得なくなった楊源の身代は、瞬く間に傾い
ていった。

追い打ちをかけるように、悲劇が楊源を襲った。
彼が跡を継がせるべく商売の修行をさせていた二人の息子が、
軍に雑兵として徴用され、あっけなく戦死したのだ。

財産も息子も失った楊源は、激しく気落ちして旗商人を廃業
した。

それからほどなくだった。
国の存亡をかけた大きな決戦が、平原を埋め尽くした百万の
軍勢同士の間で繰り広げられ、入り乱れた旗は次々に倒れて、
軍靴と馬蹄の下で踏みにじられた。

激しい戦であったが、結末はあっけなかった。
長引く消耗戦に嫌気した双方の雑兵が、旗だけを残して陣か
ら大挙して逃げ出し、陣形が整わず戦を続けることが出来な
くなった両軍の将は、仮初めの和議を結んで撤退した。
その兵は両軍合わせてわずか数万に過ぎなかったという。

勝者なき無益な戦。
両軍の敗残兵が無事に帰国出来たかどうかは定かでないが、
平原に放置された骸と旗に目を向ける者など誰もいなかった。

結局、楊源が旗を納めていた国は王の威信が地に墜ちて国家
の体(てい)を失い、土豪が割拠する無政府状態に陥った。
楊源は治安の悪化した国を捨て、かつての取引先を頼って、
西域に移住することを決めた。

軍の検収役の一人だった小役人の李承(りしょう)は、楊源
と親交があり、楊源一人きりでの旅立ちを見送りに来たのだ。

驢馬の背に荷物を振り分け、鞍に小さな旗を指した楊源はそ
の手綱を持つと、ゆっくりと西に向かって歩き出した。

「道中、気を付けてな」

「ああ。じゃが、盗賊が出たとて俺から盗めるものは何もな
いからな」

「荷物は水と食い物だけか?」

「そうじゃ。あとはこいつだけだ」

鞍の横の小さな旗。
李承は、それを見て首を傾げた。



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(コルクガシの新芽)



「その旗は……なんのためだ?」

「俺が俺であるためじゃ」

「……」

「俺は、旗を作って売ることで生きて来た。まさか、こんな
結末になるとは思わなかったが、そういう運命なんじゃろう」

「ああ」

「旗をいくら翻したところで、人を隷従させることは出来ん
よ。旗は、あくまでも所属を示す目印に過ぎん」

「そうだな」

「だが、この旗は俺だけの旗じゃ。他の誰も同じ旗は掲げぬ。
俺が最後まで捨てなかった誇りはそれだけじゃ。そして、誇
りはそれだけでいい」

楊源の残した言葉に小さく頷いた李承は、遠ざかる楊源の背
に向かって声を張り上げた。

「源! 旗は一つじゃないぞ!」

「ん?」

振り向いた楊源に向かって、李承は自分の胸を指差し、それ
から旗を振る真似をした。

李承の仕草を目にした楊源は、足を止めて丁寧な拝礼を二度
繰り返し、その後散り敷いた軍旗を踏み締めながら真西に向
かって平原を分けて行った。







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