★故・尾崎豊との壮絶なるエピソード:見城徹『編集者という病』 | 天空で昼食を

★故・尾崎豊との壮絶なるエピソード:見城徹『編集者という病』

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見城徹の最新本『読書という荒野』(幻冬舎)では、超著名な作家たちとのエピソードが紹介されている。例えば村上龍・林真理子・村上春樹・百田直樹・東野圭吾・宮部みゆき・北方謙三・坂本龍一・尾崎豊etc.

 

  特に尾崎豊については最新刊より2009年発行の『編集者という病』(集英社文庫)こちらの方が詳細。

 

 

見城徹氏は19歳・尾崎豊の初出版(『誰かのクラクション』)からずっと関わり続け、

尾崎が覚せい剤取締法違反で逮捕された後の大復活劇もプロデュースしていた。(アルバム作り、全国ツアー、連載執筆等)

一時はほとんど共同生活に近かったらしい。

尾崎豊が死ぬ3週間前に電話をかけた相手は見城徹氏だった。

 

精神不安定で暴力事件も数多かった尾崎豊との関わりは凄まじかったようだ。

 

以下、少し長くなるが、壮絶だったことが分かるので引用する。(なお尾崎豊の熱烈なファンには、読むのに苦しい描写かもしれない。生前彼と最も親しかった見城徹氏の赤裸々な独白である。)

 

『編集者という病』p.36より↓

 

≪尾崎豊って、自分がこの人とは切り結んだと思えた人に対しては猛烈にワガママ。猛烈に自分勝手なんですよ。ところが、初めて会った人にはウソみたいに低姿勢なんです。たとえば「あ、どうも尾崎です。どうもありがとうございます」なんて言いながらインタビューが始まる。で、そのうちに自分がこの野郎許せないと思い始めると、その場でテーブルを全部ひっくり返して終わりにする。…(中略)

 

信じられないわけですよ、相手を。善意にとれないわけですよ、すべてを。『放熱への証』を作っていく過程で、デビュー以来連れ添った音楽プロデューサーになんくせをつけて決別する。長年、常に味方でいてくれたアート・ディレクターに対しても、ジャケット写真のことで絡んで、サングラスをかけたままチンピラみたいな台詞を吐いて、全部ゼロにしちゃうわけ。

 

最後には俺にもつっかかってきたんです。こっちもギリギリのところでやってるから、地獄の道行きはこれくらいにしたいと半分思っていたわけで、それを彼は分かるから、ますます逆に出てくるわけだよね。攻撃に出てくる。だから俺も耐え切れずに「お前とは二度と付き合わない」という形で決別した…。その三人を失くした時点で、彼には信用できる人は誰もいなくなったんです。…(中略)

 

そのうちお母さんが急死する…。そういう中で、彼は何を思ったかというと、自分が死ぬ、そのパフォーマンスを見せれば三人が戻ってきてくれると思ったんだよ。俺はそう思う。意識が混濁した中でそう思いながら、本当に死んじゃったんだよね」

 

(尾崎豊は)死の三週間ほど前に、(見城徹に)電話をかけている。

「見城さん、レコード会社を作ってください。見城さんだったら作れるでしょ。僕は今のレコード会社が信じられない」と。

 

(見城は、尾崎が)レコード会社と大もめにもめていたことを知っていた。しかしもう二度と付き合わないと心に決めていたので、突き放して電話を切った。その三週間後に(尾崎は)死んだ。もう終わってしまったことだ。しかし、後悔の気持ちが残る。なぜあのとき「今から来いよ」と言ってやれなかったのか。≫

 

p.38より

≪彼自身、自分は長く生きられないと感じていたと思う。だから人の10倍の速さで生きるように、感情も行動もあまりにも性急で、だから俺のワガママを許してくれ、俺のデタラメを許してくれというふうに叫んでいたように今となっては思う…。酒は浴びるように飲んでいた。もう抑制がきかないんだよね。正体をなくすくらい飲むんですよ。元の事務所の社長を刺しにいくと言って車に乗って出かけて、その人が居るバーのドアに着いた瞬間に、ナイフを持ったまま気絶しちゃうんだからね。フーッと。あんなヒリついていたヤツ、見たことないよ。だから尾崎と関わった人間って、どこかで自分を狂わしてもいくわけですよね。自分が狂わない限り、尾崎とは付き合えないんですよ。…(中略)

 

彼が俺に突きつけてきたことって、その時は辛くてしょうがなくて、逃げたくて逃げたくてしょうがなかったことだけど、すごくいい試練だった。その試練が今の俺の血となり肉となっていると思う。

彼は常に人に踏絵を要求するんだから。それはたったひとつですよ。〈あなたは尾崎豊ひとりだけを愛してくれますか〉という試練を常に問うんですよ。辛いよ。彼の言った台詞や彼のとっている行動によってこっちが突然不安な感情に襲われて、何もできなくなることはしょっちゅうだった。(中略)

 

彼が課してくる試練というのは、結構、本質を突いた人生の試練なんですよ。七転八倒しなければ、そして脂汗を流し涙を流しながらやらなければ、仕事は進まないということを俺は尾崎との関わりの日々から学んだ。俺はそれを、内臓で学んだね。そして自分が才能を信じた者との道行きを紡いでいくことは、死ぬほど辛いものだということを身をもって知った。ひとつ間違えれば俺が死んでいたよ。尾崎という男はそういうヤツだった…≫

 ★★★

 

 

見城徹氏が次々とミリオンセラー、ベストセラーを生み出し続け、【精神の格闘家】と評される理由が、このエピソードだけでも分かる気がした。

 

個人的には『編集者という病』が一番印象深いが、もし見城氏の書籍を未読なら、どれから手に取ってもいいと思う。ご一読しては完