20年前の子宮がん 抗がん剤治療 | がんも二度目なら・・・

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過去そして現在のがん闘病について、また日々思うこと

辛かった放射線治療がようやく終わり、今度こそ退院かと思っていた。


「先生から説明がありますからご主人を呼んでください」と言われた。


もう何回こんなことがあっただろう。


あとで分かったことだが、このようなとき、私はつまらない検査(採血とか検尿とか)に呼び出され、

そのすきに夫を別室に連れていき、夫だけに説明がなされていた。


そのあと、私と一緒に受ける説明は真実ではなかったのだった。


私に対する説明は「予防的な抗がん剤治療」というものだった。


私は「予防的なものなら受けません」と言った。

医師は「受けなければいけません」と言う。


私「予防的なものでしょう」

医「予防的なものです」

私「今、治療すべき何かがあるんですか」

医「何もありません」

私「じゃ、受けません」

医「いや、だめです」

私「受けたほうがいいということですか」

医「いや、絶対受けなければいけません」


かみ合わない話が続いたあと、やはり抗がん剤(とは言われていないが)による治療を受けることになった。



5クール受ける必要があると言われ、入退院しながら、治療を受けた。


はじめての抗がん剤治療は凄まじかった。


朝から尿道にバルーンカテーテルを入れる。(トイレには行けない)


食事はどうせ食べられないから中止。


そうして始まった点滴には、強力な精神安定剤が入っていて、まぶたを開けるだけでも大変な努力が必要なほど。

言葉を発することもできない。

意識はあるのに、見た目は眠っているように見えるらしく、

「ぐっすり眠ってるね」という声が聞こえる。

抗がん剤による吐き気もあるが、それを訴えることができない。


1日目の点滴はそんな状態で終わり、翌日から数日間は薬を洗い流す(?)点滴で、ベッドに寝たきりからは開放される。


初回からの3クールは同種類の点滴だったが、私は精神安定剤は抜いて欲しいと訴えた。


医師から「副作用がとんでもないことになるからダメ」と言われたが、何度も頼んで抜いてもらった。


吐き気や嘔吐は毎回あったが、脱毛は起きなかった。



4クール目は、担当医が変わった。


その医師は「脱毛も起きない治療なんてみとめない」と言い、

それまでの治療とは全く違う薬剤をつかうようになった。


私が「薬の名前を教えてください」と言うと、「そんなこと知ってどうするの!」と叱られた。


4クール目の治療は副作用の出方が違って、点滴中は比較的なんでもなく過ごせた。


しかし、翌日から少しずつ気分が悪くなり、吐き気嘔吐が起きるようになった。


数日たつと、髪の毛がまるで枯葉のような手触りになり、バサバサと抜けていった。


食事はまったく食べられなくなり、1週間で体重が5キロ減った。


これ以後、病院の食事はほとんど食べられなくなり、家族に差し入れてもらったものを食べていた。


ようやく5クールが終わりホッとしたところで、「追加でもう1クール」と言われた。



こうして6クールの治療を受けたあと、決定的なことを言われた。


この治療を無限に続けていく必要があると言うのだ。


私ははじめ、手術が終われば職場復帰できると思っていたので、とりあえずは休暇をとっていた。


その後、入院が長引くにつれ、休職になっていたが、ここへきて、退職せざるを得なくなった。


そして、子どもがまだ小さかったこともあり、母に手伝いに来てもらうのも限界だと感じ、郷里へ戻ることにした。

 

「向こうの病院へ行ったらすぐ入院してくださいね」と言われて転院したので、


当然すぐ入院して抗がん剤治療を受ける必要があると思っていた。


前の病院からの紹介状の覗き見ると、「再度の放射線治療が必要」などと書いてある。


しかし、転院先の医師は「もうこれだけやってるんだから必要ない」と言う。


私は前の病院で医師とのやりとりに疲れはてていたので、


今度の病院では、何もきかず、何も言わないと決めていた。


だから、このとき実際にどういう状態だったのかわからない。



でも、とにかくこのあと、経口の抗がん剤以外の治療は受けなかった。


そして入院もしないまま、20年が過ぎた。