『モレスカ・ダンサー』

クリストフ・ヴァイディッツ

(1530-1540頃)

 

 

 

以前。

 

モレスカを踊るときは、

なぜ鈴をつけるのか?

 

・・・について、

あれこれ考えていましたが。

 

 

 

 

 

 

フランス語の

ウィキのページには。

 

それは、

 

「武器の音を模倣するため」

 

・・・と書かれていたので。

 

そこは意外で、

びっくりしました。

 

 

そんな情報は、

今まで見たことが

なかったのですが。

 

言われてみれば、

 

たしかに、

そういうことも

あり得るかも?

 

・・・と。

 

 

昔の出来事について

考察する時。

 

私達はどうしても、

今の現代人の頭で

あれこれ想像しがちですが。

 

意外と。

 

理由はそんな、

単純なことだった。

 

・・・ということも、

あったりするのかも

しれません。

 

 

その逆に。

 

昔のほうが、

今よりももっとゆっくり

時間が流れていたかも

しれませんから。

 

その分。

 

私達よりも。

 

もっと哲学的に

生きていたかもしれなくて。

 

 

そういうところは。

 

なんとも

言えませんけれども。

 

 

*******

 

 

ダンスに関しては。

 

フランスがやっぱり

強いのかなぁ。とも

思いました。

 

フランス語の

ウィキの内容は。

 

いろいろと

私のツボにはまる。

 

・・・というか。

 

そう!そこなの!

 

・・・と。

 

私の知りたいところを

解りやすくまとめていて

くれたので。

 

読んでいて、

スッキリしましたニコニコ

 

 

 

 

 

モレスク 

 

(またはモリスコ、

モレスクエン 、

 

イタリア語では

モレスカ、

 

スペイン語では

モリスカ) 

 

・・・は、

スペインから

ムーア人によって

輸入された、

 

二進法で活発な

リズムを持つ

 

中世の踊りです。 

 

道化師の踊りとも

呼ばれます。 

 

 

これは中世後期の

パントマイム・ダンスで、

 

元々は剣の踊りで、

出演者はムーア人の衣装を

着ていました。 

 

1150年にレリダ

初めて発見され、

 

その後15世紀に

イタリアに出現し、

 

17世紀まで

存在しました。

 

歴史


モレスクが資料に

よく登場するのは

15世紀ですが、

 

それは17世紀まで

続きます。 

 

まれに他のダンス 

 

(バス・ダンス、

サルタレッロ、

ピヴァなど) 

 

・・・が、言及されることも

ありますが、

 

モレスカはほぼ常に

その本来の表現で説明され、

 

そこでは基本的に

好戦的な2つの形式で、

 

時には2進リズム、

時には3進リズムで

現れます。 

 

ソロダンスと、

 

キリスト教徒と

イスラム教徒の間の

剣の戦いを模倣する

 

カップルまたはダンサーの

グループによるダンスで、

 

1つまたは複数のドラムで

中断されます。 

 

 

2列に並んだ

ダンサーたちは

 

顔を黒く染め、

 

武器の音を

模倣するために

 

手首と足首に

鈴をつけていました。


クラウディオ・

モンテヴェルディは、

 

オペラ「オルフェオ」

(1607年)の最後で

 

歌のバージョンを

披露しています。 

 

 

フランスでは、

ティノ・アルボーが

 

『管弦楽法』

(1589年)

 

の中で、

 

ヨーロッパ全土に

広まったダンスであると

言及しています。



モレスカの

最も良い例の 1 つは、

 

フランコ・ゼフィレッリの

 

『ロミオとジュリエット』

 (1968 年)

 

 に、見ることができます。

 

この作品では、

モレスカの登場人物の

登場シーンと

 

キャピュレット家での

ダンスの贅沢な描写が

示されています。


モレスカは今でもスペイン、

コルシカ島、グアテマラで

踊られています。 

 

振り付けの名前と

特定の特徴は、

 

英国のモリス・ダンスに

関連しています。



「モレスカ」

(モレスクの歌)

 

という用語は、

 

1550 ~ 1600年頃に

イタリアで流行した歌、

 

カーニバルを表す一種の

ヴィラネッレという、

 

関係のない形式にも

使用されています。

 

(イタリア語のモレシェは、

モレスカの複数形です)

 

その名前は、

一般的にイスラム教徒、

 

またはより狭義には

バーバリー海岸の住民

として定義されるムーア人の

 

スピーチをパロディ化した

テキストに由来します。


Giulio Cesare Barbetta

 (1540 - 1603) は、

 

『Moresca detta Bergamasca』

 

の著者です。

これには 

2つの形式があります。

 

・ソロ、宮廷舞踊として

 

・カップルやグループで、

剣や棒術のダンスとして

 


伝統的なダンスとして、

時に形は異なりますが、

 

同様の特徴を持ち、

マケドニアからコルチュラ島

(クロアチア語で「モレシュカ」)、

 

イタリア、ドイツを経て

イギリスに至るまで見られます。


モリスコ 

 

(スペイン語のモリスコ、

 

文字通り

「小さなムーア人」に由来)

 

・・・ は、

 

1502年の改宗令に従って

自発的にまたは強制的に

カトリックに改宗した

 

スペインの

イスラム教徒でした。

 

 

(フランス語版ウィキより)

 

 

*******

 

 

このページには、例の、

 

エラスムス・グラッサーの

「モレスカ・ダンサー」の

彫像の写真がありました。

 

 

 

 

それでなんとなく

分かったのですが。

 

 

宮廷道化師についての

ウィキのページに載っていた、

 

 

「ミュンヘンの旧市庁舎にある

ドイツの道化師像」

 

 

 

 

・・・というのは

おそらく。

 

 

1480年に、

エラスムス・グラッサーが

 

バイエルン公の

アルブレヒト四世に届け、

 

現在では、

ミュンヘン市立博物館の

コレクションとなっている、

 

16体のモレスカ・ダンサー。

 

・・・のうちの

ひとつの像のコピー。

 

・・・ということ

なのでしょうね。

 

 

・・・ということはこれは。

 

「宮廷道化師」

 

・・・ではなくて、

 

「モレスカ・ダンサー」

 

・・・の彫像で。

 

 

だとするとやはり。

 

モレスカ・ダンサーは、

宮廷道化師とはまた、

別物。

 

・・・だと考えるほうが

正解な気がしました。

 

 

ただ。

 

モレスカ・ダンサーも、

道化師も。

 

「滑稽」

 

・・・という部分で、

共通していたと思うので。

 

 

「動き方」というか、

「踊り方」で言うならば。

 

バレエの「道化師」の

ダンスの中に。

 

モレスカの面影が

あったりはするのかも

しれませんが。

 

そのあたりは、

確認のしようがなくぐすん

 

ただの勘。

 

・・・でしかありませんにやり

 

 

ちなみに。

 

エラスムス・グラッサーの

モレスカ・ダンサーの彫像は。

 

英語版のウィキで

色々見ることが出来ました。

 

 

 

 

 

 

フランス語版ウィキの

モレスカのページには。

 

モレスカは、

 

中世後期の

パントマイム・ダンス

 

・・・だと

書かれていましたが。

 

 

のちに、

宮廷の祝祭などで

頻繁に踊られたモレスカは。

 

そこで余興として

上演される劇の、

 

その「幕間」に

踊られることが

多かったようです。

 

 

ただこのあたりについて

詳しく見ていくのは。

 

もう少し、

あとにしようと思いますおやすみ

 

 

 

Moresca