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*** 第二十話 決戦 ***


(9)


「でもね、もしそうだとすると、話がおかしくなるんですよ」

「なぜだい?」

「御影不動産が穂蓉堂の立ち退きを迫るなら、一番手っ取り
早い方法は、裏から手を回して穂蓉堂を干上がらせることで
す。でも、御影不動産がわざわざ犯罪リスクを冒してまで、
そんな面倒なことをする必要はないんです」

「だって、かつてのお得意様だった市営団地のお馴染みさん
たちは、もういない」

「おしゃれなマンションの住人は、出入りの不便なところに
居座る古臭いお店に好感情なんか持つわけない」

「住人がお年寄り中心の市営団地がなくなって、マンション
住人の移動手段は主に自家用車。人の往来もバス停の利用者
も減少したでしょうから、飛び込みのお客さんも当然減る」

「穂蓉堂は、黙っていても干上がるんです」

「ふう……」

社長が小さな吐息を漏らした。

「御影不動産は何もしなくてもいい。穂蓉堂はいずれ撤退せ
ざるを得なくなりますから。それなのになぜ?」

「なぜ、御影不動産が社長を巻き込んで動いてるの? 不思
議に思いませんか?」

わたしは、バッグから小さな緑茶のペットボトルを出して、
その口を切ろうとした。
でも、さっき何度もドアに激しく叩きつけた右拳が腫れ上がっ
て、力が入らなくなっていた。猛烈に痛い。

「ああ、俺が開けてやるよ」

黒坂さんが、気を利かせてペット茶の口を開けてくれた。
ぱきっ。

「すみません」

左手で受け取って、一気に全部飲み干す。

「……っふう」

ぐしゃっ!
空になったペットボトルを左手で思い切り握り潰し、足元に
放り投げた。

からからからっ。

「そのわたしの疑問を解消するには、まだ材料が足りません
でした。ただ、社長が御影不動産に支援されているという事
実は明らかになった」

「なんでそういう結論になるの?」

社長が、低い声で反論した。

「御影不動産の支援がない限り、社長は御影不動産直系の白
田さんと黒坂さんというプロを確保出来ないからです」

「直系? どうしてわたしが……直系?」

白田さんが、ぼそっと聞いた。

「それもネット検索で分かりました」

「……」

「白田さんの名前は特別珍しくはない。検索すると同姓同名
の人がいっぱい出てきてしまいます。でも白田美和と御影不
動産、その二つで検索したら……」

「こんなものが出てきました」

バッグから折りたたんだ紙を出して、それを部屋にいた全員
に配った。
右手が使えないっていうのは……不便だね。

配ったのは二枚のコピー。
一つは御影不動産の組織図。
もう一つは黒坂さんを取材した業界紙の記事。

白田さんは、その紙を見るなり両手で顔を覆って泣き出した。

「うーっ……」

おろおろする御影さん。
わたしは白田さんじゃなくて、黒坂さんに声をかけた。

「黒坂さん。わたしは社長や白田さんから、黒坂さんが大手
不動産会社の営業部長をされていた方だとあらかじめ伺って
いました」

「うん」

「ただ、それがどこの社であるかを聞いたことはなかった」

「ほう」

「でも、社長と御影不動産との関係が浮上すれば、わたしは
当然黒坂さんもその関係者だと考えます。おかしくないです
よね?」

「俺は隠すつもりはなかったけどな」

もしわたしに、事務室で黒坂さんと話する機会がもっとあっ
たなら、事実関係の判明は早かったはずだ。
でも、黒坂さんは社屋にほとんどいなかったから……。

「黒坂さん。黒坂豊親さんが、御影不動産の本社営業部長を
されてたという事実も、ネットで確認出来ました。業界紙の
インタビュー記事がヒットしたんです。お配りしたのはその
コピーです」

「うーむ。やるなあ……」

黒坂さんが、わたしの渡した紙片を見回しながらうなった。
それから、思いがけないことをわたしに言った。

「なあ、ようちゃん」

「はい?」

「社長には悪いが、あんたはここじゃ飼い切れんだろう。そ
れこそ役不足だ」

役不足?

「役不足ってのは、誤解されてる言い方でね。その人の高い
能力に見合わない、つまらない役をやらされてるって意味な
んだよ」

「あんたの調査・解析力、プレゼンの能力は頭抜けてる。さ
すがリケジョだよ。つまらんテレオペなんかの枠に収まるは
ずがない」

おっと……。

黒坂さんは、厳しい表情で社長を見遣った。

「言っちゃ悪いが、見識の広さ、勝負勘の鋭さは社長よりよ
うちゃんの方がずっと上だ」

!!

黒坂さんが、社長に公然と苦言を呈した。
わたしは……それを初めて見た。

そして、それは社長にとっても初めてのお灸だったんじゃな
いだろうか。
だって、社長が顔面蒼白になってるもん。

でも、ここで脱線されるのは困る!

「黒坂さん。続きは後でお願いします」

「分かった」

「白田さんは、御影不動産の河野支店で庶務課主任をされて
いましたね?」

わたしは、組織図の方をひらひらとかざした。
目を赤くした白田さんが、俯いたままぼそっと聞いた。

「どうして……これが分かったの?」

「あとで、御影不動産の担当者に苦情を言っといた方がいい
です。名前の付いた組織図のファイルが、ネット検索で引っ
かかったんですよ。これはそのコピーです」

がたっ!
白田さんと黒坂さんが、揃って血相を変えて立ち上がった。

「な、なんだと!?」

「うそっ!?」

「たぶん、IR資料を作る材料にするかなんかで、スキャン
した社内組織の資料をそのままどこかにぶら下げちゃったん
でしょう。担当者も知らないと思います」

「お粗末……だ」

どすんと椅子に腰を落とした黒坂さんが、忌々しそうに頭を
振った。

「もし、わたしの指導教官だった尾上教授の下で、わたしが
そんなヘマをしたら。教授に締め殺されてます」

冗談抜きでね。