《ショートショート 0419》


『冬の檻』


どぉん! どどぉん!

腹の底に響くような大きな音が、冷えきった浜辺を揺るがし
ている。
その度に、寒そうに手を擦っていたギャラリーの間から感嘆
の声が上がり、歓声がこだまする。
真っ黒な海面には、ほんの一時鮮やかな極彩色の渦が出来で、
それが瞬く間に再び闇に飲まれていく。

大輪の冬の花火は確かに見応えがあるが、厳しい寒さを我慢
してまで見ようとは思わない。
私は、海面を見つめる大勢のギャラリーから離れて、海岸を
逆方向に歩いた。

本当はもうホテルの部屋に戻って布団に潜り込みたいところ
だが、部屋の鍵は女房が持っている。
鍵を取りに行けば、まだ来たばかりなのにとすねられること
は間違いない。

せっかく熱い湯で体を温めた意味がないなあと。
懐手をして、花火に背を向ける。



cran2



防波堤の上に立って、暗い海岸と海を見つめる。

明かりがなければ、海と空と陸の区別は付かない。
ただ黒一色の中に私も飲み込まれ、その存在を失うんだろう。

だが実際には、港を囲む家々と工場の灯火が点々と海を縁取
り、夜空に穴を開けたような星が海になじまずにぽかりと浮
いている。

小さいながら冴えた光は、打ち上げられる花火の色と何も変
わらない。
そして……その光が私を照らし、暖めることがないのも……
同じだなあと思う。

私は防波堤を海岸とは逆方向に降りて、小さな公園に向かっ
て歩いた。

人気のないヨットハーバー。
格納庫。
そして……ハロゲンライトが青白く照らしている檻が……
あった。

檻?

いや、違う。
ブロックチェーンが並んだ鉄の柵。
きっと、船を引き上げて補修をするのに使われるんだろう。



cran1



扉もなく。
鍵もなく。
開け放たれたままの檻。

それには何も意味はない。

そこに入ることも。
そこにいることも。
何も意味はない。

だが、私はその中にいる自分を見つめる。
寒さの中で、震え、怯え、膝を抱えて顔を伏せている自分を
見る。

私が何をした?
捕われてここに閉じ込められてしまうような、何をした?
それを問うたところで、何も意味はない。

ただ。
私は、冬の檻の中にいる。

ぽつんと。

寒そうに。

「ちょっと、どこほっつき歩いてんの?」

女房のきつい声が背中でこんと跳ね返った。
私は我に返る。

「花火は終わったのか?」

「時間的にはまだ続くみたいだけど、寒いし」

「このくそ寒いのに、外で花火見るやつの気が知れん」

「だったら、さっさと部屋に帰ってればいいのに」

「鍵がないんだよ」

「あ、そ」

女房が私に鍵を握らせた。

「まだ見んのか?」

「いや、いいわ。あの子が風邪引いちゃう」

「元気だよなー」

「犬と同じよ」

「ははは」

私がじっと見下ろしていた檻。
女房はそれにちらっと目をやった。

「これ、なに?」

「ん? 檻、さ」

「檻ぃ? どう見ても違うでしょ」

「いや、俺にとっては檻なんだよ」

「……」

私は手にした鍵をちゃりんと鳴らす。

「ねえ」

「うん?」

「仕事……辞めるの?」

私はゆっくりと檻に背を向けた。

「いや……それは無理だよ」

「ぱぁぱぁあっ!!」

大声を上げながら。
息子が……走ってきた。





Song Of The Caged Bird by Lindsey Stirling