《ショートショート 0723》


『白妙の』 (白いおはなし 7)


「ニホンジンてのは、どうしてこんなめんどくせーことする
んだ?」

俺が声を掛けたら、分厚い解説書に頭を突っ込むようにして
いたグレグが、うんざり顔で答えた。

「俺に聞くなよう、モリス。それよか、さっさとレポート済
まそうぜ。エマのギグに間に合わねえよ」

「ちぇ。めんどくせーなー」

ぶつぶつ言いながら、俺はみみずみたいなにょろにょろ文字
に向かってクソッタレ(Shit!)を連発した。

「好きなら好きって、ダイレクトに言やあいいじゃないか!
変なもんぞろぞろくっつけるんじゃねえや!」

「ぎゃははははっ!」

Reading(読書)の授業。
ミラー先生は、俺たちに変な宿題を出したんだよ。

『和歌の枕詞を調べなさい』

だいたい、その『ワカ』ってのすらよくわかんないのに、マ
クラコトバだあ? 知らんわ! そんなん!

「なあ、グレグ」

「うん?」

「マクラってのはpillowだろ?」

「みたいだな」

「コトバってのはwordか?」

「俺は最初、pillow talkかと思ったんだよな」

「ベッドインしたオンナとぺちゃくちゃしゃべるってやつか
あ?」

「ぎゃはははははっ!」

あーあ。脱線ばっかで、ちっとも宿題が進まねえや。ちぇ。


           -=*=-


結局、俺らはエマのギグに間に合わせたい一心でロクでもな
いレポートを殴り書きして、先生に提出した。
書き直せって言われるだろうけど、それはその時に考えれば
いいや。

ちゃり漕いでロブソンセラーに向かってたら、暮れかかって
いた道のど真ん中にぼーっと立ってる女がいて、そいつにぶ
つかりそうになった。

「あっぶねえ! ぼさっとしてんじゃねえよ!」

てか。
あんた、それ、ヤバいんちゃう?

俺にどやされたその女が、どう見ても異様だった。

髪がずるずる長くて、地面擦ってる。
なんかやたらいっぱい服を重ね着してて、それがまたどれも
ずるずる長くて地面擦ってる。
のぺっとした顔。アジア系だよなあ。
眉を剃ってて、そこを変な風に描いてる。

「……」

ギグに間に合うとか間に合わないとか、それ以前に。

なんだ、こいつ?

今日はハロウィーンじゃないし、仮装大会があるなんて話は
聞いてねえぞ? どっかで演劇でもやってんのか?

ド田舎には絶対ありえないカッコの女だったから、俺は逆に
心配になったんだ。

「これからどんどん暗くなってくるし、女一人でうろうろす
んじゃねえよ」

注意したんだけど……俺の言うことを理解出来てないみたい
で、何度か俺の方をこそっと振り向いた女は困ったような表
情を見せた。

しげしげとそいつの顔を見る。
ものっそオバさんかなあと思ったんだけど、そうじゃなかっ
た。もしかすると俺の妹と同じくらいか? 若い……ってか
ローティーンっぽい。

うーん……こりゃあ、ますますヤバい。
未成年が夜中にうろうろしてたんじゃ……いや俺も未成年だ
けどさ。はははっ。

後で親父に見せて、どこの子か探してもらおうか。
しゃあない。ほっとくわけにもいかないし、とりまギグに連
れてこう。

女の子は、しきりに袖で口元を押さえた。
きっと、わたしはなにも話せませんということなんだろう。
どう見ても外国人なんだ。それはしょうがないよな。

ちゃりで行くのにじゃまだったから、俺はその子の長い髪を
まとめてブックバンドで留めた。
ずるずる長い服の裾も適当にたくって、女の子に持たせた。

それから、俺の背中におぶさるようジェスチャーした。
女の子はそれを理解したみたいで、俺の後ろから細く白い腕
をふわりと俺の首に回した。

軽いなあ……。そう思った。



w13
(ヤブミョウガ)



ギグが始まる直前に、セラーに滑り込んだ。

「ふいーっ! ぎりセーフ!」

「おせえぞ、モリス!」

グレグにどやされる。

「済まん済まん。ちょいアクシデントがあってよ」

俺が道にぼーっと立ってた女の子のことを説明する前に、も
うギグが始まっちまった。

室内照明が落ちたかと思うと、フットライトがばっと一斉に
光って、そこはダンスフロアに変わる。
エマも今日は気合いが入ってる。いいライブ撮りが出来たら、
それをゆーちゅに乗せて、がんがん配信したいって言ってた
もんな。

田舎にいるからメジャーになれないなんて、今の時代はそん
な言い訳は出来ない。どこからでも自分を売り出せるからな。
俺だって、ずっと田舎でくすぶってるつもりはねえし。

縦ノリでみんながんがん盛り上がってる中、俺がおぶって連
れてきた女の子は、突っ立ったままぼーっとステージを見て
た。

おいおい、それじゃめっちゃ浮くってば。
体を揺すれ! リズムに乗れ! 音と一体化しろ!

俺が見本を見せる。
その子はどうもダンス系が苦手な感じだったけど、遠慮がち
に手足を動かし、腰を揺らし出した。

「そうそう! 目いっぱい楽しまなきゃ!」

俺が笑って見せたことに安心したのか、女の子は少しだけ緊
張を緩めて笑顔を見せた。

おっ! 笑ったらすっげえかわいいじゃん!


           -=*=-


いつもなら、ギグが終わったあとでエマたちとわいわいやる
んだけど、連れてきた子のことがあるからすぐ帰ることにす
る。

「おい、モリス。もう帰るのか?」

グレグに引き止められたけど、振り切った。

「今日はちょいやぼ用があんだわ」

「ちぇ。せっかくこれから盛り上がろうと思ったのによ」

「また次な。わりぃ」

セラーの横で、来た時と同じように女の子を背負った。
でも、どうも違和感があった。

こんだけ変な格好の女の子が一緒にいるのに、みんな無視し
てる? うーん……。


           -=*=-


暗い夜道。
俺のちゃりの前照灯だけが、ゆらゆらと細い道を照らし出す。
女の子が立ってたあたりに差し掛かった時、その子がふわり
と俺の背から離れる気配がした。

「あれ?」

夜道に降り立った女の子は髪を下ろして服を整えると、べたっ
と正座して地面に両手をつき、俺に向かって深々と頭を下げ
た。

「へ!?」

それから、呆然としていた俺に向かって、服の袖から何か紙
切れを出して手渡そうとした。
訳も分からず、それを受け取る。

女の子は俺に向かってもう一度深々と頭を下げると、目尻に
少し涙を浮かべ、それを隠すようにして袖で顔を覆った。

「お、おいっ!」

俺が女の子の腕を取ろうと手を伸ばした時には、もうその子
の姿はどこにもなかった。
あの紙切れ一枚を残して。



w20
(タマスダレ)



何が何だか分からず、でもものすごーくがっかりして。
俺はよろよろと家に帰った。

ギグのあとはいつもハイテンションになるのに、俺がずっし
り落ち込んでいたことをお袋が気にした。

「モリス、どうしたの?」

どう答えていいんだか分からない。

「俺、ふられたんかなあ……」

「はあっ!? エマちゃんに?」

「エマには彼氏がいるよ。俺のタイプでもないし」

「じゃあ……誰に?」

「……」

あまり突っ込むと俺が傷付くと思ったのか、お袋はそれ以上
突っ込んでこなかった。

部屋に戻って、あの子に手渡された紙切れを開く。

かさっ。

きれいに折りたたまれていた紙には、俺の読めない文字で何
かが書かれていた。
でも、その文字を……どこかで見た覚えがあった。

「明日、ミラー先生に聞いてみるか」


           -=*=-


ミラー先生もいい加減だよなあ。
自分でもニホンゴ読めないし、分かんないんじゃん。
でも俺の必死のお願いに折れて、知り合いに聞いてみるって
言って、その紙切れのコピーを取った。

次の日。
先生は、厳しい表情で俺を呼び出した。

「モリス。これ、どこで手に入れたの?」

「一昨日、ディントンの村道のど真ん中にぼーっと立ってた
女の子がいてー。その子から手渡されたんです」

「……ほんとに?」

「はい。夜に女の子一人は危ないと思って、ロブソンでやっ
てたギグに連れてったんです。迷子だったら帰りにうちに連
れてって、親父に相談すりゃあいいと思って」

「そうしなかったの?」

「帰る途中で消えちまったんですよ」

「消えたあ!?」

ミラー先生が、真っ青になった。

「それって……」

「俺もわけ分かんないっす」

絶句したミラー先生は、震える手でコピーした紙を開いた。

「あのね、モリス。これ書いたのは、千年以上昔の日本の女
の子なの。日本のふるーい和歌集に、同じのが載ってるの」

げえええええっ!?

ミラー先生と同じように、俺も腰が抜けそうになった。

こわごわ、コピーされた紙を覗き込む。
何がなにやらのみみず文字は、もうちょいましな字に書き直
してあったけど……

『しろたへの ゆきおくまどに こふひとの
  かほみゆるよは ひとりさびしき

(白妙の雪置く窓に恋う人の
  貌見ゆる夜は独り寂しき)』


「うーん……俺、ニホンゴ読めないっす」

「じゃあ、これなら?」

ミラー先生が、意訳だけどって前置きして、英文にしたのを
見せてくれた。

On the snowy night, I saw your lovely face through the window.
Then, I felt hopeless and lonely.


「……」

「昔の日本家屋には、ガラス窓なんかないわ。身分の高い人
は家の奥にいて、雪が降るような寒い夜に開けっ放しの窓に
なんか近付かないの」

「じゃあ、この子の家は……」

「身分が低いってことね」

「でも、すっげえいっぱい服着てましたよ?」

「妻乞いの男が通って来てたんじゃないかな?」

「それってなんなんですか?」

「男の人から、妻になって欲しいっていうプロポーズが来て
たってこと。手紙や贈り物が届けられてたんじゃない?」

「ええっ!? プロポーズって……その子は中坊くらい、俺
の妹と同じくらいのトシっすよ!?」

「その頃は、十歳くらいでも輿入れがあったの」

「げ……」

「妻乞いって言っても、身分差があったら強制に近いでしょ。
その子が縁談を断ることは出来なかったはずよ」

「……」

「まだ恋も知らないうちに、自分の父親と変わらない年の男
の妻になる。そんな自分の辛い心の内を、誰も分かってくれ
ない。どうしようもない絶望と孤独感」

「……」

「彼女が窓から顔を見たと書いた恋しい男は……誰だったの
かしらね」

顔を伏せたミラー先生は、深い溜息を一つついたあと、ぴっ
たり口を閉ざしてしまった。



w11
(ムクゲ)



「シロタエノ……かあ」

その子が最後に俺に寄越したのは、ラブレターじゃない。
どんなに好きだって思っても、恋する相手には手が届かないっ
ていう絶望の訴えだ。

好きなら好きって言やあいいじゃんか!
俺は今までそう思ってたし、今でもそう思ってる。

でも……。
言いたくても言えないってことが確かにあるんだ。
今の俺が……そうなってしまったように。

たった三十一文字しか使えないのに、その中にすら心を素直
に吐き出せない。シロタエノっていうマクラコトバが、女の
子の悲鳴を薄めてしまってる。

それでも。それでもなお。
こうやって文字にして伝えることが、あの女の子にとっては
何よりも大事だったんだろう。

俺は。
あの子に何も伝えることが出来なかった自分を恥じて、呪っ
た。

あの子の名前も何も聞かなかった……いや聞けなかったこと。
それは……俺にとって幸運だったのか、不幸だったのか。
分からないけど……。

ぽたり……ぽたり……。

どうにもやるせない気持ちが。
俺の儚い恋の終わりを告げるとともに目から溢れて。

次々に零れ落ちていった。





The Ghost Walks by Duncan Browne