水井さん

自分には生まれつき複数の持病があり、その病の二次障害で心が病んでいたようで、前回のコメントは空気を読まず、気遣いがないもので本当に失礼だったなと申し訳ない気持ちです。

HSPとは真逆に位置する病ですが、現代の医療でも治療法はなく、学びや瞑想、運動などで心を鎮めても改善が難しいもので衝動性や共感性の低さなどで人に迷惑をかけてしまうことも多く、後から申し訳ない気持ちになります。

HSPやLGBTなどの個性と同様に、そのような先天的な個性を持ち、苦しむ人たちのためにも病に打ちのめされても、なんとか耐えて、サイエンスや芸術、思想、運動療法など、有効な治療法を研究しなければいけないなと思い、いまも試行錯誤しています。(^^;;


>悪いことをしなければ、とてもこの社会では成功しない。

>そういう考え方も、あながち間違っているとは思わない。

言葉は曖昧でして、「マスターの教え」と同じように、この言葉も多様な解釈がなされると思いますが、よろしければ「悪とは何か?」について教えて頂けたら嬉しいです。

「神の定めた法則に反している人」という意味で言えば、一切が程度の差こそあれ、無知により悪事をしてしまっていて、カルマの法則により、いまの世界が苦しみが多い世界なのも当然なのかも知れないなと思いました。

腐敗政治などの悪を無くそう(滅ぼそうと)として、国家権力を敵にまわし、反感を買い、暗殺されてしまった政治家なども居ますが、もしかしたら、そうなってしまう負のカルマや悪に対するヘイト感情が原因で「悪に打たれる結果」を引き寄せてしまったのかな?と思いました。

ただ、過去にイエスのように磔にされたり、そこまでいかなくても流刑になったり、拷問を受けた聖人も居て、カルマの法則では説明出来ないこともあり、そのような史実を考えますと、どうもスッキリしない気持ちになります。

映画やゲーム、漫画の世界のように、シンプルに「常に正義が勝つ世界」ならば良かったのですが・・・。

真我実現し、この世界を卒業するか、徳を積み、天界のような世界に行くしか、「確かな幸せ」は手に入らないのかも知れませんね。

 

 

そんなに気にしないでください。

 

障がいを持たれているということですが、それは単に医学が追いついていないだけで、おっしゃるように個性の一つだと思います。

 

LGBTも近年は理解が進んでいますが、以前は、病気だと思われていました。

 

まだ今の社会には、様々な偏見や差別があります。

 

そういう差別をなくしていくことが大切ですね。

 

 

悪についてですが、わかったようなことを言ってしまうと、悪も神の属性の一つなのでしょう。

 

なぜなら、空気抵抗がなければ飛行機が飛ばないように、悪がなければ、善を育てていくことができないからです。

 

そう考えれば、悪というのは、舞台の悪役のようなものであり、この世界のドラマを構成している重要な要素なのだと思います。

 

ただ、このようなことを書いても、私は知的に書いているだけであって、実際は、この世間の悪に苦しんできましたし、私自身の中にある悪の要素とも戦ってきました。

 

 

カルマという概念で考えると、良いカルマ・悪いカルマという二元性に基づく捉え方になるので、悪いカルマのせいでこの世が混乱しているということになります。

 

しかし、インドのヴェーダの教えのように一元性を基盤にして考えれば、良いカルマも悪いカルマも、それらはすべて神なるものの現れであり、すべてはあるがままで調和しているということになります。

 

もちろん、これはそんなに簡単に言えることではなく、不幸や病気や死というものは、私たちに大変な苦しみをもたらします。

 

そういうものを乗り越えながら、本当の意味で、この世界の悪に対して達観していくしかないのだと思っています。

 

 

この世というのは、私にとっては本当に苦しくて、きつい世界です。

 

正直、地獄のような世界だなと思います。

 

しかし、きっとこの地獄は、同時に、天国でもあるのではないかと思うようになりました。

 

親鸞は、「地獄は一定すみかぞかし」と言いましたが、ネガティブなものを完全に受容したとき、そこには、ある種の安らぎが生まれます。

 

それは、地獄を恐れている段階では、生じ得ない安らぎです。

 

私が目指しているのは、真の安らぎであり、それは善悪を超越した領域にあると思っています。

 

その領域は、どこか遠くにあるのではなく、きっと、目の前の、あるがままのこの世界に存在するのだと思います。