才能の芽の場所、コレ、意外と大切です。
眉間に利き手の人差し指の先をあてて、少し下がった一番窪みの深いところ、ほとんどの方は両目の間、その指先の指す方向へ奥の方、両耳の間より少し上のあたりでしょうか。
ここに、才能の芽は生えています。
この才能の芽の場所は、まったくのイメージとしての話ですが、まんざらデタラメでもありません。
このあたりは、大脳辺縁系と呼ばれる脳の一部で、大脳皮質の内側にあたります。
この大脳辺縁系あたりに才能の芽はあります。
正確には「ある」と「イメージ」しています。
そして、ピアノに限ったことではなく何事もそうですが、才能の芽を育てる方法は、「繰り返し」です。
ピアノの場合、繰り返し「弾いて」芽を育てることになりますが、植物の芽と同じで、じっと見てても、その育つ様子はわかりません。
植物の芽と同じで、水やりをすることでその芽は育ち、ピアノの場合は繰り返し弾くことが「水やり」にあたります。
水やりを繰り返すことで、昨日よりも今日、今日よりも明日、必ず育ち、気がついたら、昨日よりも今日、今日よりも明日、必ず大きくなっています。
ただし、植物の芽と違うところがあって、水やりを多少サボって芽が萎れることはあっても、完全に枯れてしまうことはありません。
もちろん、水やりを再開しなければ、萎れたままですけどね。
桃栗三年柿八年と言いますが、ピアノもそれなりに弾けるようになるには、3〜5年、モノによっては8〜10年というのが、実をつけるまでにかかる時間の様です。
確かに10代のピアニストでも最低10年は弾いているでしょうし、年輪を重ねて大樹が育つように、ピアニストの方々は練習を重ねていらっしゃいます。
私たち学習者は、大樹とは言いませんが、せめて庭先ででもしっかり佇むシンボルツリーは育てたいモノです。
しかしながら、水をやり続けることは大樹もシンボルツリーも同じです。
そして、この水やりは、本人にしかできません。
ココ、植物の芽との決定的な違いです。
ご指導をされる先生方から、様々な教えを頂いても、実際に水をやることは自分自身でしかできません。
ここでは大人のピアノの話をしています。
教室に通って先生方に教えていただくにしろ、オンラインのレッスンを受けるにしろ、独学で弾くにしろ、全ては自分で考え工夫し、自分でモチベーションを維持し、自分で「水やり」を続けることが唯一の方法です。
そして、ピアノの練習は、それに見合った、いえ、それ以上の喜びをもたらしてくれます。
比喩的な話となりましたが、イメージとしてはシックリくるので、こうした書き方をしました。
ピアノの練習に繰り返しが大切なことは、今更お話しするまでもないと思います。
巷には「カンタンに弾ける」的なピアノ本を見かけることがあります。
確かに、ピアノは鍵を打ちさえすれば音が出ます。
しかも、それなりのピアノの音で、平均律という縛りはありますが、正確な音程で、しかも演奏に必要な音は最低音から最高音まで、全て。
先に、これだけの好条件を備えながらも、むしろピアノの演奏が難しい理由は、同時に複数の音を演奏することにあるとお話ししました。
通常は言葉の発音になると思いますが、人の発音はひとつの音を連続で発音する「単音」によるものです。
声に出して発音せずに、頭の中でつぶやいても、やはり「単音」です。
人間の脳は、最初は言葉を使ってその内容を理解し習得し、物事を身につけていきます。
言葉が単音で発音されるということは、最初にこうして、次はああして、と直列に並んだ作業で、その内容を習得していきます。
そして、練習を重ねることで、脳はこの直列の思考と行動を、まとめ、省略すべきものとそうでないものに分け、並列の作業へと変換していきます。
ピアノは一度に複数の音を演奏するので、作業としては並列の作業だと考えられます。
ピアノの練習が特に繰り返しが必要なことの理由は、ここにあると考えられます。
一度に複数の作業をこなすことは、ピアノに限らず、様々な場面で必要になることですが、物事がうまくできない時に、複数の事柄を一度に行おうとしていることが原因である可能性を見落としてはいけません。
できないことを才能がないと、根拠のない理由で諦める必要はないと思います。
また、練習をくり返すと、考えなくてもできる様になることは多くの人が経験していると思います。
いわゆる「反射」です。
「反射」で有名なのは「パブロフの犬」の実験ですが、人、特に大人はその条件づけと事象を、自分自身で計画し、練習としてくり返すことで自分自身に「反射」を起こすことが可能です。
つまり、自分自身に条件反射が起こるように、練習を計画、工夫する。
決して楽ではないと思いますが、自分で考え工夫し、才能の芽を育てるとは、こういう事ではないかと考えます。