「全ては愛の中のことだった」を前提に、自分史を書いています。

 

(自己満足で、半生を振り返ってつらつらと書いていますので、

ご興味ある方だけお付き合いくださいね(^-^)

初めから読んでくださる方はこちらです。→自分史(序章)

 

 

場面緘黙に苦しめられた学校生活の中で

印象的だった出来事があります。

 

それは、4年生の図工の時間のことでした。

彫刻刀で版画を作る授業でしたが、

私は誤って自分の親指を深く切ってしまったのです。

 

急いでティッシュで指を押さえても血は止まらないどころか

床にポタリポタリと血が滴り落ちてしまいます。

困った私は、先生になんとか伝えたいのに

どうしても声が出ません。

そこで、私は今でもよく覚えていますが、

こっそりと後ろの戸口から教室を抜け出して

保健室に向かったのです。

おそらく保健室からの連絡で、担任の先生は事情を知られたのでしょう。

教室に戻ると、鬼のような形相の先生が待っていました。

先生は私を教卓の所に呼び、大きな声で叱咤しました。

「どうして言わないの!

あなたは私の顔に泥を塗ったのよ。

大体、あなたのお母さんはしっかりとした人なのに、

どうしてあなたは必要なことも話せない、そんななんでしょうね。」

 

日頃、母親から怒られることに慣れている私は

先生の顔を眺めながら

怒っている目が母親と似ているな...なんて思いながらぼんやりしていましたが、

「お母さんはしっかりとした人なのに、どうしてあなたは...」

という言葉を聞いたときに、不意に心の奥深くにその言葉が突き刺さるように感じ、

胸がズキンと痛みました。

 

「そうか...。やはりお母さんはしっかりとした人で、お母さんが正解なのだ。

先生がそう言うくらいだ。

ということは、私が間違っている。私の存在が間違っているんだな。」

日頃、なぜ私はこんなにも一見理不尽にも思える仕打ちを

母から受けているのだろうとどこかで思っていたけれど、

それは私が悪いからなのだと、改めてこの時深く心に刻まれたのです。

 

それは、息が詰まるような苦しさでした。

どこにも逃げ場がない、言い訳ができない、

自分の存在自体が間違っている、

じゃあどうすれば...。

そんな苦しさだったように思います。

 

担任の先生は、母親に事の次第を電話で連絡したようで、

その夜も、「恥をかかされた」と

数時間に及ぶ説教や暴力が為されました。

 

不思議ですが、その時のことに気持ちを巡らすと

すぐにでもその部屋の様子、傍にあったもの、

ズキズキとする親指の痛み、

いつ終わるのだろうという重い心の内に

あっという間に入ることができます。

 

どんな体験も過去も、ただ終わったことや過ぎたことではない。

いつだって意識を向けると、そのままで息づいているんですね。

 

そして、私はどんな体験も

そのまま息づいていていいのかもしれないと思うのです。

もちろん、その激しさに呑み込まれていいということではありません。

ただそのままの「それ」が、

自身の内でそのまんま受容されていること。

他でもない自分自身が、そこに否定もなく、恥もなく、他の何もなく、ただそのまんまホールドしているのを感じる時、

同時に、どこか自分と自分との間のようなものが

愛や信頼の中に在ることを実感するのです。

その実感は、内側から滾々と湧き上がってきて、

尽きることはありません。

そのこと自体が、生きながら味わう最も大切なことなのかもしれません。

 

体験やそれにまつわる様々は、それに至る(気づく)モチーフに

他ならないのかもしれません。

だとしたら、そこに関わってくれ、体験を共有してくれる存在には感謝しかないのですね。

 

 

自分史⑫に続きます。