ピアノの練習は何度も繰り返し練習することが大切なことは、今さら言うまでもありませんし、どなたも異論はないでしょう。

しかし、ピアノの練習において、なぜ何度も繰り返し練習することが必要で大切かと問われた時、どれだけの方が明確な答えを出せるのでしょうか。

クラシックピアノの演奏は、その取得に幼少の頃から10数年をかけ、その後も長い年月をかけて研鑽を続けていらっしゃる方々がほとんどです。

この、幼少の頃から、、、という点は、脳と身体の成長期と並行して練習を積み重ね、その結果としてピアノを弾く行為を感覚として身につけていると考えられます。

ピアノが、そうして育まれた感覚で弾かれるのであれば、擬似的であれ、他の方法であれ、何かしらその代わりとなる感覚や状態を身につけるための練習が必要となると考えます。

こうした事情から、大人がピアノを始める際、再開する際、幼少期から練習を重ねてこられ、ピアノを弾く感覚を身につけていらっしゃる先生方、専門の方々と、ギャプが生まれることは致し方ないことなので、教えを受ける場合、受ける側がそのギャップを埋める工夫を凝らすことが必須となると思われます。

がしかし、大人向けに書かれた初学者向けの書籍などは、従来の幼少期からの練習システムの焼き直しや、個人的な経験を語るものが多く、その思考の源泉となるものがあまりにも見当たらないのも、また現実です。

そうした意味も含めて、ここでは誰もが否定できない、ピアノの練習が何度もの繰り返しを必要とすることが、どのような作用と効果をもたらすのかを考えてみます。


物事を身につけようとした場合、繰り返し練習することが必要なのは、何もピアノに限ったことではありません。

日常生活においては、自転車の様に練習してできる様になったこともあれば、自然とできる様になったこともあります。

しかし、自然とできる様になったと思っていることも、考えてみれば、自然と繰り返し、結果として繰り返し練習していることがほとんどです。

繰り返し練習することで、1,000億以上あると言われている脳とそれに付随する神経細胞が、その行為を行うために電気的に繋がり、神経ネットワークを構築すると考えられています。

物事を繰り返し練習することで構築される、脳内での神経ネットワークは、その形を直接的に目で見ることはできませんが、記憶として確認することができ、ピアノの練習では上達として結果にあらわれます。

ピアノの練習において、脳内神経ネットワークの構築は、その第一段階として、その曲のその部分を弾いたことがあるかないかという記憶として確認できます。

弾いたことがあるというのは、どの程度弾けるかは全く問題ではなく、極端に言えば、単にその曲のその部分を練習したことがあるかないか、その曲のその部分を弾こうとしたことがあるかないか、単なる経験の問題をいいます。

幼少期から練習を積み重ねてこられた方々は、ピアノの演奏に対する脳内ネットワークは高度に構築されていらっしゃると推測でき、そこには当然、応用的な力も作用するので、曲の難易度にもよるのでしょうが、譜読みとして曲に取り組めば早い段階である程度の演奏が可能だと考えられます。

大人になって始める、再開するピアノの練習では、この脳内神経ネットワークを何も無いゼロから構築するわけですから、その曲のその部分を弾いたことがあるかどうかを、これから長い時間をかけて積み重ねていく練習の第一段階として認識することを軽んずることはできません。

この「・・・したことある」という、記憶の第一段階は強力で、ピアノを再開する方なら、数年前でも、10数年前でも、あるいはそれ以上前でも、その曲を弾いたことがあるかどうかは、おおよそ記憶として残っていると思われ、それこそが、これから構築される脳内ネットワークの第一歩と考えられます。

ピアノに限らず、どこかの場所なら、そこで何をしたかはともかく、行ったことあること自体を、何かの本ならば、読み始めは忘れていても、読み進めるうちに、内容はともかく、読んだことあるかどうかを思い出すことは多々あると思います。

もっとも、本の場合は文字情報なので、全く忘れてしまうこともあるかもしれませんが、どこかの場所へ行ったことがあるか無いかは体験なので、数十年経ていても記憶として残っていて、ピアノは体験、しかも、ストーリーのある体験と認識されるので、繰り返しの積み重ねによる練習で構築される脳内神経ネットワークは強固なものとなり、強い記憶となります。

さて、構築される脳内神経ネットワークと、その基となる情報は、厳密に1対1とその組み合わせで関係づけられると考えられます。

ピアノの演奏では、同じ鍵の打鍵でも前後の条件により、鍵の位置情報のほか、その打鍵時の指を開く角度、手の甲の形、手首や肘、肩などが、角度や高さなど、定量化可能な要素として数値化され、意識しようとしまいと、一連の情報として認識され、繰り返し練習することでひとつの脳内神経ネットワークが構築されます。

このネットワークの基となる情報は限定的で、ピアノの場合は特に、曲を構成する、ある1まとまりの音に対して、1つの脳内神経ネットワークが構築されると考えられます。

このことは、楽譜に記された音は正確に打鍵することを条件としているクラシックの曲に対しては非常に都合よく、1連の決まった音に対して、運指をはじめとして、1連の決まった体の動きを、1つの脳内神経ネットワークとして構築することが可能であると考えることができます。

そして、脳内神経ネットワークは、正誤良悪などの判断をせず、間違った打鍵はそれも含めた1連の決まった体の動きとしてのネットワークが構築されます。

このことも、クラシックのピアノ曲に対しては都合よく、部分的な修正の方法などを確立しておけば、意思によるコントロールが可能であると捉えることができます。

つまり、構築される脳内神経ネットワークは、学習者がその場その場での最善の状態と意図して繰り返すことで、より強固なものへと塗り重ね、構築に対してコントロールが可能となると考えられます。

ピアノの演奏では、その曲の音楽的表現を最終目的とするならば、その前段階までにクリアするべき課題がありますが、繰り返し練習することで、演奏に対しての脳内神経ネットワークを構築し、そのネットワークが正誤良悪の判断をしないのであれば、間違いは間違いのまま、1連の情報として神経ネットワークは構築されるため、早い段階で間違いや不安定な打鍵は修正した方が良いことは言うまでもありません。

もっとも、生身の人間の仕業なので、 やる気の継続という大切なファクターがあるので、間違いや不安定な打鍵を残したまま先に進むことを一概に否定する必要はないと考えます。

さらに言えば、いったん構築された脳内神経ネットワークに対して、間違いや不安定な打鍵の修正や指番号を変更する方法は決して難しいものではないので、練習の初期段階で徹底的に間違いを正し、不安定な打鍵を修正するか、とりあえずでも最後まで引き通すかは、要はバランスの問題だと言うことができます。