みなさん、お久しぶりです。
気づけば大晦日、いかがお過ごしでしょうか。
しかしまあ、長らくブログを放置していてごめんなさい!
ここ1年はいろいろありました…。
海外はクロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、トルコ、サンマリノ共和国、イタリア、スリランカ、マレーシア、シンガポール、デンマーク、スウェーデンなどへ取材に行き、
本を5冊書かせていただき、旅の講座や講演、キャスターのお仕事をさせていただいたりと、遊牧民をしておりました。
ついラクなTwitter発信になっていましたが、
断食シリーズを完結せねば年を越せない!
ということで、忘れた方も初めての方も、どうかお付き合いくださいませ。
<これまでの話①~④>
①断食修行に潜入! 水だけで3泊4日過ごしてみた@成田山新勝寺
▼5月29日(日) 断食修行4日目
地獄と極楽にも、食堂があるらしい。
こんな本を読みました。
ある人が亡くなってあの世で道を歩いていると、「地獄食堂」という看板の店があります。
中を覗いてみると、1mもの長い箸を使って食事をしていました。
みんな自分のことばかり考えて食べることに必死なので、
長い箸の先が向かいの人の目玉を突いたり、隣の人の耳を突き刺したりと、
食堂内は怒号が飛び交う阿鼻叫喚の修羅場。
あまりに悲惨なので店を出て歩いていると、
次に現れたのは「極楽食堂」という看板のお店です。
ここでも1mの長い箸を使うルールは同じ。
でも人々は和気あいあいと、笑顔で食事をしています。
では一体、先ほどの食堂と何がちがうのか。
よく見てみると、向かいに座る人同士が
互いに何を食べたいのか尋ね合い、
自分の長い箸でつまんだものを相手の口へと運んでいたのです。
つまり、地獄と極楽のちがいは環境や状況の違いではない。
心のもち方のちがいだけだ、
という仏教のお話。
断食中に読んで、余計じわじわと響きました。
心のもち方次第、か。
▼空腹の向こう側
ランナーズハイみたいな、断食ハイ? があるのかもしれない。
断食4日目は空腹のピークも過ぎて、昨日よりも体調は良好でした。
どこか吹っ切れたような、静謐な高揚感。
これが”空腹の向こう側”なのかしら。
遠い目をしつつも、同期のSさんと「いよいよ、お粥ですね!」と歓喜していると
新人のFさんが起き抜けに「おはようござ…おなかすいだぁーー」と、嘆きの叫び。
彼女の前で「お粥」というワードは、あまりに酷だったかも。
▼文字の牢屋
清々しい空に、冷えた手足をゆっくり伸ばしてみる。
早朝の健康チェックと、掃除、朝護摩をいつものように済ませ、
最終日に課せられるのが感想文の提出。
400字詰めの、これぞザ・原稿用紙という用紙を渡されます。
そういえば小学生のころに思ってた。
律儀に居並ぶ原稿用紙の400個のマス目。
文字はこの窮屈な四角い小屋に閉じ込められて平気なのか。
独りぼっちで淋しくないのか。息苦しくないのか。
隣りの文字とおしゃべりしたいんじゃないか、って。
文字の牢屋を壊したかった。
あのころのわたしは何と闘っていたんだろう。
原稿用紙のマス目に、なぜか一方的に敵対意識を燃やしておりました。笑
そんなわたしが提出した断食修行の感想文は、ぴったり400文字。
律儀に埋めた。怨念なのか、ライター修行の賜物か。
いや、もしかしたらあのマス目は牢屋じゃなく、バスや電車や飛行機の座席みたいなものだとしたら。
文字を載せたらいろんな場所へ連れて行ってくれる乗り物だったとしたら。
思考を旅させてくれる、眺めのいい座席。
なんだかそんな気もしてきて、空腹の向こう側で久しぶりに対面した原稿用紙に謝罪したくなりました。
▼米の輪郭
どれだけ切望したことか。
いよいよの食事。この日卒業する同期Sさんと彼、そしてわたしの3人で、神聖な儀式のようにお粥の土鍋を囲みます。
献立は、お粥(重湯)、梅干し、焼き味噌、緑茶。
芸術的に美しい和食。
玉手箱を開けるみたいに土鍋の蓋を持ち上げると、お米の甘い香りが湯気とともにふわっと漂い、深いため息が漏れました。
示し合わせずとも3人揃って「いただきます」と、深い深い合掌。
ずっと生ぬるい井戸水だけで過ごしただけに、体内に温度が宿る感慨はひとしおでした。
温かい飲み物がどれだけありがたいことか。
緑茶ってなんて友好的な味なのか。
そして、お粥。
ほぼ重湯なので、ほろほろと箸から滑り落ちるお米をもどかしくも愛おしく、ていねいに掬って口に運ぶ。
水分を含んだやわらかな米粒。久しぶりの固形物。
舌で米の輪郭を感じて、泣きそうになる。
甘い…。お米ってこんなに甘かったんだ。
甘じょっぱい焼き味噌は、まさに身体の細胞から求めていた味でした。
敏感な舌がびっくりしないよう、梅干しも箸で細かく刻んで、お粥に慣らしてそっといただく。
想像でしか出なかった唾液が、ここぞとばかりにあふれてくる。
3人とも「んーー! おいしい…!!」の連発。
最高にゆるんだ顔。たまらなく幸せな時間。
身体がじわじわ、温まっていくのがわかりました。
わたしの臓器としてわたしの身体に配属されて以来、胃や腸たちは初めての長期休暇を得たわけです。
ようやく彼らが仕事復帰にかかった今、身体を温めてくれるのは食べ物だけじゃなく、内臓がコツコツけなげに働いてくれているからなんだと当たり前のことを実感したのです。
▼飽食時代の栄養失調
これだけ食べ物があふれている時代。
身体の声に耳を傾けず、臓器に休みを与えず、むやみに働かせて
本来の栄養を吸収利用できない状態にしていなかったか。
飽食時代の栄養失調になっていないか。
身も心も、ほんとうに幸せな食事をしていただろうか。
そもそも、幸せってなんだろう。
仏教の本によると、幸せの語源は奈良時代の「為合わせる(ものごとを互いにする)」というものらしい。
室町時代には「仕合せ」となって、試合のことも「仕合」と書いていたそうです。
つまり「めぐり合わせ」の状態を表す言葉だから、自分だけが幸せになりたいと思って成り立つものじゃない。
かならず周囲のいろんな状況と合わさって、幸せは生まれるわけです。
だから切実に思いました。
今回お粥を作ってくれた人、お米を育ててくれた農家の人、
梅干しや味噌造りや稲作を継承してくれた日本の先人たち、
お皿を洗ってくれる人、ゴミを収集してくれる人、
そして、おいしいねと言い合える人がいること、
心から食べたいと切望する自分がいること、身体の細胞レベルまで。
もういろんな関係者各位にひたすら感謝!
心をこめて「ごちそうさま」
一生忘れない、とても有意義な食事体験でした。
▼別れ
「次は1週間の断食に挑戦してみてください」
別れ際にサラッと受付係が言うので悲鳴を上げそうになりつつも、いつか私はやりそうだなとも思う。
我慢することも、感謝することも、スマホを4日間断つことも、人と励まし合うことも、働いて食べるということの尊さも、いろいろと深く感じるところがあって、
「この修行、会社の新人研修でやるといんじゃないですかね」
などと同期Sさんとマジメに語りながら、名残惜しくも握手をして別れました。
びっくりしたことは、
帰りにお腹が空いてウィダーインゼリーを買ってみたら、ひと口で舌がピリピリとしびれる感覚。飲みきれなかったのです。
断食直後は化学調味料などの味がわかると聞いていたけど、こういうことか。
そして、電車内の匂い。
嗅覚も究極に敏感になっていて、香水や化粧品、シャンプー、柔軟剤などの人工的な香りが鼻にまとわりつくように迫ってくる。
かく言う3泊4日入浴禁止だったわたしは、思いっきり護摩の煙に燻された燻製風味…。
でも人間の恒常機能というのはすごい。
良くも悪くも、あっという間に平常運転に戻るんですね。
原始人みたいに研ぎ澄まされたと思った味覚も、嗅覚も、聴覚も、体重も。
▼食欲の華ひらく
3泊4日の断食で、体重は合計3.4kg減っていました。
そして、たった3日で元通り。
いやむしろ増えました。笑
断食後の食欲といったら、もうルネサンスのように開花してしまう。
3日間は肉、魚、卵、乳製品などはNGなので、お粥と自分史上最高においしい味噌汁を作り続けては感激のあまり食べすぎ、塩分でむくみ、通常食に戻れば今日は何を食べようかと楽しみで仕方ない。
メールでやりとりした同期Sさんも「何を食べてもおいしくて、食欲が止まりません!」とのことで、ちょっとほっとしましたが。
断食後の自己コントロールのほうが、ある意味修行でした。
急激に何かをすると、副作用もでかい。
変えたいものがあるなら、地道にコツコツ着実に、です。
むろん、ダイエットしたい人に断食はおすすめしません!
でも心身リセットできるのは確か。
個人的には、ほんとうに挑戦してよかったです。
なにはともあれ、年末年始ですからおいしく楽しく、食べましょう!
(この時期に書く話じゃなかったなあ…汗)
↑最終日に買ったお守り。両親には健康長寿、自分にはやっぱり仕事。
恋愛とか縁結びとか選ばないのが可愛くない!!
みなさま、今年もありがとうございました。
2018年もみなさまにとって幸せな食卓であふれますように♪
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★1月11日~ミクロネシアのヤップ島へ取材予定。
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