死に対して忌避感を持つ方からすると

私の存在がNGな訳だが

まぁこの期に及んで氣にしても仕方あるまい


80億の生があれば

80億の死がある訳で

無数の様々な人生の終が

全て一緒くたにされて

不安と恐怖と絶望に縁取られた死と云ふのは

どうにもおかしく思へる


仮に一般的な世界観を前提にするとして


私は自然死については肯定的だが

勿論

生についても肯定的である

(自然死は老衰と大半の病死と一部の事故死?遭難死?だと思ってゐるが異論は認める)


生と死

生を楽しみ

死を楽しむ

共に楽しめればいいのだらう

死が消滅だと云ふなら

死の瞬間を楽しめばいい


無論他者が亡くなるのは

哀しく辛いものではあるが

自分の死では笑ってゐたい

MSAでは難しいかもしれないが


生と死

そもそも対立するものでは無いのでは


確かに同時存立し得ないから

対立していると解釈も出来るし

どう解釈するのかは人の自由だけれども


人は必ず亡くなるから

「死の勝利」は確定してゐる

だから拮抗対立とも言へないのでは


私は

生に拘るのは是としたい

同時に死に拘るのも是としたい

語弊がありさうだが

私は生と死を等しく見たい


思ふに生死は

一枚の葉の裏表と解する事も出来るのでは

裏表は別に対立してゐる訳では無い


風でも吹けば

容易く表裏は入れ替わる


裏を見せ

表を見せて

散る紅葉


良寛の辞世の句として伝わってゐるさうですが


さう云ふ葉の一面の瞬間を

私らは

生きて死ぬだけなのかもしれないなと

ふと思ふ



ブリューゲル「死の勝利」

とは云ふものの

別に生が敗北して

死が勝利する訳でもない…

ただ入れ換はるだけ

なのではなからうか