おはよ。東京都武蔵野市(吉祥寺、三鷹、武蔵境)、調布市(調布)
山口県(岩国市、柳井市、周南市、光市、下松市)、武蔵野
密着の年中無休税理士
で頑張る野良うさぎです。(^-^)/
今日は雨の週中日。がんばろ。
最近、東京都武蔵野市御殿山のお客さん
が仕事の関係で山口県に行ったらしく、
昨日、監査の後、山口県のおみやげ話
をいただいたんだな。
野良さんは日本古美術ソムリエ(自称)なので、
税務会計だけではなく、
よくいろいろな日本国内の歴史についても
お客さんに聞かれることもあるんだな。
昨日、お客さんの出張の仕事場となった山口県岩国市
の錦帯橋が話題になったんだな。
そのとき、錦帯橋秘話と佐々木小次郎伝説について
の話をしたら結構喜んでいただけたので、
今回ちくと簡単に触れてみるんだな。
こちらは日本人ならだれでも知っている
日本三大(奇)橋で有名な
錦帯橋なんだな。
地元では山口県岩国市(岩国)を全国区にした立役者
とも言われているんだな。
隠れたすごい秘話が実はあるんだな。
こちらが張本人の仕掛け人なんだな。
岩国藩三代目藩主吉川広嘉さんなんだな。
初代の傑物吉川広家さんのお孫さんなんだな。
吉川 広嘉さんは、生まれつき病弱であったため
京都での療養を余儀なくされたんだけど、
そこは大物。腐らなかったんだな。
代々岩国藩吉川家に受け継がれた
不撓不屈の精神なんだな。
元来病弱な吉川広嘉さんは、腐らず学問と京都文化を身につけ、
後年の錦帯橋架橋にもつながる大人脈をせっせと構築したんだな。
万事塞翁が馬なんだな。
当主としての実績は、瀬戸内沿岸二千町歩を干拓し耕地を
拡大したことや、領札を発行したこと等なんだな。
最大の功績は錦川に架橋工事を行い、現在の形の錦帯橋を
架橋したことなんだな。
特に延宝2年の架橋工事は緻密を極め、橋は以後第二次世界大戦後に
キジヤ台風で崩壊・流失するまで一度も流失しなかったんだな。
架橋以後、長州藩の岩国領にすごい橋があると江戸時代に
全国区になったんだな。津々浦々からの見物客も
多数いたみたいなんだな。
なにをするにも与えられた状況下で先を読みながら
辛抱強く努力すること、諦めないことが重要だと
野良さんも岩国市の吉香公園に来て教えられたんだな。
ちくと将軍になるコツをつかんだ気がしたものなんだな。
未だ足軽なんだけど。
話は変わるけど吉川藩があった横山は
前が川の土手、後ろが絶壁の城山で
天然の盾で囲まれた盆地なので夏のなぎどきは
ちょー蒸し暑かったんだな。
岩国は実は佐々木小次郎伝説もあるんだな。
佐々木小次郎が名刀の備前長船長光(ものほしざお)を
錦帯橋の下で素振りし、ツバメ返しの技をきたえた
という伝説があるんだな。
佐々木小次郎の剣術の流派の巌流(岩流)は実は岩国から
来ているらしいんだな。
ちなみに佐々木小次郎さんのお墓も山口県にあるんだな。
そういえば思い出したんだけど、
以前、野良さんが岩国遠征に行くとブログに書いたら、
岩国市内のの見知らない女子高校生さんがメッセージをわざわざ
野良さんにくれて、「錦帯橋に来られたらぜひ小次郎アイスを食べてね。
ちょーおいしいよー」と応援アドバイスくれたんだな。
岩国市民はよそ者にも優しく親切なんだな。
「将軍への坂道」はちょー笑えると感想も
いただいたんだな。
そこで早速岩国市遠征時に水先案内人の
地元女子高校生の教えてくれた
小次郎アイスを探だしたのがこちらなんだな。
おいしくいただいたっけ。
ブログ書いててよかったと実感する瞬間なんだな。
長続きの秘訣かも。
高校生さんあのときはほんとありがと。
では、今日はこのへんでー。