袖からわずかに覗く肌に、柔らかく温かな陽を感じながら、ごつごつとしたさわり心地も慣れた家の壁をスイスイ登る。時間もかからず屋根の上に到達すると、いつもの場所に腰かけた。
スリーンダリアの街並み。遠くには聖霊魔術総合学園の高い建物が見える。ここからの眺めは、俺のお気に入り。今日みたいな陽の柔らかい天気は、最高に気持ちいい。
俺は腰に下げた袋から、宝物を取り出す。
水筒、コンパス、数枚の召喚符に、ルーンが刻まれた小さなアミュレット数個。
それらを眺めつつ、高鳴る心臓を抑える。
「もうすぐ、学校か……」
思わず、つぶやいた。
明日から、基礎教育学校に入学する。緊張しない方がどうかしているだろう。
ずっと親元で育てられ、両親の影響で法術に触れ、将来はもちろん両親のような、強い法術師の冒険家を夢見てきた。その、第一歩でもあるのだ。
でも俺だって所詮、五歳のガキだ。日中だけとはいえ、親から離れるのは不安で仕方ない。
アミュレットを一つ取り、手のひらに乗せる。俺はゆっくりと目を閉じ、母から教えてもらった言葉をつぶやく。
「ア・シゲンシルン・ゲリンクルンザ・ヤッピデンザ」
言葉の意味も知らないし、本来の発音すら定かでない状態だが、アミュレットに意識を向け言葉を投げかける。
すると、わずかにアミュレットが光り、手のひらからフヨフヨと浮かぶ。
母曰く、このアミュレットには特別な力が込められているから、多少不安定な呪文でも、こうやって浮遊させることができるらしい。
俺はたまにこれを使って遊んでいる。ただ、浮かせるだけだが、法術を使えることが何より楽しいのだ。
そして、こうすることによって、だんだんと気持ちが落ち着いてくるのも分かる。
アミュレットを浮かせながら、斜め後ろを振り向く。その先には基礎教育学校が見えた。明日から、通う場所である。どんな人がいるんだろう。これから何が起こるんだろう。
ワクワクすると同時に、再び緊張感が戻ってきた。
「……あのー……」
「……ん?」
それはとてもか細く、小さな声だった。もう少し距離が離れていたら、きっと聞こえなかっただろう。
俺は、声が聞こえた下の方を覗きこんだ。そこには同い年くらいの小さな女の子。ライトブラウンの髪が印象的だ。同色の目には涙が溜まっている。
おもわずギョッとする。
「な、な、どうしたの?」
「……あの……何してるの……?」
涙をボロボロこぼしながら、消え入りそうな声で少女が訊ねる。いやいや、訊ねたいのはこっちだ!
「え、いや、景色見てただけだけど……」
とりあえず答えてから術を解除して、俺は宝物を腰袋にしまい、下に降りる。
少女は相変わらず静かに涙を流していた。
「キミ……もしかして、迷子?」
「……」
率直に聞いてみたが、答えない。困ったな……まだ泣いてるし。
「俺、アレイ。アレイ・ザルク・シュバルツァ。キミは?」
「…………ピエルナ……ピエルナ・ランツォーネ」
ヒックヒックと泣きながらも、名乗ってはくれた。でも真ん中の名前がない。母は「お友達が出来たら、真ん中の名前で呼ぶのよ」って言ってたけど、こういう場合はどうしたらいいんだろう?
「……あ、ピエルナ、でいいの……」
何かを察したのか、そういう少女。俺にはよく分からなかったが、まあ本人がいいっていうなら、いっか。
「じゃあ、俺もアレイでいいよ。それで、ピエルナは何してるの?」
「……う、うう……」
聞いたとたん、再び涙があふれ出す。いや、さっきからずっと泣いてはいるが、さらに激しくなったというか……
「あ、あ、泣かないでくれよ。困ったなぁ……」
思わず頭をかく。
「……ガッコ……パパ、ママ……一緒……見に……」
途切れ途切れに、何かを話すピエルナ。うーん、よく分からないが、やっぱり迷子そうだ。旅行者?
でも、住んでる場所もなにも分からないから、どうしようもなかった。
ピエルナは相変わらず泣いている。涙なくなっちゃうぞ?
「えっと……泣いてても仕方ないから、落ち着こう、な?」
とりあえず泣きやませないと、ちゃんと話が聞けなさそうだ。でも何を言っても泣きやまない。うーん。
俺は腰袋からアミュレットを取りだした。
「……?」
狙い通り、ピエルナはそれを見つめた。
目を閉じて、ゆっくりと精神集中する。
「ア・シゲンシルン・ゲリンクルンザ・ヤッピデンザ」
呪文を唱えると、アミュレットがゆっくりと浮上する。
「……!」
ピエルナは、驚愕の表情で見つめていた。ピタッと涙は止まったようだ。
「……すごい……」
その一言で、俺はニカっと笑って見せた。大成功だ!
しかしピエルナは、
「……すごい、その石……」
俺じゃなく、アミュレットを見つめてそう言った。
思わずキョトンとしてしまったが、とりあえず、泣きやんだからまあ、よしとするか。
……なんか納得いかねー……
「ピエルナ!こんなところにいたのか!」
大通りの方から、声が掛かる。振り向くと、ガタイの良いおっさんが立っている。どうやらピエルナの父親のようだ。こちらに近づいてくる。
「あれほど離れるなと言ったのに。楽しみなのは分かるけど、自分が困るんだからな」
「……ごめんなさい……」
ピエルナはシュンとして、あやまる。
彼女の父親は、その小さな体を軽々と抱き上げた。そして俺を見降ろす。
「君は、この街の子かい?」
「はい。アレイ・ザルク・シュバルツァです」
「そうか。この子の相手してくれて、ありがとうな。明日から、ここの基礎教育学校に通うことになるんで、たまに見かけたら、話しかけてやってくれないかな。こいつ、弱虫だから心配で」
そう言って苦笑いを見せる。俺は素直にうなずいた。
「ありがとう。さ、いくぞ」
ピエルナは父親に抱かれたまま、静かに頷いた。くるっと背を向け大通りへと戻っていく。
明日から……同じ学校か。きっとまた会うだろうな。そんな予感がした。
まだ見える二人の姿を最後まで見送らず、俺は二人に背を向け家に入ろうとした。
「……アレイ」
去っていたはずのピエルナの声が、すぐ後ろで聞こえた。
「え?」
思わず振り向く。そこには十三歳のピエルナの姿。
「発音間違ってるの……。ア・シュギュイルン・ゲリュンクルンザァ・ヤンビデェザ……なの。アミュレットのルーンが呪文構成のほとんどを示しているから、アレイの法術力がスイッチになって起動できただけなの……。それだと普通の石は浮かないの……あと、構成も雑だから……」
「あー! うるせーな! いっつもいっつもいっつもよぉ! だったらテメーがやってみやがれよヘッポコピーナ!」
叫んで。俺は我に返った。
聖霊魔術総合学園第三学年専用男性寮の一室。室内灯は消され、静かな夜を迎えている。
……隣のやつ、起きたかもしれねーな……
俺はゆっくりと起き上がる。ベットがわずかにきしむ音。
しかしなんだって、ピエルナと初めて会った時の夢なんか見たんだ。
第三学年。ちょうど真ん中。明日から新学期。そして、待ちに待った実技の授業が始まる。
一、二学年は、ほとんど教室にこもりっきりの勉強ばっかりだった。それでいつもピエルナにバカにされて……でも今年から違う。実戦できるんだ! ピエルナは法術の知識があっても使えない体質だ。絶対に見返してやる!
きっと、そんな思いがいろいろめぐって、あんな夢見ちまったのかな。
俺は一つ伸びをして、ふうっと息を吐いた。
「法術は理屈じゃないんだ。見てろよ、ヘッポコピーナめ」
そうつぶやくと、俺は軽く印を結び、短い呪文を唱えた。とたんに睡魔が襲ってくる。
落ち着いて寝れるように、変な夢を見ないようにと、睡眠の法術を自分にかけたのだ。
俺は完全に落ちる前にベットにもぐり、目を閉じた。
「……みてろよ……ピエルナ……」
そのつぶやきを最後に、俺の意識は遠ざかって行った。
次の日。法術がかかり過ぎて遅刻し、ピエルナのせいだと言いがかりをつけてケンカしたことは、また別の機会にでも話してやる。気が向いたらな!
ミクロフィラ ショートストーリー「アレイ・ザルク・シュバルツァ編」
――完――