『忘れられた巨人』のテーマを考えた
待っていたカズオ・イシグロの最新作『忘れられた巨人』(早川書房)読みました。
舞台はイギリス、アーサー王亡き後の6~7世紀の物語。
内容はこんな感じ(アマゾンより)↓
《アクセルとベアトリスの老夫婦は、遠い地で暮らす息子に会うため、長年暮らした村を後にする。若い戦士、鬼に襲われた少年、老騎士……さまざまな人々に出会いながら、雨が降る荒れ野を渡り、森を抜け、謎の霧に満ちた大地を旅するふたりを待つものとは――。
失われた記憶や愛、戦いと復讐のこだまを静謐に描く、ブッカー賞作家の傑作長篇≫
- 忘れられた巨人/カズオ イシグロ
- ¥2,052
- Amazon.co.jp
★最後のページで『えっ!アクセル(主人公)はそう動くの!』と驚き、同時に静謐がやってくる。カズオ・イシグロはやっぱり私にとってベスト1の現代作家です。
★ストーリーとっても面白いです。プロットも素晴らしい。
★竜・鬼・妖精・湖・川・島・修道院・塔そして剣。
これらの〔大道具〕が散りばめられているこの作品は表面的には「ファンタジー」のカテゴリーに置かれるかもしれません。
ですが私は、あのカズオ・イシグロが単なるファンタジーを書くはずがない、その形を取って表現したかったものは何だろう、と考えました。
即ち、この小説のテーマは何だろう?と。
イシグロ氏は、きっと、広く全世界の読者にとって「他人ごとではない」内面に訴えかける何かを書いたに違いない。
そう思って、小説のテーマのヒントはないか、と私はこの本の全てから「テーマは何?」の答えを探そうとしました。
★まず何より この表紙。裏も。
タイトルに「巨人」とあるのに、人の姿ではなくてこれ何?樹木?
山から噴き出しているのは何?
★そして原題『Buried Giant』。これは答えへの大きなヒントだなと直感しました。Buriedを「忘れられた」と表現した…忘れられたのは何? 巨人?
でも小説のどこにも巨人なんて出てこない。竜は巨人ではない。
(ちなみに翻訳者の土屋政雄氏は「わたしを離さないで」「日の名残り」「夜想曲集」の訳者。イシグロ・ワールドの魅力を広く日本に浸透させたのは土屋氏の名訳の力も大きいと思います!)
★問いを持つと、答えは来るのでした。直球で。
たまたま読んだ雑誌『WIRED
』で、イシグロ氏のインタビュー記事が載っていたのです。↓
≪『忘れられた巨人』でわたしが書きたかったテーマは、ある共同体、もしくは国家は、いかにして「何を忘れ、何を記憶するのか」を決定するのか」というものでした。≫
『忘れられた巨人』の大きなテーマは 【共同体の記憶】
★人間は、思い出したくない辛いことや自分に都合が悪いことは、忘れようとします。モノを捨てたり、データを削除したり。
共同体または国家が「思い出すと切ない」「忘れたい」ことがある場合はどうするか。
↓
記録に残さずに、破棄したり埋めたり消去したり、はたまた事実を改ざんしたりするのだろう。
しかし人々は、鬼や妖精や、聖剣戦う戦士の姿に変え、記憶を子供達に伝える。
『忘れられた巨人』の時代設定が6世紀頃で、アーサー王伝説とファンタジーが織り込まれている理由が、私なりに納得できました。
★一方で★
『忘れられた巨人』は、【愛の物語】と読んでもいいと思います。最初から最後まで、老夫婦のラブストーリーでもあります。
非常に印象深く残ったシーンがあって↓
主人公の老夫婦は舟である島に行こうとするが、船頭は二人一緒には乗せられないと言う。
船頭は、ある質問に二人が答えることができて、その答えで船頭が「一緒に渡れるほど2人の絆が強いのだ」と分かった場合に、二人を一緒に島へ運んでくれるというのです。
その質問とは
【一番大切に思っている記憶は何ですか】
船頭の独白が続きます→(夫婦にこの質問をした理由は)『一番大切に思っている記憶を話す時、人は本心を隠すことなど不可能なのです』と。
★これから読む方のために、『忘れられた巨人』の老夫婦は、果たして2人一緒に島へ渡れたかどうか、問いのままに残しておきます。
★名作はどんな切り口からも深く読める。
カズオ・イシグロ文学は崇高な芸術だと改めて感じます。
彼の著書を読むといつも感じる感覚
⇒左脳で文字を読むと右脳に音楽が流れ映像が浮かび、私の身体周りの空気が動く感覚。
この感覚は他の作家にはない…あ、他に一人だけいる。村上春樹。
是非皆様にも『忘れられた巨人』、ご一読をお勧めします
※長文お読み頂き本当に有難うございました~。