目の前の人に一生懸命“わたし”の意思を伝える。

【わかってもらおうとする】
【伝わらなくてガッカリする】

それに対して相手も一生懸命“じぶん”の意思を主張してくる。

お互いがそれぞれに自分を表現する。
それでいいじゃないか!

例え、ガッカリと感じたとしても、共鳴と感じたとしても、それがただの反応。

ガッカリに執着して次の感情や思考がわき起こったり、共鳴を絶対的な事象に信じこんでしまうことが現実を複雑にしてしまっている。

一瞬の隙に、この世界の幻想を作り出してしまう。
巧妙過ぎて、なかなか見破れない。

だけど、どこが真実なのかは、みんなが本来は知っている。

自分の人生のカスタマイズが、いかに深く濃く生きるか!をテーマにしていたり、どこまでも軽やかにフワ~と生きれるか♪だったり、そんな違いでしかない。

周りの人に一喜一憂している暇はない。
自分を生き抜くのに、そんな余裕は組み込まれていない。
周りの人は、“わたし”をとことん知るためのセッティングでしかない。

どこまでも無限に広がる“わたし”の世界。
可能性を決め込んでしまわなければ、最期の最期まで広がり続け、繋がってやがて統合されてゆく。