街を歩けば、私の歩き方変わっているのに気付く人と気づかない人と。。
けど大人になるに連れ、周りの友達もそうだけど、身体も大きくなる分、足に体重がかかって歩き方がどうしても小さい頃より悪くなる傾向が。。
私の歩き方はパッと誰からでもすぐわかる気付かれ方ではないけど、それでも、もう今では見られますね。ジロジロ。。。
視線めちゃめちゃ感じてるし、そんな時ってどうしたらいいか、生まれてこのかたこの歩き方と付き合ってる癖に未だにわからない。


‘なに見てんだよ
’って感じで逆に睨めてやればいいのか、
サーッと立ち去るのが無難なのか、
逆に開き直って‘ん
なに
’って感じでその人の顔見るくらい堂々としてればいいのか。。。
視線ってガラスみたいに刺さるように痛いけれど
私はあなたに何も悪いことはしていない。
今日は買いたいものを買いに街歩いてるの
これから久々に行きつけの美容室行くの
デート中なの

家族と買い物来てるの
そう……。
至って当たり前のことでしょう
皆が普通にする当たり前のこと。。
ジロジロ見るのは歩き方変だからってのもあるけど、障害のある人と普段全く関わりが無いからジロジロ見るの。。
例えば、自分が今まで見た事もない得体も知れないものと遭遇した時って、人って‘これ、なんだろ~(?_?)’ってマジマジと眺めるよね?まずは。。
それとおんなじだって私は思う。
なぜマジマジと眺める?
普段その人の生きてきた中で障害のある人と関わってきたことが無かったから、その人にとっては‘得体の知れない’ものだからマジマジと見るの。
それを証明するように、学校にあがる前の小さな子供はとても反応が正直です。


あからさまに見ているし、私の前を通り過ぎていっても振り返ってまで,まだずーっとこっち見てますから


だから
そのジロジロ目線,マジマジ目線を打破するには、やっぱ街出なきゃ
って私は思う。

って私は思う。見てもらうんだよ
知ってもらうんだよ
こういう歩き方する人もいます、私はこういう者です
って

てか、見せるんだよ
そいつらに歩き方を
(笑)

(笑)視線は相変わらず硝子みたいにグサグサ刺さってくるように痛いけど、それでもそれに負けちゃダメ



だって
これが私だもん
だって
それも込みで私なんだもん
(`∇´ゞ
ハンディあるかも分かんないけど、親から産んでもらった身体だもん
見た目デブでブスだけど、鏡に映る自分そんなに嫌いじゃないし(笑)
↑それはともかく(笑)
自分の脚を卑下したくない。
今まで出逢ってきた人達は私がこういう風に産まれてきたからこそ出逢えた人達だもん
だから
自分や産んでくれた親の為にも
障害のある人と関わってきたことが無い人達、ジロジロ見る人達の為にも
私は
視線に負けない
障害を持っている人達、みんな街に出て普通に楽しもうよ
そうやったほうが、本当に障害を持っている人達の使いやすい住みやすい街作りに貢献できるはず

スロープでも車椅子用トイレでも、取りつけるのは実際それを使わない健常者。
だからたまに変なとこにスロープ付いてたり、
車椅子用トイレに至っては、
トイレは広さをだだっ広く確保してても、トイレのある場所自体がすごい奥まったとこに作られてて、行き着くまでのストロークがめちゃめちゃ幅が狭かったりでさ、
私は車椅子ユーザーでは無いけど、車椅子の友達はみんなそれについてすごい不満なのをいつも聞いてます。
私から見てもあれじゃあ不便だなっての分かります。
あんな作りは本当に車椅子ユーザーのことを考えた作りじゃない


健常者の人の,建物設計した人の‘いい事したげたジコマン’に他ならない
ま、だからほら

それもその設計した人や建物の管理人さんだったりが要は身近に車椅子の人がいないから、よくわかんない ってのが,あるからな訳。。
だからやっぱり実際障害のある人達がどんどん街に出なきゃ始まんないってこと

実際それを使うユーザーの声が生かされて初めて住みやすい,買い物しやすい街になるんだから
読んで下さった方、ありがとうございました
m(_ _)m
m(_ _)m最後に追伸

文中、分かりやすいように‘障害を持っている人’‘健常者’と言葉を使いましたが、基本 私はこの2つの言葉大ッキライで普段は使いません。
‘障害’は別に‘障害’でも何でもないし、‘健常者’って言葉も嫌いです。
私の高校の時の先生が‘健常者’って黒板に殴り書きして言いました。
「常に健康?ふざけんじゃねぇー
」

」‘生きてれば頭痛い日もダルい日も風邪引く日も色々ある。常に健康なんて嘘だ
’って。
’って。確かにそうだなぁって思った私なのでした




