$いまじなりぃ*ふぁーむ-tle



 昔々1  第四話 転機


(7)


所長は、沈鬱な面持ちで静かにノートを閉じ、目を瞑った。

「悲劇っていうのは……あり得ない偶然の連なりで起こる。
いや……事故とか事件というのは、全てそういうものなのか
もしれない」

重なった偶然の一つでも欠けてくれれば、ブンさんが命を落
とすことはなかった。
所長の口調には、犯人への憎しみよりも、運命の非情さへの
嘆きが滲んでいた。

「その女のウラは……取れたんですか?」

「取れたらしいよ。あまりの馬鹿馬鹿しさに吐き気がする」

所長がぎりっと歯を嚼み鳴らした。

「逮捕前の事情聴取では、知らないやってないとしらばっく
れた。だがその女の財布の中から、村田さんの指紋の付いた
千円札が四枚出てきたのさ」

「!!!」

「つまり、無我夢中で犯行に及んだんじゃない。靴を脱がせ、
村田さんの財布からちゃっかり紙幣を抜き取り、お膳立てを
して川に放り込んだ」

「じゃあ、紙幣にだけでなく、靴にも指紋が……」

「そう」

「……」

「はは……は。馬鹿の浅知恵もいいところだよ。村田さんは
そんな馬鹿に殺されてしまった」

所長が落ち込むのは……当然だ。

人の命を虫けらのようにしか思わない連中が、世の中にはう
ようよしている。
それなのに、何を信じればいい? 心を読む意味なんかどこ
にある?

所長は、そういう無力感に襲われていたんだろう。

「……」

俺の心境も、所長と全く同じだった。

あまりにもくだらなく身勝手な理由で、ブンさんが命を落と
したこと。
その最期は、ブンさんが身を賭して所長の自立を助けたこと
にまるっきり見合わない。

神様ってのは……あまりにも不公平で、残酷だ。

二人して途方に暮れたまま俯いていたら、所長のデスクの上
の電話が鳴った。
所長が、物憂げに受話器を取る。

「はい、沖竹ですが」

次の瞬間、所長がばっと立ち上がり、顔色が真っ青になった。

「な、なんですってっ!?」

あとは……。
電話の相手が話し終わるまで、所長は『はい』しか言わなかっ
た。いや……それしか言えなかったんだろう。

五分ほどの短い電話が切れて、所長は腰が砕けたように椅子
に倒れ込んだ。

「所長。誰からですか?」

両手で顔を覆った所長は、小声でぼそっと答えた。

「江畑さんだ」

「何か新事実が?」

「いや……」

所長は、デスクの上に閉じてあったノートと俺の報告書を両
方開くと、その最後のページに赤いボールペンで丸を描き、
その上に斜め線を足した。

 『∅(ゼロ)』

それは、所長が数字を書く時の流儀。
英文字のオーと数字のゼロを区別するために、ゼロの時は斜
線を引く。
そして所長は、一つの案件が終了する度に報告書の最後のペー
ジにゼロを書き込む癖があった。

それは、元クラッカーだった所長に染み付いた性癖みたいな
ものなんだろう。

ブンさん殺しの犯人が生きている限り、所長は執念深くそい
つの破滅にこだわり続けるはず。
でも、所長がそれにピリオドを打ったってことは……。

「容疑者が……死んだんですか?」

「重要参考人から容疑者になり、本日逮捕。報道もさっき出
た。そして、署で本格的な取り調べが始まった直後に、聴取
室内で自殺したそうだ」

「!! ど、どうやって?」

「入れ歯に……毒が仕込んであったらしい」

「あ……」

「被疑者死亡のため、捜査終結……か」

何度か激しく首を振った所長は、俺を所長室から追い出した。

「疲れた。済まないが一人にしてくれ」

「は……い」

後ろ手に所長室のドアを閉めた俺は、総務課の三井を呼んで、
必ず定期的に所長の様子を伺うよう頼んだ。
俺は……これ以上の不幸の連鎖はどうしても……見たくなかっ
たんだ。




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Terminal 7 by Tomasz Stanko