↑週末夜は酔っ払いでうるさくても、このコロナ禍の最中、食事の事で悩まないのが東京駅前下町の良い処でしょう。昼食にネパール弁当屋とお惣菜屋と魚定食屋で細かく買い漁り、税込価格でも結構、安くて豪華なランチになりました。

 

これが中途半端な地方都市で安い揚げ物だらけのメタボ弁当くらいしか選択肢が無かったら恐ろしく暮らしづらくなります。更に地方の田舎ならば自分で料理することが前提ですが料理全般の時間がもったいなくて住むのが嫌になることでしょう。

 

急速に廃れる元実家、新横浜近郊から完全に離れ、2019年に東京足立区住民になりましたが、田舎で静かに暮らそうなどと考えるのは自分の性格にあっていないとつくづく感じます。

更に先日、小学校時代の同級生(60~61歳)の半数以上が女性を含めて地元近辺に居ついているのに気付き、自分の様な未知の環境大好きの年寄りが珍しいのかなと思った次第です。

 

***************

前回①の続きです。

電子書籍の試し書きですので校正は全然していません。文章や内容のおかしい部分は最終的に調整していきます。

 

●前回

国際結婚と理想のパートナー①

 

国際結婚と理想のパートナー②

 

ネットの結婚相手探しサイトを通じて出合った最初の女性は一言でいえば「オタク趣味」で当時、松戸にあったバンダイミュージアムを回りながら話題が特撮やアニメ趣味中心の会話をしました。
この出会いの結論を言えば趣味と結婚が結びつくのは若い時分だけ。どうしても話題の中から実生活の展望が抜けてしまうので話が一向に前へ進まずお別れをしました。

次に同じサイトを通じて出会った女性は永田町近郊で働く役職持ちキャリアウーマンで前回の女性とは真逆に実生活が計画的にできそうなタイプでした。しかし二度目に外の食事で会った後、私の携帯の電池切れで翌日までメール連絡が取れず、その事に対してたいそう怒るので「電池切れで・・・」と答えると「言い訳するとは思わなかった」と更に怒りの度合いが増し、この状況にとても違和感を感じました。

そこで思った通り「あなたにとっての結婚は行動全てを管理すること?」と返すと、顔色が変わって押し黙ってしまいました。結局、その態度がそのまま返答になっていましたので、彼女とお別れしました。これに関しては余計な感想を述べても蛇足だと思うので色々と理由や状況を想像してみてください。
「よくある男女のすれ違いとはこういう部分かなぁ」とは思います。

三番目に会った女性は母親が入会した「中国人とのお見合い紹介所」を通じて出会った「大連」出身の中国人女性です。国際結婚について生まれて初めて考えるきっかけになったのがこのお見合いで、全く自覚の無かった私自身の本質「未知は楽しい」に気付きました。食事、日常生活をはじめとして中国人の結婚観、日本人に対しての考え方、年の差婚等々、今まで人生で全く考えた事の無い生き方、考え方を彼女を通じて感じられた事はとても刺激的で新鮮なものでした。


よく考えてみれば古い日本人の主な結婚観は家柄とか収入とか学歴とかをマスゴミから洗脳で押し付けられた上に成り立っています。それをそのまま鵜呑みにしている二次元人日本女性の多さにずっと辟易としていた悩みや状況が一気に解決した思いです。

残念ながら彼女は中国の両親に無断で国際結婚を考えていたために怒った両親から中国へ呼び戻されてこのお見合い話は途中で消えて無くなったのですが国際結婚という選択肢を見つけた大きなきっかけになりました。


そんな時、現在の妻であるシャオリンに中華料理屋で「ニホン人、ウーロン茶好きよね、チュウ国人飲まないよ」と吹っ掛けられ、それが運命の出逢いとなりました。あまり人見知りをしないシャオリンとの会話は弾み、この人が運命の相手だと確信するに至ったのです。

この当時は自分で全く気付いていませんでしたが私はオールドソウルであり、精神的に甘えん坊の小さな子供ではないので結婚して女性に求めるものは「代用ママ」や「代用家政婦」ではありません。私自身は「母親性」であり、日本で中国の両親のために働いている危なっかしい子供の様なシャオリンを日本での母親の様に世話焼きしている時が最も幸福を感じる瞬間だと後々気付くのです。

さて、スピリチュアル的には、このタイミングで再確認現象が起きるといわれています。つまりこの結婚が人生において重要なイベントであれば「本当にそのお相手で良いですか?」という決意の返答を口に出して答えさせられるという一種の不思議体験現象です。

 

シャオリンとの結婚を決め、毎日色々と準備で忙しい最中、ちょっとだけ静かな空白の時間があり一人でボーと椅子に腰をかけているとそれは突然、電話連絡の形でやってきました。

電話の主は母親が以前依頼した個人経営のお見合い相談所の女性です。電話の要件は私へのお見合い話だと言うので「もう相手が決まってしまいましたので申し訳ありません」と答えると、それはすでに聞いているけど「とても良い話」なので是非聞くだけでも聞いて欲しいと言うのです。その縁談を要約すると以下の通りです。

結婚相手を探しているのは小学校の校長先生で40代の女性。本人からの希望として「相手の仕事も収入も問わない。どうしても自分の子供が産みたいので相手を見つけてなるべく早く結婚をしたい」のだそうです。

さて・・・みんなはこのこうちょうせんせいをどうおもう?(苦笑)

ショックで思わず小学生返りしてしまいそう。

要するに「生きの良い種馬募集」です。正直な感想としては「正気の沙汰では無い」と思いました。目的も変なら、結婚の意味も変で、そのまま男女の立ち位置をひっくり返してみるとエゴの酷さが解りやすいでしょう。大昔なら普通の縁談かもしれませんが。


当然、速攻で断りましたが、最後に「そうよね、若い女の子の方がいいわよね」と異次元の一言を返されて複雑な気分になりました。世の中的にはこれが「とても良い話」なんだろうか?としばらく考え、国際結婚で未知を体験しようと決意した自分が、酷い選択を選ぶかどうか、結婚直前にテストされたのかも?と気付きました。

この一件でシャオリンがますます運命のパートナーだと確信するに至りました。一種のスピ的通過儀礼なのかもしれませんね。

以上で4人の女性が登場するシャオリンと結婚するまでの話は終わりですが、この3つ+縁談1つの出会いで、今まで見えなかった自分の隠れた本心がよくわかり、それを一つずつ自問自答しながら真のパートナー探しを経験できた事に大変感謝しています。

 

人生とは怖れず自らが進んで行動することであり、人生の意味とは「すべての出逢いに感謝」この一言に尽きます。

 
***************

 

以上、自分的に最も難度が高い章の中心を書きました。

まだ締めの部分まで書き終えてませんが修正箇所が多そうです。これだけ書くのに半日かかりましたのでちょっと休憩してから他の章を書こうと思います。

ちなみにこの電書は2月22日発売予定ですので今月中には全文ラフを終了させたいと思います。

 

いつもお読みくださりありがとうございます。