一昨年くらいまではリアルに考えられてなかった。
自分が死ぬということ。
これを、最近よく考えるようになった。
自分がいつ死ぬなんて、誰もわからない。
医者ですらも正確にはわからない。
でも、人はいずれ必ず死ぬ。
それは必然。
私は、いつ死ぬんだろう。
どんな風に死ぬんだろう。
そんなことを真剣に考えていたら、一昨年のある日、過呼吸になってしまった。
ものすごく怖くなってしまって、パニックになってしまった。
でも、冷静に考えてみた。
母が言っていた。
老人の方々の、腰が痛い、足が痛い、というのは、
身体が死ぬための準備を行っている証拠なのだと。
身体が死の準備に向かっている時に出すホルモン(?)が、腰が痛い、足が痛いと勘違いさせてくる物質なんだそう。
ということは、人が自然の流れにより死のうとしている時は、身体が準備している状態ということ。
つまり、きっとそんなには辛くない、はず。
けど、そうじゃないときは辛いかもしれない。
事故とか。
ってことは、事故に最大限気をつければいい。
と思ったら、少し楽になった。
それと共に、どうせいずれ死ぬなら、毎日楽しく生きなきゃ損じゃん!と思えるようにもなった。
いろいろ言ってはみたけど、
死ぬのは、きっと辛い。
きっと苦しい。
きっと痛い。
大丈夫、と言っている人はみんな死んだことのない人だし。当然のことだけど。
けど、死という必然に振り回されて、今を楽しめないほうが嫌だ、と思うようになれた。
それだけで今、わたしはしあわせ。
今はそれでいいんだと思う。
自分が死ぬということ。
これを、最近よく考えるようになった。
自分がいつ死ぬなんて、誰もわからない。
医者ですらも正確にはわからない。
でも、人はいずれ必ず死ぬ。
それは必然。
私は、いつ死ぬんだろう。
どんな風に死ぬんだろう。
そんなことを真剣に考えていたら、一昨年のある日、過呼吸になってしまった。
ものすごく怖くなってしまって、パニックになってしまった。
でも、冷静に考えてみた。
母が言っていた。
老人の方々の、腰が痛い、足が痛い、というのは、
身体が死ぬための準備を行っている証拠なのだと。
身体が死の準備に向かっている時に出すホルモン(?)が、腰が痛い、足が痛いと勘違いさせてくる物質なんだそう。
ということは、人が自然の流れにより死のうとしている時は、身体が準備している状態ということ。
つまり、きっとそんなには辛くない、はず。
けど、そうじゃないときは辛いかもしれない。
事故とか。
ってことは、事故に最大限気をつければいい。
と思ったら、少し楽になった。
それと共に、どうせいずれ死ぬなら、毎日楽しく生きなきゃ損じゃん!と思えるようにもなった。
いろいろ言ってはみたけど、
死ぬのは、きっと辛い。
きっと苦しい。
きっと痛い。
大丈夫、と言っている人はみんな死んだことのない人だし。当然のことだけど。
けど、死という必然に振り回されて、今を楽しめないほうが嫌だ、と思うようになれた。
それだけで今、わたしはしあわせ。
今はそれでいいんだと思う。