花のない花のシリーズ、いかがでしたでしょうか?

 真っ黒けなのは一番最後の『全体像』くらいなもので、あとはちょい苦いくらいのレベルだったんじゃないかと思いますが。え? 違う? (^^;;



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(チョウセンレンギョウ)



 十話に共通して設定したのは、取るに足らない人々、外から見て主人公とは評されない人々、です。

『大きな椀』
 代をまたがって問われていくのは、個人のレベルまで圧縮された人生の意味であり、僧には葬祭を司るという社会の中での位置付けがあっても、それが僧個人の生き方には影を落としません。
 個は大勢を支配出来ませんが、でも大勢だから個を支配出来るわけでもないんです。

『瓦』
 親方がいなくても、誰かがその役を果たしますから家は建ちます。そう考えると、単なる瓦でいることに我慢が出来なくなるんです。でも、一人で建てられる家はないんですよ。
 大勢の中のパーツであることの意義と限界。親方の嘆きと諦念はそこに集約されます。

『平均値』
 これは分かりやすいかと。自分を平均値であると考えた場合、それ、どうやって計算してるの? 分母と分子は何なん? そんなもん、どっちも実在しないよ。それだけです。
 大勢の中の自分の位置付けを数字に換算してしまうことは無意味だと思うんですが、みなさんはどう思いますか?

『ラテアート』
 他者と結び付くための決まった方法なんかありません。そして自分の身は一つしかありませんから、全てを経験で体得していくのは無理です。
 だったら自分の現状とポテンシャルを確かめた上で、たくさんのケースを見て、照合しながらやれば?……というお話。大勢の中に無条件に埋没しないために、ちゃんと自分を見てますかという問いかけです。

『名残』
 帰属の意味を考えるテストケースとして作話しました。わたしたちは、自分を大勢のどこかに帰属させないと生きにくくてしょうがないんですが、どのようにフィットさせるかは自分だけでは決められないんです。
 『平均値』の平凡ボーイと違って、医院に集うモンスターの末裔は、見かけが極値で中身が平均値なんです。で、どっちがその人の実体でしょう?

『朱を入れる』
 書道と関わる深度は人それぞれですが、ほとんどの子供たちにとって、それはただの経験だけで終わるでしょう。そしてぶつぶつ文句を言ってる若い先生もまた、そこをただ通過しただけの大勢の中の一人に過ぎないんです。
 さらに言えば、ベテランさんの腰の座らない下手くそな小言だって、結局若い先生のいい加減な朱と何も変わりません。大勢、趨勢に合致させようとする朱の意味、価値。さて……。

『ひらひらと』
 代議士は、本来代理人に過ぎないはずです。大勢の中の一人として国民の意見を集約し、それを元に全体統制を考えるのがお役目のはずなんですが、その地位に就いた途端に大原則が画餅になりますよね。
 自分は大勢の中の一人に過ぎないけど、結局あんたらだってそうじゃんか。誰がなっても同じだしぃ。小野さんの強烈な皮肉に対して、それは違うと真っ向反論出来る代議士さんが何人いるでしょう?

『石とミルク』
 夫婦は、愛情と信頼を持続するという一種の契約を交わすことで成立しています。その契約がちゃんと履行されていることが確かめられないと、すぐに破綻するんですよ。
 そして夫婦に限らず、大勢の中での自分の意義付けがちゃんとなされていないと、誰もがすぐに自分の居場所を失ってしまうんです。

『連れ舞い』
 踊るということに限らず、このようなブログを書くことも含めて、きちんと自己表現することは大勢の中での自分の位置付けを定める上で必須なんです。自他共にそれしか判断材料がありませんから。
 当然ですが、それは他者が外から操作出来ません。強制すれば、『自己』表現ではなくなりますので。

『全体像』
 この話だけ、真っ黒にしました。神の名前を出しましたが宗教的な話ではありません。集団、コミュニティ、社会、そういうものには顔なんかないんだよということなんです。
 誰もが、大勢の中に自分を位置付けなければならないと考えていながら、その大勢の正体、全体像を誰も知らない。それが……我々のいる世界なんですよ。



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(ウグイスカグラ)



 もうお分かりかと思いますが、わたしがこれらの話を通じてみなさんに問いかけたいのは、わん おぶ(one of)の意味。なんちゃらの中の一つ、の意味なんです。
 どんなに独立心の強い方でも、必ずどこかの集団の中に帰属しています。誰もが、わんおぶなんちゃらなんですよ。

 わんおぶ なんとか家。
 わんおぶ なんとか町居住者。
 わんおぶ 日本人。

 え? 俺はそのどこにも帰属してない? 残念でした。あなたが生きてすらいなくても、誰かにあなたであると認識された時点で、わんおぶ地球のくりーちゃあ、なんですよ。(^m^)

 わたし個人としては、そのなんちゃらが大きいほど、そこに強い意義付けをする意味はないと思っています。だってどんな集団であっても、自分が影響しうる範囲なんて、自分の周りのほんのわずかだけなんですから。
 自分の存否が集団の成立、維持、存続になんら影響しないのなら。あたら集団の意義を考えるよりも、帰属によって自分が得るもの失うものの意味をしっかり考えた方がいいよなと。わたしならそう考えます。

 地味で目立たない花。どこでどのように咲いたところで、花畑の中での印象は変わらないでしょう。花としてすら認識してもらえないかもしれません。それならば、花であることを知っている自分が、どのように咲くか、咲き切るかをしっかり考えた方がいいんじゃないかなーと。

 ……思ったりします。(^^)

◇ ◇ ◇

 今回作話のネタにしたきのこは、どれも広く分布している一般的なもので、珍しいものはありません。

 もしあなたがそれを珍しいと感じたのなら、それはあなたが単に今まで気付かなかったから。そして、あなたもまた他者からそういう存在として位置付けられているということを。そして、その意味を。

 しばし、お考えいただければ幸いです。




  白梅や咲き切りてなほ蕊立てり





Where I Belong by Bad Company