生とは何か
死とは何か
当たり前に判ったやうに
私らは生きて死ぬるが
それで別段何も問題は起きないので
だから以下はどうでも良い話ではあるのだが

何故か私はさう云ふ当たり前な所で躓いて転ぶ
それはMSAになっても変はらない

一遍上人語録を見てみよう

生死といふは妄念なり
生死をはなるゝといふは
念をはなるゝをいふなり
・・・
有心は生死の道
無心は涅槃の城
生死を離るゝは
心を離るゝをいふなり

生と死が妄念とは
生と死が幻想で
現実存在しない、、
と云ふ訳では無いだらう
呼吸してゐるし
飯食ったし
だから
生病老死の、、
生命体の存在自体が妄念
と云ふ訳では
(少なくとも此処では)
ないと思ふ

恐らくだが
一遍上人の見てゐた生と死は
私らの見てゐる生と死とは
全く違ふ何かであると云ふ事

さうしてそれはもはや
生と死の言葉で片付けるには
あまりにも深遠であるが為に

無心は涅槃の城

涅槃と云ふ言葉を使はざるを得なかった事

私らが当たり前に思ってゐる生と死が
私らの妄念によって形成された
概念上の生と死であると云ふ事

だから

生死を離るゝは
心を離るゝをいふなり

生死 即 念であり心であると

では生と死を離れた
妄念や心を離れた
無心である涅槃の道に何があるのか

残念ながら今の私にはこれ以上の追随は出来ないやうだ
ただ恐らくはこの先は
不立文字の領域に入るのだらう事、、

まぁ大半の方にとっては
やっぱりどうでも良い話だなこりゃ


剱岳山頂から?


何処だ?

写真の管理も適当、、