「知の探求」って何? 「IB生」が大人びる理由 | だんご3兄妹弟と私 ニュージーランド親子留学編

だんご3兄妹弟と私 ニュージーランド親子留学編

だいぶ大きくなった子供たち3人と、カナダでの4年間の親子留学と、2021年から3年間のオランダ生活、そして現在のニュージーランドでの日々を綴っています。

長女のインターナショナルバカロレアの最終テストまで、

 

いよいよあと3ヶ月を切っています。

 

自称「家庭教師」を名乗る私は、英語はダメダメですが、

 

日本語で教えられる内容の範囲で、サポートしてきました。

 

そうして、長女の近くで、IBの勉強の仕方を2年間見てきて、

 

いろいろとわかってきたことがあります。

 

みなさんは、IBを卒業されたというお知り合いの方をご存知ですか?

 

私のこれまでの元IB生のイメージは、

 

「誰とでも、老若男女、国籍問わず、さわやかに明るい笑顔で、挨拶をする」

 

「人の目をみて、はっきりと、(照れずに、モジモジせずに)自分の意見を言う」

 

「理路整然とした話し方をする」

 

「落ち着いていて、包容力があり、優しい」

 

「段取りよく動く、働くのが好き。」

 

「前向きな思考で、チャレンジ精神旺盛。」

 

という感じです。

 

なんとなく、わかりますか?

 

一言でいうと、

 

大人以上に、できた大人。

 

という感じでしょうか。。。泣き笑い

 

さらにここに、

 

「英語が堪能。」「学力が高い。」というのも加算されます驚き

 

ただ、今までは、そういう人に会っても、

 

「親御さんの子育ての仕方がいいんやろなー」とか「もともと賢い子なんやろな」

 

と思っていました。

 

しかし、

 

長女の変化を見て、気付いたことがあります。

 

それは、

 

「いや、親の子育てではなさそう」→うん。だって、私の子やし。

 

こりゃ、やっぱり「IBのシステムに何かあるぞ」とニヤリ

 

うちの長女は、中学生の時に、オンラインで初めて教えてもらった先生に、

 

「娘さんは、ひどく支離滅裂な話をされますね」と言われたことがあるくらい、

 

もともと賢いわけでもありません。

 

でも、この2年間で、長女はどんどんと「IB生っぽく」変わってきているんですびっくり

 

いったいどこに、その仕掛けが潜んでいるのかすごく興味が湧いてきました。

 

インターナショナルバカロレアの手引き書というのがあって、

 

そこには、「IB学習者像」というのが掲げられています。

 

①探究する人
②知識のある人
③考える人
④コミュニケーションができる人
⑤信念をもつ人
⑥心を開く人
⑦思いやりのある人
⑧挑戦する人
⑨バランスのとれた人
⑩振り返りができる人

 

さらにこんなことも書かれていました。

 

IBでのアウトプットは、もちろん試験の解答も求められるが、それを使って他者に対してプレゼンをしたり、新しいアイディアを披露したりすることに重きが置かれる。

 

知識を正確にアウトプットするだけではない、その後の再構成やクリエイティビティを重視する。

 

知識そのものではなく「知識の応用」だ。

 

「勉強ができるだけで仕事ができない人」とは、IBで求められるような類のアウトプットを出せない人だ。

 

これが、日本で私が習った勉強の仕方と全く違うところだなと思いました。

 

IBディプロマプログラムというと、6つの教科の他に、

 

TOK「知の探求」、EE「課題論文」、CAS「創造性、活動、奉仕」という課題があります。

 

この図の中で、中心に先ほどの「IB学習者像」というコアがあり、

 

その周りを囲んでいるのがこの3つの課題です。

 

DPを知るまでは、これらはむしろサブ教科扱いで、

 

6つの教科をいかに頑張るかの方が大切なのだと思っていました。

 

しかし、今になってみると、確かにこの順番なんだな、と思ってしまいます。

 

 

細かい教科の説明は、長くなるので省略しますが、

 

私の思うIBの教育は、

 

どうやってその知識を手に入れるのか」と

 

「手に入れたその知識を、どのように活かすのか」、

 

つまり、英語の  HOW に、力を入れていると感じます。

 

6教科には、最終テストといういわゆるペーパーテストが課されるのですが、

 

それ以外に、各教科ごとに「論文」もしくは「自由研究」的なものがあり、

 

これらが各全体成績の20%〜40%を占めます。

 

数学や物理といった理系科目にも、この自由研究は課されていて、

 

DPの2年間の間に、自分が選んだテーマに沿って、

 

仮説を立てて実験をして結論を導き、A420ページから50ページの論文にまとめます。

 

この内容は完全に生徒のオリジナリティが問われ、アウトプット力が求められます。

 

 

さらに、TOK(日本語では「知の探求」と呼ばれている)という曲者もいます無気力

 

これがまた、私には「謎解き」とか「へりくつ」にも思えるような難解なしろもので、

 

簡単に「知る」ことを許してくれません。

 

「知る」とはなんぞや。どうやって「知る」のか、を探ります。

 

「えーー?勉強?知識?そんなん、覚えたらいいやんか」という日本育ちの私の発想は、

 

こっぱみじんでやられてしまいます。

 

私が高校生、浪人生の時代にやった勉強は、

 

「知識をインプットしただけだったな、アウトプットにはオリジナリティはなく、

 

一つの回答を見つけるだけだったな」と気づきます。

 

ということで、

 

問題を「解く」ことに重きを置かず、「どうやって導くのか」に焦点をあてるので、

 

数学のテストでも、解き方がわかれば、あとは計算機任せ。

 

国語の問題も、「筆者の考え」や「この時の主人公の心情は何か」という設問ではなく、

 

「作者は、どうやって読者に作者のテーマを伝えようとしたか。そのテクニックは?」となります。

 

こんな感じで、彼らの勉強の周りには、いつも、

 

How?がつきまとい、

 

オリジナリティとアウトプット力が採点の対象になります。

 

私は、この時最も鍛えられているのが、「客観的思考」で、

 

そして、この「客観的思考力を高める」ことが、

 

先に述べた、『IB生らしさ』であり、『大人びる』ことにつながるような気がしています。

 

 

「作文」と「論文」の違いは、自分視点の感想か客観的立場で述べられるかです。

 

IBでは、作文は書きません。いつも、論文です。

 

単一民族の日本人や、

 

男女の中でも特に女子脳は、客観性が乏しくなりがちと言われています。

 

IBでは、

 

多人種、多宗教、多国籍の友人たちに囲まれているので、

 

無理やりに視野を広げさせられ、

 

その中でも通用するような、打ち勝てるような、独自の論理を組み立てさせられ、

 

それをわかりやすくアウトプットできているかどうかを採点されます。

 

こうやって、2年間指導を受け、近くをそういう人ばかりに囲まれることで、

 

気づいた時には、「IB生っぽい!」が出来上がっている感じです。

 

ほんと、なんて、シビアな世界でしょうか絶望

 

それを英語でやるなんて、まあ、、、大変。

 

長女に「ママ、最近やっと気づいてきてんけどな。

 

やっぱり、インターナショナルバカロレアって仕組み、すごいなっ」

 

と言うと、

 

「そお?やって良かったと思うけど、2度とやりたくない。誰にもおすすめしーひんでニヤリ

 

と言います。

 

あまりにも、2年間でやることが多すぎるからでしょう。。。

 

長女も一年前には、「わたし、もう無理かも」と弱音を吐くこともありましたが、

 

今は「もうここまできたら、やるしかねえ!」という「とっとと終わってやる!」モードに入っています。

 

明日から、オランダは1週間のカーニバルブレイクに入りますが、

 

ただ、ひたすらの「猛ダッシュ勉強期間」になりそうです。

 

風邪だけは引かないように、引かせないように、

 

3ヶ月後に、うちにも一人「IB生」が誕生することを期待して、応援したいと思います。

 

 

↑お正月に行った、「ハイネケン工場」にて。パパと長男とビールを試飲する長女。

 

18歳はお酒が飲めるので、

 

テストが終わったら、女二人のロンドン旅行で、乾杯しようと計画中です。

 

それでは、また。