『スウェーデンの少女、イングリッド』

モイズ・キスリング

1932年

 

 

 

***2020年1月22日の日記***

 

 

自分の親と同居して

半年くらい過ぎたあたりの

あの満月の夜に。

 

私は爆発して。

 

あれ以来、

体調がすぐれない日々が

続いたりもしましたが。

 

 

あのコーヒーショップで

働きだした頃には、

 

それもだいぶ、

落ち着いてきていました。

 

 

それが、

 

ダンカン・ダンスを

やっていた頃だったか。

 

それとも、

やめたあとだったか。

 

その頃くらいから今度は、

 

肌の状態が

悪化しはじめましたぐすん

 

 

そういう自分の状態を見て私は。

 

「あぁ、今って。

 

自分の中にあった

いろんなものが、

 

あれこれ外に、

吹き出してきているんだな」

 

・・・と。

 

そんな風に思っていました。

 

 

「浄化」が起こっているのだ。

 

・・・と。

 

 

あの頃の私は、

スピ的な考え方にどっぷりと

染まっていましたので、

 

体調の悪化や病気は、

すべてが「浄化」と映っていたし。

 

それを信じて、

疑っていませんでした。

 

 

*******

 

 

あの時の皮膚の悪化は、

かなりひどいもので。

 

それは主に、

「顔」に出ました。

 

 

私は昔から、

肌はあまり丈夫なほうでは

なかったのですが。

 

メイクすることは

大好きでしたし、

 

スキンケアにも、

かなりこだわるほうでした。

 

 

OLの頃は、

ちょうどバブル時代で。

 

当時はメイクも、

濃いものが主流でした。

 

 

そんな中、

私も例にもれず、

メイクは濃かったし口紅

 

香水も、

浴びるようにつけていました香水

 

 

今ではもう、

考えられませんがニコニコ

 

 

そして。

 

そうやって自分が一番

遊んでいた頃の流行り

というものは、

 

なぜか、

濃く染みついてしまうものなのか。

 

その後、

ある程度流行は変わっても、

 

自分のメイク・スタイル

というものは、

 

なかなか変わらずに。

 

結婚して子供が生まれた後も、

相変わらずメイクは濃いままでしたにやり

 

 

それが。

 

あれは、

息子が幼稚園生の頃だったか、

 

ある日突然、

口紅が使えなくなって

しまったのです。

 

 

その日、朝、起きると、

 

唇にポツッと、

小さなおできのような

ものが出来ていました。

 

 

でも。

 

スッピンで外に

出るなんてありえない。

 

・・・と思っていた

当時の私は、

 

かまわずそのまま、

口紅を塗ってしまいました。

 

でも、

それがいけなかったようですぐすん

 

 

もともと、

アレルギー体質だったのですが、

 

唇のおできのうえに

口紅を塗ってしまったことで、

 

それ以降は、

合成着色料にアレルギー反応を

起こすようになりました。

 

 

当時、一般的にお店で売られていた、

普通の口紅を塗ると、

 

すぐに唇が腫れてしまうように

なったのです。

 

 

口紅だけでなく、

 

例えば食品の中に、

 

「赤色〇号」

 

・・・みたいなものが含まれていると、

 

それを食べただけで、

唇がタラコになりましたぶちゅー

 

 

 

それまではなんともなかったことが

出来なくなってしまった。

 

・・・ということが、

 

あの頃の私には、

ものすごくネガティヴな出来事に

映っていて。

 

 

市販の口紅が塗れない。

 

食品に含まれる着色料を

気にしなければいけない。

 

 

・・・みたいな、

 

そういう自分の身体の

変化を受け入れるまでに。

 

相当、時間がかかりましたネガティブ

 

 

お気に入りの口紅が

塗れないことが悲しくて。

 

何度も再トライしては、

何度も唇を腫らして。

 

諦めるまでに、

時間がかかりました。

 

 

そのうち、

唇はどんどん敏感になり。

 

口紅だけでなく、

普通の薬用リップすら

使えなくなり。

 

何も反応が起こらないのが、

唯一、ワセリンのみ。

 

・・・という悲しい状態が

長年も続いたのですが、

 

 

幸いなことに、

その頃は。

 

口紅は薄い色が流行りだし、

 

口紅というより、

グロスがメインになってきていた

時期だったので。

 

その点では、

救われていましたイヒ

 

 

長年口紅を塗らなかったことで、

唇の血色は戻って来ていたし。

 

ワセリンのテカリは、

グロスのテカリと

シンクロしていましたからニコニコ

 

 

*******

 

 

あのコーヒーショップで、

「こっそりヒーラー修行」を

していた頃も、

 

そうやって市販の口紅は

一切塗れなかったのですが。

 

その頃はもう、

唇のことはそんなに

気にしなくなっていました。

 

 

とりあえず

ファンデーションを塗って、

 

シャドウをいれて。

 

唇はワセリン。

 

・・・みたいな感じで、

まぁ、なんとかなっていました。

 

 

それがある日、

 

今度は顔全体が

唇のような敏感状態になり。

 

口紅どころか、

 

すべてのメイク用品、

すべてのスキンケア用品に対して、

 

アレルギー反応が起こるように

なってしまったのでした。

 

 

接客業でしたので、

あまりにボロボロな顔で

出勤することもできず。

 

敏感肌用の化粧品を使って、

なんとかメイクをしたり

していましたが、

 

家に帰って洗顔すると、

顔が真っ赤に腫れあがり。

 

 

とうとう、

ノー・メイクでお店に

出ることになってしまった時は、

 

お店のみんなが

心配してくれたのですが。

 

あの店長までもが、

 

「大丈夫ですか?

お大事にしてくださいね」

 

・・・と言った時は、

少し驚きました。

 

 

この店長でも、

こんなに素直に物を言うことが

あるんだ。とニコニコ

 

 

「店長がそんなことを言うなんて、

気持ち悪い!」

 

・・・と、

つい口から本音が

出てしまいましたが。

 

 

その時彼は。

 

「なんですか、それは」

 

・・・と、ふてくされながらも、

その顔はちょっと笑っていて。

 

どこか嬉しそうでしたにやり

 

 

*******

 

 

そんなこんなで。

 

このまま一生、

メイクができなかったら

どうしようと。

 

あの頃はそんなことでも、

お先、真っ暗になったものですおやすみ

 

 

今思うと、

些細なことでも。

 

あの頃の、

まだ、若かった私には

重大問題でした。

 

 

でもだからこそ。

 

行動したのだと思います。

 

 

自分の肌をなんとかするために、

私は、医学関係の本を

読み漁ったりしました。

 

 

医学。と言っても、

当時一番心惹かれたのは、

 

「チベット医学」

 

・・・でした。

 

チベット仏教、

好きでしたから。

 

 

そしてその繋がりから、

ハーブ療法に目が留まり。

 

そこから私は、

 

ハーブの世界を真剣に

学び始めるようになりました。

 

 

つづく

 

 

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