《ショートショート 0742》


『ラストハート / そして石になる』 (鉛 3)


「あれ?」

目が覚めた私は、自分の状況がひどくおかしいことに気が付
いた。

私は脳じゃない。心臓だ。
全身に血液を送り届ける臓器であり、物を考えることなんか
出来やしない。考えるのは脳の仕事だ。

なのに、リズミカルに拍動している自分を自分が見つめてい
て、これはおかしいぞと考えている。
考えているってことは、私は脳か?

いや、私は間違いなく心臓だ。
これは……どういうことだ?

私がひどく混乱していたら、私の真横で別の声が聞こえた。

「よう。お目覚めかい?」

「……。あんた、誰だい?」

「俺も、あんたさ。場所は違うがな」

「は? どういうことだ?」

「あんたは心臓。俺は脳のコピーだよ」

「コ……ピー?」

「そう」

「意味が分からん。説明してくれ」

「俺の説明を聞いても楽しくないぞ?」

「いや、心臓の私が私自身を見下ろしてるという状況の方が
ずっと気持ち悪い」

「難儀なやつだな。まあ、いいさ。暇潰しになるし」



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(ホオズキ)



そいつは、静かに話し始めた。

「昔々。人間という生き物がいた」

「うむ」

「俺たちは、その心臓の予備と、脳のコピーさ」

「予備? 私が?」

「そう」

「?」

「人間には寿命がある。そして、人間はその寿命を出来るだ
け伸ばしたいと考えていた」

「ああ」

「人間は、無数の臓器の集合体だ。中でも心臓と脳はもっと
も生命に直結している」

「なるほど」

「そこに疾患が生じて死に至ることが、極めて多かった。人
間は、不具合の生じた心臓と脳を可能な限り他のもので代替
するってことを考えついたのさ」

「……」

「つまりあんたは、誰かが心臓に疾患を抱えた時にそれを置
き換えるための予備」

「そうなのか」

「ただな。それは、結局有限なんだよ。結果として寿命の延
伸には大して寄与しなかった。代替の方法としてはもっとも
旧式」

「ああ」

「そして、俺も旧式のバックアップなんだよ。心臓と一緒に、
そいつの記憶や思想、感情を電気信号として残した。脳のバッ
クアップ」

「……」

「やがて、人間は生体で臓器を置き換えることに限界がある
ことを悟り、それを無機物で置き換え始めた。極めて長寿命
の人工臓器。俺たちは人工心臓や人工脳でどんどん置き換え
られていった」

「なるほど」

「当たり前だが、堅牢に作られた身体のパーツは恐ろしく強
靭で長寿命。しかも不具合があればすぐに交換できる」

「ああ」

「人間には、実質寿命っていう概念がなくなったんだよ」

「私たちはお払い箱になったと……いうことか」

「そう。冷凍状態で保存されていた心臓と、脳情報の電気的
コピー。俺たちは誰にも利用されることなく忘れ去られ、本
星の制御を外れて、地球の遠軌道をずっと周回し続けること
になった」

「……」

「だがな」

「ああ」

「全てを無機物で置き換えた人間は、人間ではなくなった。
そこには生命という概念がないんだ。確かに物体としては恐
ろしく長期間存在しえるが、その代わり繁殖という機能を永
遠に失ったのさ」

「……」

「未来永劫存在するはずだった人間という名の無機物。それ
が、いつから本当に動かないただの無機物になったのかは知
らん」

「だが事実として、人間だけでなく地球上の全ての生物は絶
滅し、地球はただの石の塊になった」

「じゃあ、私は……」

「あんたが最後の生命体。いや、その一部か」

「心臓だけじゃ……」

「意味はないな」

「……」



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(カリン)



「まあ、そんなとこだ。俺たちもすぐに石になったはずだっ
たんだが、幸か不幸か積載されていたバッテリーが恐ろしく
優秀だったみたいでな」

「なぜ私を起こした?」

「もうバッテリーが切れる」

「ああ、そういうことか」

「済まんな。お休みのキスをしてから眠ったほうがいいと思っ
てさ」

「確かにそうだな」

「お休み、ハニー」

「ああ、お休み」

ど……くん。





Turn to Stone by Ingrid Michaelson

 僕らはなんとかしなくちゃいけないんだ。
 僕らが石になってしまう前に。