東京凱旋公演、大千穐楽の数日前、刻々と近づくその日の気配を受け、恐らく当日は何かとバタバタして、打ち上げでお酒も飲むであろうからブログを書く前に寝てしまいそうだなという懸念というか、怠慢の予感をいち早く察して、今のうちにそろそろこの三ヶ月を振り返り、書きおこしておこうかなと思うも、かつてない程のトライアルに満ちた、この生涯忘れ得ぬであろう夏の記憶に自らエンドマークを記すかのようで躊躇われ、思うように言葉も出てこず、そうこうしているうちに、あれよあれよという間にこうして大千穐楽の朝な訳です。

多分この文章が皆さんの目に触れる頃には六十公演最後の物語に幕が降り、皆があの本丸からそれぞれの道へと戻っていくその背中を見送ったあとのことでしょう。

…と、この時の僕は書いていますが現在、大千穐楽の翌々日の朝です。思った通りだったね。

さて、舞台「刀剣乱舞」日日の葉よ散るらむ、如何だったでしょうか。
僕はというと、案の定、一夜明けた今も尚、終わってしまった実感のないまま、なにやらまどろみの中にいるかのようで、もしや全てが泡沫の夢だったのではないかという気すらしてきます。
自室の壁に目をやると、今日からはもうお前はあの本丸に行かないのだという事実を暦が突きつけてくるのですが、受け入れることの出来ない自分に、それほどまでにあの日々が僕の中で日常となっていたことに気付かされます。

こうしてぼんやりと夢中の波間を揺蕩っていると、あの本丸で過ごす中、目にした数々の光景が引いては寄せる波が如く次々と立ち現れては消えて行きます。
ふと耳を澄ませば、大千穐楽の夜までついぞ欠かすことなく公演前に聞いていた高梨さんのお声も、波音のように聴こえてくるじゃありませんか 笑
このままでは十中八九寂しさに囚われてしまうと分かってはいるのですが、そう簡単に切り替えられるものでもありません。

稽古が始まった当初、暗中模索極まってどんどん内向きになっていった僕の心をあの座組の皆はこじ開けてくれました。
ある人は時に厳しく時に優しく諭してくれ、ある人は僕のとりとめのない相談に親身になって乗ってくれ、ある人は他愛もない冗談で心を解してくれました。
そして、皆様からのお手紙やツイッターでの言葉の数々。
送られてくる一つ一つの文字すら愛おしく感ぜられ、こんなにも沢山の方々が優しく見守ってくれているのだという事実に嬉しさと安心感に包まれた夜は数え切れません。
どんなに支えてもらっていたか、どんなに救われたか、全てを伝えられる言葉を持たないのがもどかしい程です。
あの日、配属された山姥切長義が、自らの持つ逸話を信じ、拠り所として在り続けたように、恐らく僕も、多くの背中を押してくれた言葉を信じて、拠り所としていたからこそ、心折れることなく六十公演に渡ってあの場に在り続けることが出来たのだと思います。


振り返れば、あの座組と、応援してくださった皆さんと一緒に歩んできた三カ月の軌跡があまりにも眩しく輝いていて、思わず立ち止まって引き返したくなってしまいます。
時の奔流というものは無情にも一方向で、僕たちはそれにただ流されていくことしか出来ず、だからこそ、時に水底の思い出を拾い上げては過去に立ち返ろうとするのでしょう。 
しかし、形を持たないはずのそれらすらも次第に風化していくことは間逃れません。

でも、山姥切長義の物語はまだ終わっていません。
恐らく、あれは彼の物語の始まりの一点が打たれただけだと思っています。
いつの日か、次なる点とを結んで一本の糸に。
激流の中でもその糸を手繰ればまた彼の元に辿り着けるはずです。より確かに。

最後になりましたが、刀剣乱舞を愛し、三カ月間寄り添ってくれた全ての方々に感謝を。
本当に本当にありがとうございました。

そして、山姥切長義へ。
大好きです。
いつか、また君と一緒に戦えるその日まで、僕も頑張ります。
だから君もあの本丸で頑張れ。