ということで、前にも「台湾地位未定」についてこのブログでも取り上げましたが、改めて書いてみたいと思います。
少し古い話になりますが、平成22年8月8日付中日新聞日曜版特集「終戦の日を考える」という新聞全面を使って図解で紹介する記事がありました。内容は、日本が終戦を8月15日としていることに対し、他国では「終戦」日付が異なることを紹介したもの。ちなみにこの記事は、中日新聞傘下の東京新聞が担当し首都圏でも配布されています。
そこで台湾に対する記述は
――中国で日本軍が正式に降伏したのは九月九日でした。また、植民地であった台湾を中国が取り戻したのは十月二十五日になってからでした。――
――安藤利吉・台湾総督府と陳儀・中華民国台湾省長官との間で降伏文書が調印された。――と、記載。
まず、ここで注視しないといけないのは、1945年10月25日の安藤台湾総督府と陳儀長官との調印で中華民国が台湾を取り戻したとする論拠となっていますが、まず、この調印は、マッカーサーが蒋介石へ日本に代わって、台湾の管理をするよう命じたことによるものであり、ましてや総督と長官レベルで領土が確定することは有り得ません。
また、終戦前の1943年12月1日での、ルーズベルト(米)、チャーチル(英)、蒋介石(中)らで行われた「カイロ宣言」(これは、米・英が、蒋介石に日本と単独講和を禁じた会談)で、日本から満洲・台湾を中国に返還させるものとする内容でしたが、これには三者首脳の署名も日付もない、いわゆるプレスリリースであり、まして当事者である日本が参加しておらず、効力がありません。
(ここでポツダム宣言を入れると長くなるので省略)
日本が台湾に関して、国際的に明確なのは、1951年9月8日に署名された「サンフランシスコ平和条約」にて「日本国は、台湾及び澎湖諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。」という条項が盛り込まれ、日本は台湾を放棄。これにより日本は台湾に関して主権に口を挟むことは出来ない。…というもの。
そこでこの中日記事の内容を日本李登輝友の会事務局と台湾研究フォーラム会長・永山英樹氏に知らせると同時に中日新聞本社へ出向き記述に誤りがあることを抗議したところ、その日の夕方、東京新聞編集責任者から連絡が入り、「記事編集に関わった加藤聖文氏によるもので、加藤氏と相談したい」ということでした、同様に、日本李登輝友の会本部事務局長の柚原正敬氏と永山英樹氏からも抗議があり、その後、東京新聞より「台湾地位未定論があるのは知っている。日本李登輝友の会会長、小田村四郎氏とこの記事の執筆者、加藤聖文氏との対論を行うために紙面を用意する」と述べてきましたが、柚原氏から「我々は主張を宣伝してもらうために言っているのではなく、放棄してから、どうやって帰属先を述べられるのか、その矛盾に答えていただきたい」と返答。
私からは、「学者が自説を唱えるとしても、中日新聞としては『日本が台湾を中国に返還した』とする見解なのか」と尋ねたところ、数日経過後、新聞社としての見解は、「日本は台湾を中国に返還した」とする旨を伝えてきました。
これには念押しして確認したところ「そうです。」という回答。
つまり、中日新聞は日本政府の「台湾を放棄した日本は台湾の主権について述べる立場にはない」という姿勢を自ら逸脱する立場を述べたことになります。
なお、これと同じような話として2009年5月、政権にある馬英九総統が、「中華民国は日華平和条約により台湾の主権を日本から移譲された」と発言したことに日本政府の在台湾窓口機関、齋藤正樹代表が「台湾は地位未定」と発言したことが問題とされました。
これについて私も台北駐日経済文化代表処へ電話したところ「民進党政権だったら拍手喝采でしたが国民党では…」という返事。
台湾の将来は主権者である台湾人が決定するものですが、外圧がそれに影響を及ぼす現実を鑑み、日本は戦後、台湾を見捨てる結果となったことに、国際社会に向け「台湾地位未定」を明確に伝えることが、責務の筈。ところが日本も政権によってはチャイナの顔色を伺い、トーンダウンする現実があります。しかして、この「地位未定」が現代の台湾人が主権を保つ大きな根拠になることを日本国民もしっかりと理解する必要があります。