葬儀までの長い話を読んでいただきありがとうございました。
兄の訃報を聞いてからの数日間の私の過ごした時間の話です。
実家の住所をGoogleマップに入力すると、2010年から数年おきに、Googleで更新する実家周辺の写真が見れるのです。更新すると上書きされるんじゃなくて、何年何月って感じでその時の実家の庭が見れるのです。
そして母が亡くなった2022年の11月に兄が実家の玄関前で歩いてる後ろ姿を見つけました。
お兄ちゃんは、いつも黒のトレーナーを着てました。棺にも黒のトレーナーを入れてたくらいです。娘にGoogleマップの事を教えると、同じく住所入力して見てくれて《本当だ、どこから見てもお兄ちゃん!!って感じの後ろ姿だね。》
と共感してくれました。
遡る事、2010年の写真には、当時父が竿に干した洗濯物(バスタオルの端っこがグシャってなってるからわかる笑)
角ハンガーに母が干した洗濯物が映り込んでました。両親の生活の足跡のようなものがわかる一コマです。
もうね、そのマップを繰り返し繰り返し見てました。
もう私は行かなくなった実家が目の前に出てきて、懐かしくて懐かしくて、泣きながら見てました。
兄を偲ぶという事は、両親を思い出す事と繋がってるんだなぁと思いました。
そして一昨日の夜、両親が夢に出てきてて、それこそこの洗濯物を自分で干していた時のまだ生活を自分で営んでいた頃の両親、台所の使い方で私が父に意見したり、母が父にビシッと言ったり、夢の中の父はやはり言われっぱなしでした(笑)
心の中は私だけのもので、まだまだたくさん思い出してます。
それでも生きてる私は、日常を過ごして行かなければいけませんね。
まだたまにマップ見ちゃうけど、それで落ち着くんだから良いかなって思います。