夫婦同姓の根底にある性役割 | 酉あえす

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今月は、参議院選挙の公示があります。投票は来月ですけれどもね。

それもありまして、先の自民党総裁選でも争点となった、選択的夫婦別姓について今回は触れたいと思います。

参院選でどこまで争点になるかは不透明、といいますか、あまり争点にならなさそうに気もしますけれど。コロナや国防が主要な争点になりそうですものね。

 

さて、夫婦は同姓であるべきか、別姓を認めるかという問題ですが、条文上、仕組み上は、男女平等なんです。妻になる人と夫になる人、どちらの姓を選ぶかは自由なわけですから。しかし、ここで、世間の古いジェンダー感、性役割を押し付けられる人がいるから、不満が上がってくる。問題は、ここなのです。男性が社会の主役で、女性は男性が活動しやすいように援護する存在であるというイメージ、根深い圧力が今なお残っている。

つまり、建前上の問題と、本音の問題が異なっているのであります。

 

建前上の問題と本音の問題が違う。ここ大事なのでもう一度言いました。

建前上の問題とは、家族の一体感が失われるのではないか、家族は同じ苗字であるべき、子どもがどちらの名字になるのかややこしくなる、といったところ。しかし、実際には、妻が夫の姓に改姓するのが普通という感覚こそが問題の核心であるのです。

 

法務省のサイト、

ここからから転載しますが、

 

『A 厚生労働省が取りまとめた「人口動態統計」によれば、夫の氏を選択する夫婦の割合は以下のとおりです。
  令和 元年 約95.5%
  平成27年 約96.0%
  平成22年 約96.3%
  平成17年 約96.3%
  平成12年 約97.0%
  平成 7年 約97.4%』

 

20組中19組以上の割合で、妻となる人が改姓しているのです。

女性の社会進出率が極めて低かった時代、女性の名字が変わることがおめでたいという時代であれば、改姓における不都合を女性が訴えたとしても、少数派として社会の圧力で駆逐できたかもしれません。

しかし、女性の社会進出が進んだ今、女性が改姓するのが自然という空気に反発が益々強まっています。その中身は、大きく2つあると感じています。ひとつは、嫁が婿のところに嫁いでいく、女性がこれまでの家系から離れて新しい家系に移る、改姓がこれの象徴のように感じられることによる喪失感。今までの自分が消えていく、あらゆる書類を書き換えていく過程でそのように感じる方がいらっしゃるようです。

もうひとつは、ビジネスの上での不都合といいますか、面倒さ。会社などで働いている中では、仕事仲間や取引先にプライベートは関係ありません。独身だろうと既婚だろうとどうでもいいことが多いです。もちろん、世間話、コミュニケーションもあり、身の上をある程度知ることがいい場合もありますが、そのウエイトが大して大きいとは思えません。仮に、結婚したしないの情報がビジネスの場でプラスになることが多いのだったら、かつて女性の社会進出がもっともっと限られていた時代においても、男性が改姓した方がいいという考えになったでしょう。家庭を持った、一家の主となったことを、円滑に、自然に伝えられることになるのですから。

つまりは、ビジネスの場において、多くは、改姓は煩わしいということです。不利にさえなり得るということです。

更に、ビジネスの場では、それに追い打ちをかけるように、性役割の偏見により、既婚女性のイメージを悪く捉えてしまう印象があります。男性は仕事を優先し、女性は家庭を優先するというイメージがまだまだあると感じられます。つまり、子どもが体調を崩したとか、学校の参観日といったイベントにおいて、仕事を休む可能性が男性よりも高いというイメージです。

 

これは横道の話ですが、子どもの不調やイベントなどで仕事を休む可能性が、男性よりも女性が高いというのは事実だと思います。しかしそれは、男女の賃金格差とか雇用形態の差により、旦那が仕事を休む場合と妻が仕事を休む場合の家計への影響がそうさせているからでしょう。ビジネスの場で男女の影響力に差がなくなっていけば、女性の方が子どものことで仕事を休みやすいということはなくなっていくことだろう。

もちろん、身体の差として、妊娠期から授乳期では女性の負担が圧倒的に多く、その時期に限れば女性が仕事を離れることが多くなるとは思うのですが、今の時代、そこを挙げて、だから女性は休みやすいなどと言ったら、炎上不可避です。

少しでも早い時期に、男女の収入の格差がなくなることを願います。

 

横道を離れますが、言いたいことは、女性が改姓で不利になる可能性が、男性に比べて多いということです。

にもかかわらず、現状95%以上で女性が改姓している。

 

条文の上では、男女平等、公平であることが空しい。日本の先進性は看板だけなのかと。

完全な平等実現するための私の案としては、どちらの姓になるかは、本人たちに選択権がないようにしてはどうだろうか。

完全ランダムにしてはどうだろうか、婚姻届けを出した後、完全な抽選によってどちらの姓になったかが通知される。または、年上の方の姓とするとか、社会の空気とかを押しつぶせる条件を法で決めてしまうとか。

合理的理由(家系の存続、難読など)がある場合には、家裁に申し立てできるようにしておけば、大した問題も起こらないように思います。

 

家族の一体感が夫婦別姓で損なわれるという見方に対しては、改姓する側が男女どちらなのか、フィフティーフィフティーに近付いた後でないと、話は進められないと思う。その後でこそ、相手の家系に入るかのような考え方が続くのかとか、それがそれでも喪失感に繋がるのかなどが見えてくる。

また、家父長制が元となっているイメージとか、それが一般的であるという見方は、徹底的に破壊されるべきである。