世田谷パブリックシアターで、心理スリラーミュージカル『ブラック メリーポピンズ』を観てきました。
韓国ミュージカル、たぶん初めて見ました。
あんまミュージカルでなくても、良さそうなストーリーと楽曲だったような気がします。

「忘却は救いか否か」なストーリー。

個人的には忘却は救いだと思ってる。
けど人間として生きていくため、というか自分を自分として成り立たせるものは、記憶であるのだろうと思う。
その時間と空間と人間との中で立ち位置を計っていく中で立ち現れるのが、自分というものなのだと思う。
でも出来上がってしまった自分というものに、自分で苦しめられることはあると思うし、人間社会自体が苦しみの元凶であるのとも思っている。
ので忘却、自分が自分でなくなるということは、やはり救いではあると思う。
だから人は祭が好きだったり、コスプレをしたりするわけだ。
パートタイムで日常と自分から切り離すことができるから。

…などと舞台の内容とは、あんま関係ないことを考えてしまう。


舞台の見所は、なんといっても音月桂さんでした。





TOHOシネマズ日劇で、ディズニーの実写映画『マレフィセント』の3D字幕版を観て参りました。

3D上映してるとこ少ないのよね~。
…まぁ、この映画も別に3Dじゃなくていい映像だったんだけど(^_^;)
でも、なんだかんだで、どーせ映画館で観るなら、家では見れない3Dで見とこうと思ってしまうあたくし…。
これでいいの。


で、この映画はディズニーアニメ映画『眠れる森の美女』のオーロラ姫に呪いをかける悪役・マレフィセントの物語。

マレフィセント側の立場から描いた物語…的な宣伝ですが、ストーリー展開が似て非なる別モノすぎましたです。

その点がまず、私としては納得いきませんでした。

以下、ネタバレを気にせず書きますので、ご注意くださいませ。



この映画の企画は、『オズの魔法使い』の西の悪い魔女を主役にした裏側の『ウィキッド』の影響をもろに受けてるのが丸だしなわけです。
『ウィキッド』も悪い魔女が、実はよい魔女だった…という話。
でも、元の映画のストーリー自体は全く崩していない。という点が実に素晴らしかった。
そして『オズの魔法使い』が暗喩している政治の欺瞞という主題も、きちんと踏襲している。
そういうところに、元の作品に対する愛情と尊敬がとても感じられて感銘を受けたわけです。
それでいて『オズの魔法使い』を仮に知らなくても、女性の自立の物語として成立している。という点も、実によく出来ていたわけでございます。


なんですけど、この『マレフィセント』の脚本には、元の作品に対する愛情はあまり感じられなかったんですよね…。
アンジェリーナ・ジョリーの演技には、マレフィセントに対する愛情はとても感じられましたけれど…。
てか、アンジーがやったことで『マレフィセント』と呼んでもいい作品にはなってるとは思います。
けど、全く『眠れる森の美女』ではございません。

マレフィセント以外は、ディズニーアニメの『眠れる森の美女』のキャラクターは踏襲されてない気がした。
名前が同じだったり、見た目が似たりはしていても。

まぁ、オーロラ姫がやっぱり個性が薄くなってしまうところは踏襲してるかもね。
ディズニープリンセスって、フェミニストの方からやりだまにあがったりしてましたけど、白雪姫とシンデレラは、なんだかんだ主体性を持ってると思うのだけど、オーロラ姫って何も知らされてないし、呪いには打ち勝てなくて途中から眠っちゃうからか、断トツでキャラ薄いっすよねー。
ほんと美しいだけで…。
オーロラ姫が好きな方は、たぶんあの美しさだけが好きなのだと思うさね。
アニメ映画の主役って、三人の妖精だったよな~と思ったし(笑)

話がそれました。

エル・ファニングが演じたオーロラ姫は、これはこれで好きです。
アニメとはビジュアルイメージがかなり違うけど。
マレフィセントが親的な愛情を注ぐ相手なので、あの子どもっぽい可愛らしさで正解。
なんかふわーっとしてて妖精っぽいのも良い。
キャラはやっぱり薄く感じたけど、まーきっとオーロラ姫って、それでいいんだろうな…などとも思った。
でも【ブライア・ローズ】という偽名を使ったとかそういう設定が無視されてるのが納得いかない。

フィリップ王子はいる意味なさすぎる。
扱いが酷すぎる。

三人の妖精はアニメ映画でも、16年も人間としてやってきながら、洋服も作れなければ、卵の割り方も知らない…と一体どうやって子育てしてきたのか謎だったし、なんであと一日匿ってから姫を城に戻さなかったのか?とかマヌケで役に立たない奴らだな~…とは思っていたので、今回の映画で本物の役立たずのバカと描かれていて、なんか答えを頂いたように思いました…。
でも、ほんとバカになりすぎていたし、オーロラ姫に対する愛情が描かれていなかったのは、けっこう悲しい…。
あ、あとマレフィセントの住む森に最初いたので、そこから人間側に寝返ったということのはずだけど、そこの描写がなかったな…。
たぶん設定としてはあったんだろうけど、ごっそりカットされたんだろう。
この三人の妖精の名前だけ、アニメ映画とは違うのが、なんでなんだろう?と気になりますね。

んで、オーロラ姫の父親のステファン王…。
この映画では、どこまでもクズすぎるんですよねー…。
でも、そこがディズニーのご都合主義っぽくて、とても嫌だった。

マレフィセントを主役にして、善人にしすぎなのも、なんかマレフィセントのキャラクター意義を壊してるような気がするしね。
マレフィセントってのは、パーティーに呼ばれなかった程度のことでスネちゃうような小物なのに、エレガントに振る舞ってるというギャップが魅力な気がしたりもするしな。

んで、代わりにステファン王が悪役に仕立て上げられたのだと思うのだけど、なんだかなぁ…。

マレフィセントを主役にした。ってことは、それまで悪役なだけだと思われていた側にも、ちゃんと道理があるんだよ。
という違う視点から、同じ事を見つめることによって現れてくる、人と人との誤解の悲しさ…みたいなものを描いてくれるんじゃないかという期待をしていたのだけれど…。
そこにディズニー自身の、自己批評的なものがあるのではないかと期待していたのだけど…。
結局、こっちは正義なんだから、あっちは悪役。というディズニーの決まったカタチを、ステファン王を悪役にしたことで、また繰り返してしまっていて、そんなことやったら、私が期待したこの作品のアイデンティティが丸つぶれじゃねーか…という気がして、がっかりでした。

エンターテイメントを目指すのがディズニー作品のアイデンティティなのだろうけれどもさ…。
でももっとちゃんとテーマを描くべきものってあるんじゃないか?と思った。

『魔法にかけられて』や『プリンセスと魔法のキス』では、過去の作品を批判的に見て茶化しながらも、テーマは肯定している…。という離れ技が出来ていてほんと素晴らしかった。

『アナと夢の女王』も、過去の作品を茶化したり、かなーり話を変えてしまいながらも、元の『夢の女王』のテーマは守っていたというところは凄いな…。と思った。

でも『マレフィセント』でやってしまったことは、過去の作品のテーマの否定と、間違った描き方の繰り返し。

エンターテイメントとしては楽しめる映画にはなっていたけれど、作品の在り方としては、私はかなり残念な作品だと思いました。



あぁ、もっともっと言いたいことはあるけれど、どーせ皆さん興味ないだろうし、読むのも大変だろうし、あたしが書くのも大変だし、読んでいただいても不愉快になる方が多いと思うので、この辺でやめておきます。

あ、でもでも自分だったら、【復讐】というものに自分で振り回されるマレフィセントと、ステファン王との関係を主軸に描きたいね。
で、オーロラ姫を救う。という同じ目的のために関係をこじらせた二人が協力をし、和解する。
といっても、同じ国で一緒に暮らすのではなく、お互いの国の価値観を尊重することで別れ、それぞれの国に戻っていく…。みたいな結末が良いのです。

あー、これも自分でリメイクしたーい作品だ…。


渋谷のアップリンクで、ドキュメンタリー映画『ホドロフスキーのDUNE』を観て参りました。

製作中止になった『DUNE』ってSF映画にまつわるドキュメンタリーです。
ホドロフスキー監督は『エル・トポ』とか『ホーリー・マウンテン』でカルト人気の高い方。
この2作は前から見よう見ようと思いつつ先延ばしにして未見のまま…なんですが、このドキュメンタリー観てBlu-ray注文しちゃった。あはん。


ホドロフスキー監督は、なんかカルト教団の教祖様っぽいカリスマ性をお持ちの方です。
80過ぎてもイケメンです。
おもしろエピソード持ちすぎです。
ものすごくエネルギーがあって魅力的だけど、ちょっと怖い…。

『DUNE』も、製作中止になったこで、かえって神話化してるようにも思えた。

ホドロフスキー監督の、戦士(スタッフ・キャスト)を集めていくのとか、なんかセーラームーンを連想したりした。

『DUNE』は作られなかったわけだけど、そこで集められた人やノウハウが、後のいろんな作品を産むことになってるわけで、思った通りの結果が出なくても、別の形で結実すれば、まぁ頑張りも無駄じゃないよねー。と思えて、なかなかさわやかな印象で終われる作品となっておりました。


それにしても、サルバドール・ダリが出演予定だったというのは、すごいっすねー。