脱・ICU | みずいろ みずたま ねこの部屋

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大腸ガン 腹膜播種ステージⅣ

初発から5年、再発から4年
そして最終ステージへ

くじけない、めげない、懲りないをモットーに 日々を綴ります

心身ともにギリギリのところから無事戻ってきたにゃーこ、意識だけは日々はっきりとしてきました

3日目から食事が始まると ようやく時間の流れが分かるようになりました
相変わらず液体のお食事でしたが、初めて口にする重湯は沁みます...
(病院で重湯にはまり、重湯舐めたさにお粥を炊くほど 笑)

食事が始まるとリハビリも始まり、全く動かない左足でしたが 踏ん張る力はあることが分かり、立ったり ベットから車椅子に移動したりするように

理学療法士さんに「にゃーこさん、何かスポーツされてたんですか!?」と驚かれるほど 運動センスがあったようで気を良くしたり(実際は何もしていません、唯一フラだけ)
リハビリが始まり 疲れているはずなのに相変わらず寝ることは出来ませんでしたが 天井の歪な孔穴ボードの形を何かに喩えたりして時間を過ごしたり

そして 私は41歳にして オムツを経験しました
(なんと退院するまで!理由は追々)

繋げた腸に圧が掛からないように、とスティック状のものが挟まれ、常に便は出る状態だったのです

オムツを替えてもらう事が恥ずかしくもありましたが 人間の慣れって...恐ろしいですね(笑)
やっぱり替えてもらうと とっても気持ちがいいんです
ムスメが赤ちゃんの頃は こんな気持ちだったのかなーなんて想像したり

自分では全く動けませんでしたが、いつの頃からかICUの中で1番、2番を競う元気な状態になりました

私がICUを出られなかった理由は...
外科病棟の満床、でした

早く出たい、ここに居たらベットにくっついちゃう
と焦っていました

1、2を競う元気な患者はお隣のお婆さん
もうしっかりとしたお食事をされ、ご自分でトイレも行ってらっしゃる

そして ベットが空くかも、と連絡が
(全ての会話、耳をダンボにして聞いてます)
その時、看護師さん達がどの患者を出すか相談していました

若い看護師はお隣のお婆さん、1人でなんでも出来るし、とか言ってる〣( ºΔº )〣
やばい、私も元気アピールせな!とベットのリクライニングを直角近くに起こしてみたり...

これが功を奏したのか(どうか 笑)

ICUの看護師長さんが私の方に近づき
「にゃーこさん、出たいよね?」と

声が出ず、うなずきました、目で訴えました

そして...

看護師長さんが交渉して下さり、私が外科病棟に行く事に
お婆さんには申し訳なかったけれど...
私が眠れていない事を知ってくださっていたようです
...お婆さん、昼も夜もイビキかいて寝てらっしゃったから(*´-`)


クリスマスイブの夕方
私はやっとICUから外科病棟に移る事ができました