昨日、今日は、多摩川方面へ。
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昨年8月の豪雨で水没した中町交差点あたり、谷沢川はゴミが散乱していたくらいで、川の水は落ち着いています。




浸水した世田谷記念病院から入院患者を搬送する「災害援助」とステッカーが貼られた救急車が何度も通り過ぎました。




玉堤通りからの景色は一変していて、「ここまで水が来るんだ」と改めて驚くような場所まで流木や藁やビニールが引っかかっていました。川の流れはまだ早かったけど、あの時点ではどれだけの量の水が、どれほどの勢いでここを走っていったのだろうと想像すると足元が掬われるような感覚を覚えました。これから先、また雨量が増えるような気候が続き、あと数メートルの増水があったらと考えるとやはり対策は必要な気がします。流されてきた泥は粘土みたいで足を重くします。










魚が干あがっていました。





兵庫島は封鎖され、観光地のようにたくさんの人たちが来ていました。国会議員らしき人もいらっしゃり、メディアのカメラもいくつか。浸水したマンションの清掃している方々に海外メディアが取材を申し込んでいました。すぐ上のテナントは営業していましたので、本当に僅かな高低差が大きいと感じました。

今回、多摩川の水が溢れたとされる堤防がない箇所は、ビニールシートにくるまれた土嚢のようなものがずっと積み上げられている場所です。堤防を作るべきだったのか否か。今後、改めて議論になりそうです。

心配だった玉川一丁目の知り合いのところはみな無事でした。同じく心配だった模型屋さんの店主に話を聞きました。昭和33年の台風22号の浸水地図を見せてくださり、この時と浸水地域は同じだと言います。以前浸水したのは水捌けの悪いところ。報道では「多摩川の氾濫」しか言わないが、それだけが原因ではない。模型屋さんから数十メートル先は多摩川の堤防のない箇所からの氾濫による浸水だが、明らかにそれは部分的だと言います。




ずっと多摩川をみてきたこの店主、川が大好きだそうで川への思いを語ってくださり、さらにはダムの放水、水利権に関してもご意見を伺え、大変勉強になりました。



本日は玉川3丁目へ。お世話になっているSさん宅は床上30センチの浸水でした。壁にくっきり跡がありました。

玉川3丁目に代々お住まいの方にも話を伺いました。昨日の模型屋さんと同じく「ずっと昔から浸水するところは決まってるんだよ」とのこと。この辺りは次太夫堀あたりからの水が一気に来るんだとか。一昨日も17:00にはまったく問題なかったのに、19:00には水が溢れていたと。浸水のスピードが早かったことに驚かれていました。ほんの少しの高低差が大きいことはここでも感じました。ここの浸水の要因は堤防の有無とは別かな。

その後、野毛、玉堤をまわりました。浸水後の片づけが本当に大変そうです。




この辺りの浸水の要因もきちんとした検証が必要です。
時間がなく、気になっている友人たちのところにはお見舞いできませんでした、、、ごめんなさい💦

各場所ごとの浸水の要因は今後の検証結果が待たれます。