20年前の子宮がん 放射線治療 | がんも二度目なら・・・

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過去そして現在のがん闘病について、また日々思うこと

手術を終えて2週間ほどたつと、すっかり体調ももどった。


入院予定は1ヶ月と聞いていたので、そろそろ退院できると思っていた。


看護師さんから、「説明があるのでご主人を呼んでください」と言われたときも、退院の話だと思った。


しかし、医師から聞かされたのは思いがけない話だった。


「手術はうまくいって悪いところは全部取れたが、手術後の炎症をふせぐため電気を当てる」


私はこの「電気を当てる」というのが、放射線治療のことだとわかった。


そしてまた、「どうしてきちんとした説明をしてくれないのか」という不満がわきあがった。


実際には、転移したリンパ節を取りきれなかったため放射線治療の必要があったのだが、私には、「電気を当てる。副作用は皮膚がすこし赤くなる程度で、それもしばらくしたら元に戻る」

という程度の説明しかなされなかった。


この時期、大学病院の放射線機械が入れ替えのための工事中だったので、別の病院で治療を受けることになった。



この病院は小規模で、設置してある放射線の機械は当時としても性能が低かったらしい。


放射線治療が始まるとすぐ、食欲不振になった。


白血球の数値もはじめの数回でかなり下がったので、「このまま下がるようなら中止にするかも」と言われたが、なんとか継続。予定の30回を終えた。



副作用は「皮膚が赤くなる」程度ではなく、腹部と腰はやけど状態。


腹部はワニ革のようなカサブタができ、はがれてもまたカサブタになるということを繰り返した。


腰の部分は巨大な水ぶくれができた。


ひどい下痢になり、まったく水のような便になった。



このときの放射線治療の影響で、数年後に歩行障害が起きることになった。


また、放射性大腸炎になり、下血や下痢は20年間続くことになった。


今回の大腸がんも放射線治療の影響だと思っている。



           「20年前の子宮がん 抗がん剤治療」 につづく