『Old Man 』

ギルバート・ウィリアムズ

(1986年)

 

 

 

***2019年10月8日の日記***

 

 

アトランティスに関する

流れと同時に起こっていた

もうひとつの流れは。

 

「マスター」に

関することでした。

 

 

『ラストバリア』や

『星の巡礼』という

小説を読んだ時。

 

マスターとは?

 

・・・という疑問が

浮かんできました。

 

 

するとそのタイミングで

フォーラムに、

 

「私はマスターです」

という人が現れて。

 

私はなんだかあの時も、

そこに「流れ」を感じ。

 

その人に、

あれやこれやと疑問を

ぶつけたりしましたが。

 

 

あれ以来ずっと、

私の中では。

 

 

「一体何をもってして

マスターと呼ぶのか?」

 

 

・・・みたいなことが、

考えるテーマのひとつに

なっていたりしました。

 

 

なので当時は。

 

ブログでもよく、

そういったことを

書いていたものです。

 

 

 

 

 

 

 

 

「一体何をもってして

マスターと呼ぶのか?」

 

 

・・・という疑問に関しては、

この頃はまだまだ。

 

ハッキリとした答えは

出ていませんでした。

 

 

けれども。

 

マスターの弟子に対する

思いはきっと、

 

「親心」に近いのだろうな。

 

・・・と。

 

そんなことに

気づいたあの頃。

 

 

子育ての方針というものも、

家庭によっていろいろで

あるように。

 

マスターが弟子を

どう育てていくのか。

 

・・・というのもまた、

様々なのだろう。

 

・・・と。

 

 

ケン・ウィルバーは。

 

マスターとなったあとも、

そこには人としての

「個性」は残る。

 

・・・と言っていましたが。

 

私も、

そう思いました。

 

 

*******

 

 

昔は。

 

悟る。ということは、

完全に「すべてである私」に

戻ってしまう事。

 

人間をやめてしまうこと。

 

・・・だと思っていました。

 

 

だから。

 

生きている間に、

悟りを目指すなんてことは。

 

もったいないことだと。

 

ずっと、

そう思っていました。

 

 

せっかくこうして、

人間でいられる貴重な今。

 

・・・という時間を。

 

なぜわざわざ、

消えることを目指すことに

使わなければいけないの

だろうと。

 

 

19歳であの体験をして以来。

 

私は長い間ずっと、

そう思ってきました。

 

 

けれども、

ブログでマスターのことを

あれこれ書いていたこの頃は、

 

その考えは、

変わっていました。

 

 

フォーラムの彼と出会い、

彼の話を聞くことにより。

 

「悟り」というものの

定義が。

 

自分の中で少し、

変わったからです。

 

 

悟る。ということは。

 

「戻ること」ではなく、

「知ること」

 

もしくは、

「思い出すこと」

 

・・・なのだと。

 

 

そして。

 

私達は人間である限り。

 

人間であることを

完全に捨て去ることは、

 

絶対に無理なのだと。

 

そういうことを。

 

あの頃はもう既に、

理解していました。

 

 

個である自分。

 

人間である自分が

消え去って。

 

自分は本当は、

 

「すべてである私」

 

・・・であった。

 

・・・という

記憶というか感覚が

戻るのは。

 

つまり「もと」に戻った

状態になるのは。

 

ほんの一瞬。

 

 

その「もとの私」を人間は、

 

神だなんだと、

いろいろ名づけて。

 

ややこしくしてますがにやり

 

 

その一瞬の、

記憶の回復。

 

その一瞬で得た

「すべてである私」の感覚を、

深いところで保ちながら。

 

私達はここで。

 

「個としての私」という

強烈な感覚を持ったまま。

 

「人間」として生きていく。

 

 

ここを現実だと感じる

「人間」としての意識。

 

 

その幻想を見抜きながらも、

まだ「個」の感覚を保っている

「魂」としての意識。

 

 

すべてが自分自身であり、

すべては、自分が生み出す

幻想だとしか感じられない

「神」としての意識。

 

 

その、

どの意識も同時に保ちながら。

 

多次元的な感覚で

生きていくこと。

 

 

それが、

悟ることなのだと。

 

 

今の私は、

思っていますおやすみ

 

 

 

悟っても私たちは、

思考や感情や肉体を持った

人間のままで。

 

「個という私」

というこの「感覚」自体が。

 

このゲームなのだと。

 

 

だから。

 

人間である限りは。

 

・・・というか、

源に溶け去っていくまでは。

 

この「個の感覚」は

決して消えないし。

 

それでいいのだと。

 

思いますおやすみ

 

 

そして。

 

こういう着地点で

良しとしている、

この考え方。

 

 

これこそが。

 

私の「個性」

 

・・・ですおやすみ

 

 

つづく

 

 

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