$いまじなりぃ*ふぁーむ-tle



 昔々1  第四話 転機


(8)


「ブンさんは、犬死にじゃないか……」

俺も。所長に負けず劣らず虚無感と徒労感にどっぷり浸って
しまった。
最後のオチがあまりにひど過ぎる。

犯人の女が自殺したのは、反省や後悔のためじゃない。
累犯者の強盗殺人なら、よくて無期懲役、下手すりゃ死刑。
それだけのことをしてるんだから当然の報いだが、女にとっ
ては違うんだろう。
もう二度と娑婆には出られないという絶望感が、生きていて
も仕方ないっていう結論に行き着いただけ。
犯行も場当たりなら、自分で決めたオチもお粗末そのものだ。

たかだか四千円のために、無残にドブに捨てられてしまった
ブンさんの命。
そしてブンさんをゴミ屑のように扱った女は、自分の命をも
粗末に扱って、塵に返った。

アパートに戻った俺は。
ベッドに浅く腰を掛けて、くそったれを連呼した。

もう、こんな仕事はさっさと辞めてしまおう。俺には重すぎ
るよ。そうさ。元々そうするつもりだったじゃないか。

「……」

だけど……。
目の前にブンさんの呆れ顔がちらついて、俺は落ち着かなく
なる。

『あほかっ! 俺はおまえの何百倍、何千倍ものクズ野郎ど
もを、毎日毎日何十年も見続けてきたんだぞ? この根性な
しが!』


「く……」

俺がこの稼業を続けようが辞めようが、自分を今よりマシに
しないとそもそも食っていけない。
ブンさんと組んで調査やってた三年間で、文句のぶちかまし
方だけうまくなったっていうんじゃ論外だ。
それなら、何もしないでぐうたらしてた方がまだマシだ。

『中途半端に人の生き方に触るな! それが嫌ならさっさと
辞めろ!』


ああ、ブンさん。確かにそうだ。その通りだ。
そして、俺はブンさんの生き方に触っちまった。
ここで半端に放り出したら、俺がブンさんに出会った意味は
何もなくなる。

「ねえ、ブンさん。ちゃんと最後まで言ってくれよ」

真っ暗な部屋の中で、俺はその闇の向こうにいるであろうブ
ンさんに愚痴った。

「触るなら。とことん突っ込め! ……だろ?」

どんな小さなことであっても。
調査で人の生き方に触れれば、それは俺の中に刻み込まれる。
それが……調査員という職種の宿命だ。
好きだから、やりがいがあるからやるなんてのは、調査員に
関してだけはありえない。

調査員という稼業に手を染め、業務に精通してしまったら、
俺は人の生き方に向き合わされるという十字架を死ぬまで背
負わなければならないんだ。

そして俺には、ブンさんにすら出来なかった生き方が一つだ
け試せる。
どうせ沖竹を辞めるのならば、俺はそれにチャレンジしよう。

ブンさんの、刑事から調査員への転身が逃げではなかったよ
うに、俺の挑む転身も決して逃げではない。
それは、間違いなく今以上の茨の道になるからだ。

でも、俺はブンさんのどやしをゴミ箱に捨てたくない。
どうしても、それを活かしたい。

「ふうっ……後は……タイミングかあ」



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あっけない幕切れに意気消沈していた所長だったが、俺も所
長も生きる必要があった。
元々ブンさんが辞めた時点で、沖竹エージェンシーには調査
事務所としての転機が来ていたんだ。

社長は、動揺していた社員の引き締めと執行体制の立て直し
に全力を挙げ、落ち込んでいた気持ちを紛らわせることにし
たらしい。

後任のベテラン調査員を雇用するまで、君が村田さんの代わ
りにチーフをしてくれ。
相変わらず無表情な社長は、にこりともせず俺にそう命じた。
俺には荷が重かったが、背に腹は代えられない。

そして。
再び、所長が引っ張ってくる有象無象の案件をざばざばこな
す日々が始まった。

ただ……俺は、所長の姿勢に変化を感じていた。
それは所長の心の変化ではなく、運営姿勢の変化だ。

明らかに黒寄りグレーゾーンにあるヤバい案件を請けなくな
り、調査員が無理をしなくてもこなせる案件の割合が信じら
れないほど増えた。

そうか。
沖竹エージェンシーは、急上昇期を抜けて安定走行に入った
んだ。
十分な解決実績を積み上げた沖竹は、これまでのように何で
もやりますではなく、仕事をチョイス出来るようになったん
だろう。

調査のクオリティを下げないようにするために、所長が調査
員を厳しく評価するのは今後も変わらないと思う。
でも、これまでよりは落ち着いて調査員の育成に取り組める。

ブンさんのどやしとは別に、所長自身もちゃんと社の中長期
の運営計画を立て、それを着々と実行してきたということな
んだろう。
ブンさんが、俯瞰能力に優れていると言った通りだ。

相変わらず新規採用の調査員の離職率は高いが、社のイメー
ジが上がったことで俺なんかよりずっと素質のある目も勘も
いい奴が増えた。
これから沖竹は、更なるステップアップの段階に入っていく
んだと思う。

そんなことを考えながら、俺はいくつかの調査報告書の草稿
に目を通していた。

「ふうっ……」

俺は書類から目を離し、明かりが消えたままの向かいの部屋
を見遣った。ブンさんが居たチーフの部屋は、まだ無人。
ブンさんの後釜が着任していないから、調査員としては俺が
最年長だ。

俺より若い調査員ばかりになってしまったから、毎日中村さ
ん中村さんと呼びかけられて、尻がむずむずしてしょうがな
い。ブンさんに、操!と呼び捨てられていた頃が懐かしい。

そして、チーフ代行の俺のところには新米がひっきりなしに
相談に来る。
俺自身ががんがん動くというより、半分教官みたいな立場に
なってしまったから、こっちもなんかすっきりしない。

「ん?」

廊下から、ためらいがちな歩調の足音が近付いてきた。
ほら、来なすったな。

「中村さん、ちょっといいですか?」

「八木くん、なんかトラブル?」

「いえ、浅野さんの案件なんですけど」

「キャッチ出来た?」

「まだです。用心深くて」

ははあ。なかなかホシが動かないから焦れたな。
でも、張り込み開始早々に焦れてしまうなんてのは論外だよ。
ブンさんが聞いたら、おまえのような根性なしなんか要らん!
とっとと辞めちまえっ!……って吠えそうだな。
その容赦ない怒鳴り声を思い出しながら、俺は新米のフォロー
を始める。

「浅野さんのは根比べさ。特殊な手法を使う必要はないよ。
ひたすらご主人が動き出すのを待って」

「はい……」

「奥さんが疑っているのを察したから今はおとなしくしてる
だけで、ほとぼりが冷めたらすぐ動き出す。そのタイミング
を絶対に逃がさないようにね」

「はいっ!」

ばたばたと走っていく駆け出し調査員の背中を見送って、俺
は所長室に足を向けた。





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