辛かった放射線治療がようやく終わり、今度こそ退院かと思っていた。
「先生から説明がありますからご主人を呼んでください」と言われた。
もう何回こんなことがあっただろう。
あとで分かったことだが、このようなとき、私はつまらない検査(採血とか検尿とか)に呼び出され、
そのすきに夫を別室に連れていき、夫だけに説明がなされていた。
そのあと、私と一緒に受ける説明は真実ではなかったのだった。
私に対する説明は「予防的な抗がん剤治療」というものだった。
私は「予防的なものなら受けません」と言った。
医師は「受けなければいけません」と言う。
私「予防的なものでしょう」
医「予防的なものです」
私「今、治療すべき何かがあるんですか」
医「何もありません」
私「じゃ、受けません」
医「いや、だめです」
私「受けたほうがいいということですか」
医「いや、絶対受けなければいけません」
かみ合わない話が続いたあと、やはり抗がん剤(とは言われていないが)による治療を受けることになった。
5クール受ける必要があると言われ、入退院しながら、治療を受けた。
はじめての抗がん剤治療は凄まじかった。
朝から尿道にバルーンカテーテルを入れる。(トイレには行けない)
食事はどうせ食べられないから中止。
そうして始まった点滴には、強力な精神安定剤が入っていて、まぶたを開けるだけでも大変な努力が必要なほど。
言葉を発することもできない。
意識はあるのに、見た目は眠っているように見えるらしく、
「ぐっすり眠ってるね」という声が聞こえる。
抗がん剤による吐き気もあるが、それを訴えることができない。
1日目の点滴はそんな状態で終わり、翌日から数日間は薬を洗い流す(?)点滴で、ベッドに寝たきりからは開放される。
初回からの3クールは同種類の点滴だったが、私は精神安定剤は抜いて欲しいと訴えた。
医師から「副作用がとんでもないことになるからダメ」と言われたが、何度も頼んで抜いてもらった。
吐き気や嘔吐は毎回あったが、脱毛は起きなかった。
4クール目は、担当医が変わった。
その医師は「脱毛も起きない治療なんてみとめない」と言い、
それまでの治療とは全く違う薬剤をつかうようになった。
私が「薬の名前を教えてください」と言うと、「そんなこと知ってどうするの!」と叱られた。
4クール目の治療は副作用の出方が違って、点滴中は比較的なんでもなく過ごせた。
しかし、翌日から少しずつ気分が悪くなり、吐き気嘔吐が起きるようになった。
数日たつと、髪の毛がまるで枯葉のような手触りになり、バサバサと抜けていった。
食事はまったく食べられなくなり、1週間で体重が5キロ減った。
これ以後、病院の食事はほとんど食べられなくなり、家族に差し入れてもらったものを食べていた。
ようやく5クールが終わりホッとしたところで、「追加でもう1クール」と言われた。
こうして6クールの治療を受けたあと、決定的なことを言われた。
この治療を無限に続けていく必要があると言うのだ。
私ははじめ、手術が終われば職場復帰できると思っていたので、とりあえずは休暇をとっていた。
その後、入院が長引くにつれ、休職になっていたが、ここへきて、退職せざるを得なくなった。
そして、子どもがまだ小さかったこともあり、母に手伝いに来てもらうのも限界だと感じ、郷里へ戻ることにした。
「向こうの病院へ行ったらすぐ入院してくださいね」と言われて転院したので、
当然すぐ入院して抗がん剤治療を受ける必要があると思っていた。
前の病院からの紹介状の覗き見ると、「再度の放射線治療が必要」などと書いてある。
しかし、転院先の医師は「もうこれだけやってるんだから必要ない」と言う。
私は前の病院で医師とのやりとりに疲れはてていたので、
今度の病院では、何もきかず、何も言わないと決めていた。
だから、このとき実際にどういう状態だったのかわからない。
でも、とにかくこのあと、経口の抗がん剤以外の治療は受けなかった。
そして入院もしないまま、20年が過ぎた。