『夕方の湖』

マックス・ノンネンブルッヒ

 

 

 

***2019年11月30日の日記***

 

 

「独裁店長と愉快な仲間たち」

 

 

あのコーヒーショップ時代を

思い出す時、

 

いつも、

この言葉が浮かびます。

 

 

ああいったチェーン店では、

社員の移動が定期的にあり。

 

店長も、

1~2年で移動になるのが

普通でしたが。

 

この店長だけはなぜか、

そのお店から移動になることが

ありませんでした。

 

 

移動の季節になるとみんな。

 

「次こそは」

 

・・・と、

店長の移動を期待するのですが、

 

その期待はいつも、

裏切られていました真顔

 

 

そんな「主張の激しい」

店長のもとでは、

 

新しく入った人も、

すぐに辞めてしまうことが常で。

 

そんな中で、

辞めずに長く働き続けている

人というのは、

 

よっぽど根性があるか、

よっぽど鈍感かでしたにやり

 

もしくは、

深く考えずにすぐに

忘れようとするタイプとか無気力

 

 

とにかく。

 

そこに残っている人達というのは

私にはみんな、

 

「つわもの」

 

・・・に見えましたニコニコ

 

 

だから。

 

もしここにあの店長が

いなかったとしたら。

 

こんなに働きやすい環境は

ないだろうと。

 

そう思うくらい。

 

店長以外の人達はみんな。

 

懐の深そうな、

優しい人達だなぁ。と。

 

私は思っていました。

 

 

本社の人達も。

 

なんだかんだとそのあたりを

解っていたようで。

 

だからあえて、

あの店長をこのお店から

動かさなかったのだろうと

思います。

 

 

あの店長を

受け止められるような、

 

そんな「つわもの」が

揃っているこのお店から。

 

 

*******

 

 

そんな「愉快な仲間たち」とは、

 

私も本当にいつも楽しく

過ごさせてもらっていましたし。

 

いろいろなことを

学ばせてもらいました。

 

 

「こっそりヒーラー」を

演じていたせいで、

 

「Lyricaさんには癒される」

「Lyricaさんがいてくれてよかった」

 

・・・と、みんなはよく

言ってくれていましたが。

 

 

そういう言葉が。

 

当時の私には本当に、

励みにもなったし、

 

力にもなっていました。

 

 

以前、リンポチェが言っていた、

 

「最初は演技でもいいんです」

 

・・・というのは、

 

こういうことを言うのだろうとも

思っていましたおやすみ

 

 

*******

 

 

パートの彼女からは、

 

娘さんのことで、

よく相談を受けていました。

 

 

彼女の娘さんは、

当時、大学生で。

 

のちに、大学を卒業して

就職したのだったと思います。

 

 

娘さんの話を私にするときの

パートの彼女からは、

 

いつもどこかで、

娘さんを批判しているような、

責めているような。

 

そんな印象を受けました。

 

 

もちろん。

 

彼女が娘さんのことを

本当に愛していて、

 

心配していることも、

同時に十分、

伝わってきていましたが。

 

 

ある時、

パートの彼女がいつものように

娘さんの話をして。

 

そして。

 

 

「本当にもう、

あの子が何を考えてるのか、

私にはさっぱり解らないわ!

 

訊いてもなんにも

話さないのだもの!」

 

 

・・・と、怒りながら、

投げ捨てるように言うのを

見た時。

 

 

私には彼女のその姿が、

自分の母と同じに見えました。

 

 

当時、私の子供たちはまだ、

小学生とか中学生くらいでした。

 

私にとっての「子供」というのは、

そういう年齢でしたので。

 

大学生。というのは、

 

なんとなく「子供」には

捉えづらかったというか。

 

・・・かと言って、

自分たちのような大人でもなく。

 

とても微妙な年齢でした。

 

 

そのせいもありましたが。

 

私は、

彼女の話に出てくる娘さんの中に、

 

自分が重なって

見えてしまっていました。

 

 

「お母さんがこんなに感情的だったら、

何も言いたくなくなるよね」

 

 

・・・と。

 

ちょっと、娘さんに同情的な気持ちを

持ったりしている自分がいました真顔

 

 

そして、私の母もきっと。

 

今、目の前にいるパートの

彼女のように、

 

私のことが全然理解できなくて、

モヤモヤしたりしていたのだろうな。

 

・・・と。

 

そんな風に思ったりもしていました真顔

 

 

母と口論になると、

母はすぐに。

 

「あんたは難しい」

 

・・・と、言っていたから真顔

 

 

 

母とそのパートの彼女の

よく似ていたところは。

 

自分が理解できないものに対して、

攻撃的になる。

 

・・・というところでした。

 

 

自分が理解できないものを

理解しようと努力する前に、

 

反射的にそれを否定し、

排除しようとするところ。

 

 

それはつまりは、

理性よりもまず先に。

 

感情や本能で動いてしまう。

 

・・・ということです。

 

 

その時の感情にまかせて、

ついうっかり暴言を吐いてしまう。

 

それを理性で

飲み込むことができない。

 

・・・なんてところも、

彼女は母とよく似ているなぁ。

 

なんて思っていました。

 

 

占星術で言うと。

 

母は魚座で、

パートの彼女は蟹座でした。

 

それはどちらとも、

 

「水」の星座で。

 

その水は。

 

「感情」と関りがある。と。

 

占星術では言われています。

 

 

*******

 

 

こんな感じで私は。

 

本当は、

全然優しくないのですぼけー

 

 

いつも観察していて、

そして分析しています。

 

観察して分析するのは、

乙女座の質です。

 

そしてそうやって

分析したうえで。

 

その時の「最善」を選択して、

そういう行動をとっているだけの

ことです。

 

 

私のこの乙女座の質は、

月星座にあるので。

 

これをほとんど、

無意識でやっているのです。

 

なので。

 

母やパートの彼女のように、

感情優先で動くこと。

 

・・・というのは、

実は、ほとんどありません。

 

 

だから。

 

そこを見抜く店長からは、

 

「一番恐い人」

 

・・・と、言われるのですねにやり

 

 

母は身内でしたし、

 

なので私は母には、

本音をぶつけていました。

 

そして私のその本音が、

母のプライドと感情を逆なでし。

 

感情的になった母から

とんでもなく傷つく

暴言を吐かれる。

 

・・・ということが常で真顔

 

 

そういうことを繰り返すうちに、

母には何も話さなくなって

いったわけです。

 

 

けれども私もさすがに。

 

誰にでも本音のみで接する

「勇気」はありませんでしたので。

 

そこで、

 

「ヒーラーの演技」

 

・・・が入るのです。

 

 

言葉を。

 

オブラートで包むようになる真顔

 

 

そうやって、

演技をすると。

 

「Lyricaさんって、

本当に優しい」

 

・・・と、言われるのです真顔

 

 

パートの彼女の悩み相談を

受けている時は。

 

私はきっと。

 

そういう「演技」を

していたのだろうと思います。

 

 

あなたと娘さんの関係って、

私と母の関係みたいだわ。

 

あなたが私の母で、

私があなたの娘さんでね。

 

・・・と。

 

そう前置きした上で私は、

自分の「体験」を、

彼女にシェアしました。

 

 

母みたいなタイプには、

直接的にズバッと言うよりも、

 

こうやって遠まわしに、

客観的に見える位置に

立って考えてもらう方が、

 

有効的だと。

 

そう思えたからです。

 

 

*******

 

 

私のああいう在り方が。

 

彼女にとって、

実はどう映っていたのかは

分かりませんが。

 

「Lyricaさんといると、

癒されるわ」

 

・・・と、彼女は言ってくれていました。

 

ああいうところが、

彼女の優しさなのだと思いますおやすみ

 

 

もしかすると彼女はあの時、

私に対してもっと違うもの。

 

たとえば、

「強い共感」みたいなものを、

求めていたのかもしれません。

 

ただただ、

聞いてほしかっただけだったのかも

しれません。

 

 

それでもああやって。

 

「癒してくれてありがとう」

 

・・・と。

 

私に感謝することが

出来る彼女のそういうところは。

 

当時の私にとっては、

とても尊敬できるところでした。

 

 

それは多分。

 

私にはない優しさですおやすみ

 

 

あの店長は、

 

私と同じような「質」を

持っている人でしたから、

 

逆に解りやすかったのですが。

 

パートの彼女とはおそらく、

「質」が違っていて。

 

お互いに、

見えないところがたくさん

あったのだろうなと思います。

 

 

店長はそういう

「異質」なものを、

 

「恐怖」と「力」で

支配しようとしていました。

 

完全に、

相手を「弱い者」と決めつけて。

 

 

けれども。

 

こちら側からは「弱さ」にしか

見えないものでも。

 

違う側面から見たら、

それは「強さ」になる時もあり。

 

だから最初から相手を弱いとか、

下だとかと決めつけてしまうことは。

 

もったいないことですね。

 

 

私や店長が「火」だとすると、

彼女は「水」で。

 

自分とは違っていたり、

真逆だったりする「質」を

持っている相手と関わることは。

 

理解しづらいことも多く、

いろいろと大変ではありますが。

 

だからこそ、

 

そこにはたくさんの

学びがあり。

 

 

だから魂たちは、

 

本当に上手に、

完璧に配置をするのですが。

 

往々にしてエゴは。

 

なかなかそれに気づけないのですにやり

 

 

*******

 

 

「水」は、

その場の感情優先で生きるのだな。

 

・・・と。

 

パートの彼女を見ているうちに、

すごく思うようになりました。

 

 

感情というものは、

一度表現してしまうと。

 

すぐに消えていってしまう

エネルギーのように見えます。

 

だから、

その感情が消えたと同時に、

 

他のめんどくさいことも、

すぐに忘れてしまえるのが

「水」なんだ。

 

・・・ということに、

のちのち、気づきました。

 

 

「水に流す」

 

・・・とはよく言ったものだ。

 

・・・とおやすみ

 

 

だから、水は。

 

最終的にはすべて水に流して、

すべてを受け入れることができる。

 

 

ここが私にとっては、

実はとても難しいことでした。

 

私は結構、

「覚えている」ほうだからですにやり

 

 

ただその反面、水は。

 

自分の言動に

無責任なところもあります。

 

 

例えば、その場の感情で、

ついうっかり言ってしまった一言が。

 

たとえ相手を

傷つけていたとしても。

 

本人は、

自分の言ったことを気にも留めず、

ケロッと忘れていたりするのです。

 

消えた感情のエネルギーと共に、

事実も消えてしまっているのです。

 

 

私のように、

あれこれ分析し選択して発する

「一言」と。

 

母のように、

その場の感情にまかせて発する

「一言」というものは。

 

たとえそれが、

同じ言葉であっても。

 

その「重み」は、

全然違うものなのだな。

 

・・・ということに気づいたのは、

もう、だいぶあとのことでしたが。

 

それに気づいたことで、

 

母からの、

「否定の言葉」の数々によって出来た

長年の深い傷が、

 

多少癒えていったりも

しました。

 

 

そして。

 

そういう気づきへのキッカケを

与えてくれたのは、

 

多分あの、

パートの彼女だったのだろうと。

 

今は思うのですおやすみ

 

 

つづく

 

 

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