ピアノの練習を数値化しようと考えた場合、その因子としては、弾く回数と、弾く時間が思い浮かびます。

 

回数と時間は、

 

時間=単位時間×回数

 

という関係になります。

 

単位時間は1回弾くためにかかる時間なので、練習の段階に応じて、その時間は変化します。

 

さて、練習の回数を考えるとき、前提となる大きな条件があります。

 

それは、正確に弾くことです。

 

正確に弾くという言い回し自体、その意味に幅がありますが、ここでは「音の高さを間違えない」という意味で正確にとします。

 

ピアノの場合、音の高さを間違えていなければ、楽譜に記された音を、88の鍵盤上から鍵の正しい位置を選んでいることになります。


 

また、ピアノの練習において、繰り返し弾き、練習することが大切なことに異論の余地はないと思われます。

 

ここでは繰り返し練習する理由と目的を、無意識も含めた記憶に定着させることとします。

 

であれば、瑕疵のある状態での繰り返しは、その状態に磨きをかけている様なものになります。

 

当然それが良いことではないと誰もが考えますが、一方で間違えない様にするための繰り返し練習では?との考えもあるかと思われます。

 

しかし、ただ単に繰り返すだけでは、間違えずに弾ける様にはなりません。

 

繰り返すだけで間違いがなくなるとしたら、それは偶然を待つ様なものですし、仮に一旦は間違えずに弾けたとしても、次も間違えずに弾ける確信は得られないでしょう。

 

もちろん、基礎練習から始める教本を基に練習する従来の考え方もありますが、ある曲の弾けない1箇所を、高い確率で間違いを無くす練習としての具体的な方法だとは言い難く思えます。

 

ある段階までのピアノの練習では、間違いを無くす具体的な方法の基に練習することと、間違いが無くなることに確信を持って繰り返し練習することが大切です。

 

そのために、ピアノを弾くことを構成する要素の中から絞って、「弾く音の高さを間違えない=弾く鍵を間違えない」ことにフォーカスします。

 

もちろん、曲を構成するのは音の高さだけではありませんが、音の高さ=鍵盤の位置、を正確に弾くことを最初に押さえることができれば、運指、速さ、脱力、表現など多くの重要なことが「弾き方」として、まさに「繰り返す」ことで練習を進めることができると考えます。

 

さてさて、とは言え、間違えずに弾くこと自体、難しいと感じる方も多い様ですが、冷静に考えるとピアノに関しては、鍵盤が目視できるので、「音の高さ」つまり、弾く鍵盤の位置を間違えない練習は工夫次第で十分に可能です。

 

それでも間違えずに弾く練習を難しいと感じるものにしている要素はいくつか考えられますが、その大きな負の柱となっているのが「曲のイメージ」です。

 

ピアノに限ったことではありませんが、ある曲を練習し演奏しようとする場合、最初に楽譜から曲を読み取りイメージをつくり、記された音符を楽器を通し曲として再現します。

 

ところが現実問題、多くの場合、曲は楽譜からではなく、演奏された音を聞いて、意識しようとしまいと先にイメージがあり、補完するかの様に楽譜を「見る」ことによって音を確認し、練習、演奏するのではないでしょうか。

 

楽譜から音を採ること自体、ソルフェージュ技術の訓練が必要で一朝一夕で身につくものではなく、理想ばかり考えても埒が明かないので、曲を把握するために、先に曲を聞くこと自体、一概に否定することは出来ませんが、学習者には様々な問題が起こり得ます。

 

この現代では、未発表の新曲でもない限り、聞いたことない曲は探せば、ほぼほぼ音源が見つかります。

 

聞いたことない曲を音源を探して聞くこと自体、決して悪いことではないし、曲にイメージを持つことも悪いことではないのですが、ここには1つの大きな落とし穴があります。

 

その落とし穴は、脳は最初に入った情報を正しいと認識するクセを持っていることで、人間はその認識に強く縛られる傾向があると言う点です。

 

この強いクセはピアノの練習、演奏においても同様に発揮されます。

 

特に、耳から聞いた曲には、イメージが付きます。

 

人は曲を聞いたとき、少なからず興味を抱いた曲には、美しい曲、心癒される曲、心踊る曲、カッコいい曲、、、など、言葉に置き換えずとも、何かしらの印象を持ちます。

 

そして、口ずさもうと心の中で歌おうと、脳内でその曲を再現した時、それがここで言う曲のイメージとなります。

 

このイメージは聴覚を通して入ってきた情報であり、その情報をどの様に受け止めたかの、一つの形の様なものです。

 

最初に入った情報を正しいと認識しようとする人間の脳は、この曲を聞いた時のイメージをその曲の像として形成します。

 

上級者の場合、このイメージと実際にご自分が弾いた音とのギャップが小さく、仮にギャップが大きくてもご自分でギャップを埋める手段をお持ちで、また、ご自分の解釈として変化させることも可能と考えられます。

 

対して、学習者の場合、そのギャップ自体大きく、埋める手段も持ち合わせていない場合が多いと考えられます。

 

脳は予め聞き知った曲を、できるだけ聞いたイメージの様に再現すべく、ピアノを弾こうとします。

 

クセという言い方をしましたが、これは脳という器官が最初から備えている機能によるもので、何もしなければ誰もが受ける縛りだと考えられます。

 

特にテンポの問題は実際の練習に大きく影響し、弾けない曲は、弾ける速さまで弾く速度を落として練習すべきことは、誰もが頭では理解しているはずですが、残念ながらゆっくり弾くことは以外とできません。

 

本来、正しい音を打鍵出来ない理由は、単に楽譜を認識して対応する鍵を選び打鍵するまでの脳での処理時間が、持っているイメージ上の曲の流れの中で許される時間内では足りていない点、打鍵に確信を得ていないのに、えいやっ、と弾いてしまうことにあります。

 

ピアノの打鍵は、基本目視が効くので、弾けないときは、えいやっ、と思ってなくても、結果、えいやっとなっていることを認識することは、思いのほか大切です。

 

なので、解決方法は曲全般の弾く速さを、反応できる速さまで遅くするか、正確に弾けない部分だけでも遅くするかなどの方法にある程度限定されます。

 

これだけ聞いても、今さら言われるまでもないと感じる方もいらっしゃると思いますが、それでもゆっくり弾けない原因は脳のクセにあります。

 

そして、弾けるテンポまで落としての練習に到達する前に、曲が難しいから、専門教育を受けていないから、子供の頃から弾いていないからなどと、もっともな理由で、その曲を弾くことを諦めてしまうのではないでしょうか。

 

この、ゆっくり弾きたいけど弾けない問題を解決する1つの方法が「練習の定量化」だと考えます。

 

その一例として、リストのラカンパネラから、序奏直後の1フレーズ、楽譜では412小節の部分の練習の仕方を考えます。

 

ここでは、まず音符の符頭の数を採ります。

 

符頭の数は厳密に打鍵の数と一致します。

 

譜幹、譜尾はもちろん大切ではあるものの、88の鍵盤の中からどの鍵を選ぶかを決めるだけの情報としては不要と考えます。

 

このフレーズは旋律に96、伴奏に32、計128の符頭で書かれています。

 

ここでは、考え方を掴みやすくするため、符頭の数=音符の数としましょう。

 

楽譜を読んでピアノを弾く行為を音の高さだけに限って考えると、

1、          楽譜、音符を見る

2、          音符の音名を判断する

3、          音符に対応する鍵を選ぶ

4、          打鍵の準備をする

5、          打鍵する

おおよそ、この5つの手順を踏みます。

 

物事の上達には、その段階に応じた成長のスピードがありますが、ピアノも例に違わず、そのスピードはロジスティクス曲線を描きます。

 

最初の段階は成長スピードは非常に遅く、ある段階を超えたところでスピードは速くなり、上達を極めるに従って、また遅い成長スピードになります。

 

そして、この成長曲線は練習を続ける限り、成長は止まらないことも示しています。

 

何事も取り掛かりの始めの頃は、なかなか上達を感じないもので、才能がないなどと根拠のない理由で諦めようとしたことは、誰にも心当たりがあると思います。

 

この最初の上達を感じにくい時期を、いかに諦めずに練習を続けるかが大切になります。

 

さて、ラカンパネラの最初の1フレーズ、128の音符を、仮に楽譜、鍵盤に慣れていない状態で練習をするとします。

 

この部分の運指は、その音の並びからおおよそ決まった型になるので、前もって決めておくことができると思われます。

 

左手のアルペジオを伴う重音は符頭1つを1つの音符と考えますが、アルペジオの弾き方には必ずの定型がないので、右手のどの音と合わせるかの判断は意外と手こずります。

 

実際、この部分ではアルペジオの弾き始めを右手に合わせる演奏と、弾き終わりを合わせる演奏とがあります。

 

ピアノの練習において、こうしたアルペジオや割り切れない連譜、ショパン幻想即興曲に見られる様な、ある程度以上の速さを伴う4連符と3連符の組み合わせの練習は、特に初期の練習の段階ではその譜割、リズムの正確さよりも、いかに脳に無理なく把握させるかがポイントです。

 

個人的には、適当こそ難しく、片方の手の打鍵1に対して、反対の手を2、または3打鍵する合わせ方が無理ない様に思えます。

 

そして、ラカンパネラのこの部分は左手アルペジオの弾き始めを楽譜上真上の右手の音に合わせ、左手は右手の1つの音符に対して、左手アルペジオの1つの音符を2つ弾く様にしました。

 

余談で言えば、幻想即興曲の左手の3連符と右手の4連符は、最初から厳に正確なリズムで練習しましたが、その理解は無駄ではなかったものの、今となっては、半拍ズレのシンコペーションを34各連符の最初の音を同時に弾く様な練習で十分だったと考えています。

 

要は、この段階で優先すべきは左右10本の指の打鍵の順序と、どのタイミングで左右の打鍵が揃うか、そして音価の違いは、できるだけ簡単な数で、左右相手の手に割り入れることだと思われます。

 

さて、実際に練習を始めますが、何せ楽譜と鍵盤に慣れていないないのですから、11音、音名、その対応する鍵盤の位置をしっかり確かめながら弾きます。

 

この時、ピアノを弾こうとする脳は、イメージの縛りを受けているので、発音しようとしまいと、イメージ通りのテンポで弾こうとします。

 

脳内でイメージしている演奏は、専門家によるもの、特にCDなどで聞いた演奏は超一流といわれる方々のものです。

 

当然の如く、学習者が同じ様に弾けるわけがないので、どうするかが問題です。

 

そこで、すべての音符を最初の1つから1個づつ、加えながら弾きます。

 

ココ、非常に重要な処です。

 

現実的には弾けない部分を1音、1音となりますが、基本はすべての音符を1音、1音加えながら弾きます。

 

そしてここでは、音符1個加えるごとに、7回弾くことにしましょう。

 

ポイントは、7回弾き終わるまでに次の音を弾かないことです。

 

願わくば、できるだけ機械的に1音、1音加えながら7回づつ、できるだけ音楽的にならない様に弾いた方が後の結果は良好です。

 

ピアノを弾く脳は音楽的に弾こうとする意識と、鍵盤自体を弾こうとする無意識とが並行して働きます。

 

言葉を加えれば、楽譜に記された音を鍵盤上で、対応する鍵を選別し打鍵する一連の流れは練習を積むに従って、指は無意識に動き出し、無意識に動き出した、その一線を超えた時、初めて、いわゆる音楽的な意思を持って弾くことが始まります。

 

この無意識と意識の組み合わせとバランスを認識の上、練習を進めていくことは、大人のピアノの練習にとっては、とても大切なことだと考えます。

 

この考え方では、テクニック的な部分は無意識が、音楽的な部分は意識が、曲を間違えずに弾くことは無意識が、曲をどのように、つまり音楽的にと言われることは意識が担当し、それらはそれぞれ独立したものではなく、表裏一体で、組み合わされ、バランスをとりながら、ひとつの演奏となります。

 

ピアノを弾く行為を脳が司ると考えるかぎり、幼少期からピアノを習い始めておおよそ10年〜15年は、身体、脳の成長期と重なり、成長期を終えた以降のタイミングでピアノを弾き始める、または、弾きなおし始める場合とでは、脳に対する働きかけのやり方は、必然的に違うと考える方が理に適ってると思われます。

 

いわゆる、大人と子ども、成長期を終えた脳とその途中の脳とでは、意図的に脳に対しての働きかけができるか否かの違いがあると考えられます。

 

ここでお話ししている脳への働きかけとは、特に無意識に対する働きかけの部分を言い、今ここでは、曲を弾くにあたっての音を間違えずに弾くことについてと、できるだけ範囲を絞って考察しています。

 

これまでのピアノの演奏を習得するためのシステムでは、指導する側の方がたご自身が幼少期からピアノを、しかも人より以上に練習を積まれていらっしゃれば尚更、被指導者がこれからピアノを弾こうとする大人、改めて弾こうとする大人の場合、双方の間に大きなギャップが生まれることは、ある意味仕方がなかったことかもしれません。

 

幼少期から脳と身体の成長と並行して練習を積んだ場合、脳の意識する部分と、無意識の部分は区別無くピアノは弾かれ、ピアノを弾くこと自体が感覚として培われます。

 

対して大人の場合、例えば楽譜に記された音はどの鍵盤を弾けばいいのかは最初の頃は考えないとわかりません。

 

考える、つまり言葉を使って、「この音はト音記号の真ん中の線の上で、ドだから鍵盤の、、、」という脳内での手続きは、特に練習を始めた頃は必ず必要です。

 

例えば引越しをしたとしましょう。

 

新しい住まいから駅への最短は、最初地図でしらべ、通ってみて、「この自動販売機がある角を右に曲がって、2つ目の角を、、、」と考えながらの道順となります。

 

そして、何回か同じ道を通るうちに、「この自動販売機が、、、」と考えなくて駅まで歩けるようになります。

 

つまり、最初、意識して歩いていた道順が無意識に歩ける様になったことに他ならず、言い換えれば、脳の無意識の部分に記憶されたことになります。

 

ピアノの練習も、これに酷似したところがあって、楽譜を読むこと1つを考えても、「ト音記号の真ん中の線の、、、」と考えることは次第に面倒と思う様になり、パッと見ただけでわかる様になります。

 

この面倒と思うことは重要で、手順に誤りがなければ、1つの動作に対して、脳内での手続の簡素化へと思考は働きます。

 

まぁ、ほとんどの事は、面倒だから覚えてしまえ、でおおよそ解決可能なんですけどね。

 

 

さて、1音、1音弾く音を足しながら練習するこの方法では、脳内にイメージがあろうと、そのイメージと実際に練習する演奏は、必然的に分断されます。

 

それでいて、イメージするフレーズを、ほんの少しづつ形作っていきます。

 

音を1つづつ加えながら、7回づつ練習しますが、7回でブロックを1個づつ積み重ねていくと言うよりは、1つの薄い色を7回づつ塗り重ねていく様な感じでしょうか。

 

最初の頃は、特に目でよく見て、新しく加えた1音を鍵盤の位置を確かめながら弾きます。

 

楽譜上、次の音が高ければ手、腕は右に、低ければ左に動きます。

 

すなわち、5線上、次の音が上方向なら右へ、下方向なら左へと、音域によっては体の向きも含めて次の動作の左右への方向は、楽譜上の音符の上下の位置で関係は決まっています。

 

至極当たり前のことですが、これも大切な情報の1つで、正しい手順の1つとなります。

 

上級者の方々の中にも、ピアノを習い始めた頃は、次の音は、、、と、弾くときに手、腕を右に動かすか、左に動かすか、そこからあたふた弾いたことを懐かしく思い出される方もいらっしゃるかもしれません。

 

楽譜は音部記号の中ではオクターブ記号の節目を除いては、基本、次の音が高ければ上に、低ければ下に音符は記してあります。

 

つまり、次の音が高ければ指、手、腕は右に、低ければ左に動くことを一連の情報として捉えることが大切で、じきに意識しなくてもできる様になるのでしょうが、最初から意識して弾くことにマイナスはないと考えられます。

 

さて、ラカンパネラの最初の1フレーズは、単純計算で、128個の音符を最初の1個から始めて、最後の1個を、1個加えるごとに7回弾くわけですから、

 

128×7896

 

最後の1個を加え終わるときには、この1フレーズを896回練習したことになります。

 

楽譜に慣れていない設定なので、音符を見て音名を読むのに4秒、その音の鍵盤の位置を確かめて、その鍵に指を乗せて、弾くまでに6秒かかるとします。

 

10秒×896回=8960秒=2時間と2920

 

この様に、おおよそ2時間半で練習できるという、練習の定量化ができました。

 

この計算自体に、さほど重要な意味はありません。

 

重要なのは、どれだけ難易度の高いと言われる曲でも、音符=打鍵の数、回数は有限であることと、7回ずつ繰り返す練習は想像が可能なことです。

 

もちろん、11小節と分けての練習も同じことです。

 

7回という回数は経験上、繰り返しに良いと感じた回数で、その幅は±2回と考えます。

 

ある弾けないフレーズを練習しようとしたとき、12回目は弾ける気がしません。

 

弾けないフレーズを 練習するのですから、当然です。

 

これが、34回弾くと、弾ける様な気がしてきます。

 

弾ける様な気がした時点で、23回繰り返すというのが7回の根拠と言えば根拠なんですが、7回という回数が万人に共通かどうかはわかりません。

 

繰り返しの回数には個人差があると思いますが、ご自分に良いと思われる回数を決めて繰り返しの練習をすることは、有効な方法だと考えます。