パキッ
その瞬間。
(――しまった!)
思うと同時に、心臓が早鐘を打つ。足の下には折れた小さな小枝。
こうなったらコソコソしている場合ではない。
「誰だ!?」
部屋の中から声が掛かる。しかしその時はすでに走り出していた。
隊長のことだ、きっと感づいただろう。そして、次にどうするのか――
彼――イルザは走りながら考えていた。
中立地帯であるこの村を、センターシティの騎士団が無理やり占拠するなんて何かおかしい。そう思って宿に忍び込んでみたのだが、彼の感は当たっていたようだった。
しかし、核心に触れた話は聞けなかった。結局、あの少女が何者で、彼らはその少女をどうするつもりなのか。そして、あの隊長が裏切り者だったことが、かなりのショックだった。
いろんなことが分からないままだったが、今ミンティが危険な状態であることは確実である。
彼らより早く、ミンティの所へ行かなければ――
イルザは村近隣の地理は完璧に把握している。裏道や近道を使い、確実に彼らより早くつける自信があった。
でも、ミンティはこの話を信じてくれるだろうか? そして、あの少女をどうすべきか?
イルザは湧き上がる葛藤と思考でパニックになりそうだった。
それでも、衝動にまかせて行動するしかなかった。
すでに日は落ちきり、あたりは闇に沈み、わずかな虫の音と遠くから村人の団欒が小さくきこえる。
彼女の家に近づいてきた時、追手がいないかあたりを見回す。
「……いねーな」
息を整えながら、自分を安心させる意味も込めて、小さくつぶやいた。
もたもたしている暇はない。イルザは急いで近づき、家の扉をたたく。
「ミンティねーちゃん! いる?」
間もなく「はーい」と、明るい声と共に扉が開く。白いエプロンをしたミンティが姿を見せた。
「イルザくん。……どーしたの?」
いつもの笑顔から一変、汗だくな彼の様子を見るなり、驚くミンティ。
「…あ、あいつは?」
隙間から部屋の中をのぞき見る限りでは、ベティの姿が確認できない。
「あいつ? ベティのこと? ちょっと外に出るっていってから、まだ帰ってきてないけど。その辺にいなかった?」
「とりあえず、ここにいちゃまずい! ミンティねーちゃん、来て!」
「え? ちょ、ちょっと!」
彼女の腕をつかみ、イルザは走り出した。
「待って、一体どうしたの?」
「急がないとヤツらが来ちまう! 説明は後でするから、とにかくついて来て!」
「でもベティが……」
「いいから! あとで何とかする!」
訳が分からずも、その力強さに腕も振りほどけず、ミンティは彼についていくしかなかった。
正直、あの少女がいなくて、少しホッとしていた。すんなりミンティを連れ出せたから、だけではない。
やっぱり、イルザはあの少女が怖かった。あのブライムたちが話していたことも脳裏によぎる。
近づくこともできないと言っていた“あの力”。あの力ってなんだ? 話し方から察するに、決していいものではないだろう。
そんなことを考えているうちに、やがて二人はイルザの安らぎの場所へ辿りついた。
森の中に小さく開かれた場所。すっかり闇に落ちてはいたが、月明かりがうっすらと入り込み、イルザが的にしている岩が照らし出されていた。
「……ここまでくれば、たぶん、大丈夫……」
はあはあと息を切らし、イルザ。そして、ミンティから手を離した。
「……」
ミンティも息を切らし、膝に手をつく。
「ごめんよ、ミンティねーちゃん……こうするしか、なかったんだ……大丈夫?」
「うん、大丈夫」
息を整えて、顔を上げるミンティ。いつもの、とはいかない弱々しい笑顔。
「説明、してくれるよね? 一体、どうしたの?」
ただ事でない、ということはさすがに分かっているのだろう。イルザをまっすぐ見つめてくる。
「うん……俺なんかが言っても、信じられねーかもしんねーけど……」
木にもたれかかり、ふぅっと息を吐く。
「俺、この村が好きだ。この村でずっと暮らしたい。だからこの村を、村の人たちみんなを守りたい。俺、悪ガキで、嘘ついたり、イタズラばっかりやってるけど、これは本当なんだ!」
イルザもミンティを見つめ返し、訴える。
ミンティは静かに頷いた。
「うん、知ってるよ。イルザくんが、本当はいい子だって、わたしは知ってたよ」
「……ミンティねーちゃん……」
熱いものが込み上げてくるが、ぐっと抑え、
「だから信じてほしい。今から、話すこと……」
イルザは、宿で聞いた話を、寸分違いなく話した。ブライムと隊長が話をしていたこと、隊長がラズルという裏切り者だったこと……。
彼が話をしている間、ミンティは一切口を挟まず、終りまで黙って聞いていた。
「……で、俺、ミンティねーちゃんが危ないって思って、ここに連れてきたんだ……」
しばらくの、沈黙。やがてミンティが口を開いた。
「その騎士団の人は、ベティの正体を知っているのかしら?」
「うん、きっと知ってると思う。でなけりゃ、捕まえに来ないと思うし。でも、なんで捕まえるのかは、わかんねーけど……」
「…あのね、さっき家に、隊長さんがきたの」
「えっ!」
突然のミンティの発言に、イルザは声を上げた。
「あ、騎士団の人が来る前だったんだけど」
「何、話したの?」
「ベティのこと。もう追い出せって言わないって。わたしの味方になってくれるって」
うつむき、地面を見つめるミンティ。
「嘘だ。あいつ、ミンティねーちゃんを利用しようとしてるんだよ」
「そう…イルザくんの話を信じるなら、そうなるよね…」
悲しみに染まった声が、小さく震える。
「俺は嘘じゃない!」
思わず叫んだ。
隊長は村によく尽くし、村人からの信頼があつく深いものということは、イルザもよく理解していた。実際、あの話を聞くまで、イルザ自身も信頼を寄せていたからだ。そうでなければ、今まで度が過ぎたイタズラなどしてこなかっただろう。
自分の話をすんなり信じろ、という方が難しい。
「…あ、ごめん」
声の大きさに驚いたミンティを見て、イルザはハッと我に返った。
「うん、信じてないわけじゃ、ないの。ただ、ショックで……」
味方だと思っていた人間に裏切られる……そのショックはイルザも同じだ。
ミンティは再びうなだれる。
「…俺が、味方になる!」
「え…」
イルザの突然の決意に、ミンティは思わず顔をあげて、彼の顔を見る。
「俺が、ミンティねーちゃんの味方になってやるよ! あの…ベティも、一緒に暮らせるように…俺がなんとかする!」
「イルザくん…」
「隊長の代わりには、程遠いかもしれねーけど……」
きっと強がりだって、見抜かれているだろう。そんな約束ができる根拠なんてこれっぽっちだってない。こんな子供にできることなんて、限られている。それでも、やれることはやってやりたかった。
しかし、ミンティは優しく微笑み、
「ありがとう」
そう言って、イルザの頭をくしゃくしゃっとなでた。
ミンティの微笑みを見て、イルザはホッとしたと同時に、急に顔が熱くなるのを感じた。
「あ、お、俺、ベティ捜してくる!」
なぜどもってしまうのかよく分からなかったが、決意が揺らがぬうちに、イルザは走り出した。
「ミンティねーちゃんは、ここで待ってて!」
振り向きざまにそう言うと、
「気をつけてね!」
と背中越しからミンティの声が聞こえた。
まずはベティを捜して、その先は、三人そろってから考えればいい。
イルザは、慣れた森の道なき道を抜け、村へと走って行った。
その時、一つの影とすれ違っていたことを、全く気付かずに――。
――続く――