$いまじなりぃ*ふぁーむ-tle



 昔々1  第二話 矢


(6)


そして。
ブンさんが向かったのは、調査対象の人物のところではなく、
俺がよく行く激安スーパー。

その出入り口や店内の構造を前もってじっくり調べたブンさ
んは、鮮魚コーナーからは死角になる陳列棚の陰に隠れた。

「操。おまえは入り口近くで張れ。例のじいさんが来たら、
俺に合図しろ」

「うす!」

ブンさんがどういうアクションを起こすのか見当が付かない
まま、俺は言われた通りに入り口付近で待ち構えた。

俺たちが入店して十分もしないうちに、八十絡みの白髪の男
が、ジャンパーのポケットに両手を突っ込んだまま店に入っ
てきた。そして、真っ直ぐ鮮魚のコーナーに向かった。

「こいつだ……」

店の方でも指名手配中の要注意人物が来たってことで、中年
の男性店員が今度こそ現場を押さえてやると憤慨しながら、
じいさんの後を付いていく。
俺も、ブンさんに目線でじいさんの来店を知らせ、店員とは
別のルートで鮮魚のコーナーに張った。

じいさんはちらりと背後を振り返り、店員が自分を見張って
いることを認識したようだ。
だが、じいさんの顔には皮肉っぽい薄笑いが張り付いていた。
明らかに挑発している。

じいさんは、手慣れた様子で防犯ビデオに背を向けて立つと、
並んでいた鮮魚のパックに手を伸ばし、それを持ち上げた。

その時だった。

「よう、善造。久しぶりだな」

ブンさんがじいさんの手首をぎっちり握りしめ、動きを止め
ていた。

「……」

目を見開いて、じっとブンさんを見つめる男。
しばらく睨み合っていた二人だったが、先に男が陥落した。

「さっさとアゲりゃあいいだろう?」

「あほか。俺はもうデカじゃねえよ」

「え!?」

じいさんが、ぱっくり口を開けてブンさんを凝視した。

「今は民間の調査会社の社員さ。操!」

ブンさんに呼ばれて、慌ててその隣に移動した。
憤慨していた店員さんは、思わぬ展開に狼狽している。

「こいつとコンビで、浮気調査やら素行調査やらをやってるっ
てことよ」

「……」

「そしてな。俺はこの店の依頼なんざ受けてねえぜ。この店
にはたまたま立ち寄っただけさ。おまえも運がねえな」

じいさんは、ブンさんにがっつり手首を握られたままがっく
りと項垂れた。

「なあ、善造。スリの神様と言われたおまえが、こんなとこ
ろで何くだらねえことやってんだ?」

「……」

ス、スリの神様あ!?
このしわくちゃのじいさんが?

俺も店員さんも、絶句だ。

「おまえも悪党の端くれなら、半端なくだらねえことは止め
ろっ!」

ブンさんがでかい声で一喝した。
そして、ブンさんの説教はまだ続いた。

「いいか。おまえがなんぼ俺はまだ出来ると思っててもな、
おまえの腕はもう落ちてんだよ。トシだ。そらあ仕方ねえだ
ろ。おまえの現役の頃なら、俺に手首を掴まれる前にもう仕
事が終わってる」

「用心でバレないようには出来ても、肝心の指先がもう動い
てねえんだよ」

ブンさんの容赦ない指摘に、じいさんは完全に意気消沈して
しまった。

ブンさんが握っていたじいさんの手首の先から、まずパック
の魚が落ち、それから針が……ぱらっと落ちた。

勝ち誇ったようにじいさんを罵倒しようとした店員さんを、
ブンさんがぎぎっと睨みつけた。
視線の鋭さに威圧されるように、店員さんは口ごもった。

「……突き出すんだろ?」

じいさんの口から、小さな諦めのセリフが溢れる。

「どこにだ? さっき言っただろが。俺はデカじゃねえよ」

放り出すようにして手首を放したブンさんが、じいさんを一
喝する。

「二度とこんなくだらねえ真似すんじゃねえっ!」

じいさんは、俯いたままよろよろと店を。

……出て行った。



ya5



今までそのじいさんに散々手を焼いていたスーパーの店長さ
んは、無罪放免は納得行かないとブンさんに詰め寄ったけど、
ブンさんはそれを柔らかくいなした。

「おたくさんの言いたいことは分かる。でもな、あのじいさ
んがあと五十年も百年も生きるわけじゃねえ。もうしねえっ
て言うなら、それで済ましてやってくんねえか?」

「本当に、もうここには来ないんでしょうか?」

不信感たっぷりの表情で、若い店長がブンさんをねめつけた。

「来ねえな」

「そんなの、どうして分かるんですか?」

「目的が、生活のためでも、嫌がらせのためでもねえからな」

大きな溜息をつきながら、ブンさんが鮮魚のコーナーを見遣っ
た。

「店長さん」

「はい?」

「同じことをガキがやりゃあ、それはスリルが欲しいからだ」

「なるほど」

「でも、プロがやるってなあ、スリル目的じゃねえ。プライ
ドのためなんだよ」

「プライド……ですか」

「そう。かつての神様も、今は落ちぶれて見る影もねえ。本
人がまだ出来ると思ってても、世間からはすっかり忘れられ
てる。それが、善造には我慢出来ねえんだよ」

「……」

「でもスリで捕まりゃあ、前科持ちには猶予は付かねえ。あ
のトシで何年も豚箱暮らしすんのはきついぜ」

「モノを取るんじゃなく、毀損する。それも被害が軽微。万
が一の時には金銭で補償出来る。それだけかちかちに読み切っ
て、行為に及んでたんだよ」

「それなら、またやるんじゃ……」

「いや、それは出来ねえよ。俺に手口を全部読まれたからな」

「あ」

「あいつとの付き合いは一回や二回じゃねえ。若造の俺は、
デカの時代に善造に何度も煮え湯を飲まされてる。でも、俺
はまだ動けるが、善造はトシさ。手口ぃ読まれたら、もうこ
こじゃ出来ねえよ」

「俺があいつにとやかく言わなくても、あいつのプライドは
粉々さ。だから、ここにはもう二度と来ねえ。味噌ぉ付いた
人や店を避ける。それはスリや泥つくに共通のゲン担ぎだ」

「なるほどねえ」

店長さんは、いやすごいことを聞かせてもらったっていう風
に、大きく頷いた。

ブンさんは、やれやれって顔でもう一つ溜息をつくと。
ぐるっと店内を見回して、嫌味を言った。

「それにしても、万引きも逃げ出すような店だな」

「それが当店のポリシーですから」

胸を張って自慢する店長さん。
それは……自慢にならないっすよ。とほほ。





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