うちわ の歴史 | 登丸聖月オフィシャルブログ「登丸聖月の台湾四柱推命占」Powered by Ameba

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いつもありがとうございますクローバー








毎日暑い日が続いていますが、皆さんはいかがお過ごしでしょうか。















難波を歩いていたら、何箇所でもうちわを配っていました。





















このうちわ、















昔は王様や貴族など、高貴な人しか持てなかったと言います。














日本では、弥生時代のものが発見されているようです。












語源は










打ち祓うもの












で、病気や災いを祓う物として、魔術的な意味があったそうです。









ちなみに団扇という漢字は中国からきたと言います。












今のような団扇の原型が出来たのは室町時代で、











更に団扇が発展したのは戦国時代















武将達がこぞって団扇を手にしました。












軍配団扇と呼ばれるもので、戦場で采配を振る為に使われました。










ドラマなどで、必ず見る小道具です。











家紋を描き、武将そのものを表すアイテムでした。












日本全土が戦場になった百数十年もの間










鉄製の団扇や、うるし塗りの物まで作られました。










戦場で団扇はデザイン性を増していたのです。











相撲で、行司が軍配を持っているのは、この名残です。












江戸時代になると、団扇文化は発展し、庶民の物になりました。












団扇売りが団扇を売って歩くのは夏の風物詩だったそうで、














今のような、宣伝用の団扇が出来たのもこの頃だそうです。