藤川球児が甲子園に戻ってきました。
乙日生まれの藤川球児にとって、「甲子年」に出来た甲子園は喜神(喜神)です。
喜神である「甲」という漢字が入っています。
喜神というのは、自分に良い五行です。
草を表す乙には大きな木である甲からエネルギーを貰えます。
大運や年運で自分の喜神が廻ってくる以外にも、私達の身の回りには、喜神のアイテムが沢山溢れています。
単純に考えて、庚日生まれの私は人は庚申街道に住めばもっと強くなれることになります。
道路や建物の名前にも使われる干支ですが、誰が甲子年や、庚申年などを定めたのでしょうか。
この干支の起こりは、殷の時代に帝王が即位された時を甲子の年の甲子の月の甲子の日と定め、それ以来60花甲の法則にしたがって循環し、3000年たった今日に及んでいるそうです。
殷の皇帝は代々自分と関係のある10干をとって皇帝の名前にしたと言います。
帝小甲 とか 帝外壬 とかです。
殷の最期の皇帝は 酒池肉林で知られ、周の武王に滅ぼされた 紂王ですが、紂王の十干の呼び名は「帝辛」で、辛生まれでした。
帝辛は美貌を持ち、弁舌に優れ、頭の回転が速く、力は猛獣を殺すほど強かった。それゆえ臣下が馬鹿に見えて仕方なく、諫言を受けても得意の弁舌で煙に巻いてしまった。(ウェキペディア)
というので、ダイヤモンドを表す辛の象意だなあと思いました。辛の人は、美男美女が多く、元々働き者な人が多いです。
中国の王朝の変わり方は禅譲(平和的に譲る)と放伐(武力)の二種類で、90%以上が放伐と言って、武力で前の王朝を倒して新しい王朝を開きます。
前の王朝は否定的に書かれることが多いので、
紂王も史実と言い伝えの違う一人なのかな思いました。