「全ては愛の中のことだった」を前提に、自分史を書いています。

 

(自己満足で、半生を振り返ってつらつらと書いていますので、

ご興味ある方だけお付き合いくださいね(^-^)

初めから読んでくださる方はこちらです。→自分史(序章)

 

 

 

それは急にやって来ました。

 

小学2年生の頃だったでしょうか。

一人で下校していたあるとき、

ふとどちらの足を前に出せばいいのか分からなくなりました。

頭の中に靄がかかった感じで、うまく考えられません。

右足?左足?と考えているうちに、

足が前に出なくなってしまったのです。

 

そこは、車道の横にある歩道で

横を次々と車やバイクが通って行きます。

私はなるべく目立たないように

両手で片足ずつ太ももを持ち上げ、

ゆっくり前に出しながら歩きました。

家に着くまでの道のりが、途方もなく長く感じられ

気が遠くなりました。

 

この症状は、下校中にふっと気がつくと

起こるようになっていました。

そのうち、自分の身体のコントロールが効かないことが

少しずつ増えていったのです。

 

次に、

字を書こうとすると、急に手に力が入らなくなり、

鉛筆を握れなくなってしまうようになりました。

それも前触れなく、突然そうなるんですよね。

そして一度そういう状態になると、

手は痺れたように言うことをきかなくなり

何もできなくなってしまいます。

 

また、夜に布団で横になっていると

呼吸の仕方が分からなくなるのです。

吸って、吐いて...

というところへ、ふと意識が向いてしまうと、

次は吸うんだったっけ、それとも吐くんだったっけと混乱し、

パニックになりました。

布団の中に潜って、恐怖で泣きながら、

それでも吸って吐いてと繰り返さなければならないその無限さを感じ、

生きていること自体が拷問のように感じられるこの頃でした。

 

今思えば、こういう症状が出るときは

身体の緊張がちょっと緩むときなんですよね。

学校が終わった後の一人での下校中だったり、

一人で何かを書こうとしているときだったり、

眠りに落ちる前だったり...。

 

張り詰めていた緊張がほどけて

身体がそれまでのバランスを取ろうとしている振幅が大きすぎて

自然な調整状態を超えていたり

思考でコントロールできる範囲を超えていたりしていたのだと思います。

自分が緊張しているという状態に気づいていなくて

それがスタンダードになっているので

緊張しない状態というのが、ひとしきりカオスになるんですよね。

そして、緊張状態に戻ろうとするのです。

もちろんそういうことに思いが及ぶはずもなく、

ただただ怖かったのです。

 

だけれど、これらのことを

誰にも言えなかったんですよね。

絶対知られたらいけないと思っていたし、

知られたくなかったんですよね。

 

自分はただでさえ悪い子なのに、

こんなにもおかしいことを知られると

とても生きていけないと信じていたのだと思います。

 

隠そうとする圧に抗するかのように

症状はどんどん膨れあがり

その後、様々な様相を見せてくるようになります。

 

私自身が意識的に感知した症状のはじまりはこの頃でしたが、

幼稚園の頃には抜毛やチック、

どこまでも腕を搔き壊したり、頭を壁に打ち付けたりするようなことを

していたようです。

腕を触らないように包帯を巻かれているのが日常だったのが

当時の写真からも伺えます。

(自分では隠そうとしていても、サインは漏れ出ていて、周知のものだったんですね。)

 

何ていうのでしょうね...

人は、安全基地というのでしょうか。よりどころというのでしょうか。

そういうものを当たり前に感じられることの大切さを

この当時のことを振り返ると、まざまざと痛感します。

 

よく、下校中に竹笹を一枚手折り、

それで笹船を作って、小川や用水路に流しながら帰っていたことを思い出します。

大きな通りに出る前の所で、小川も用水路も道路の下に見えなくなるのですが

そこまで無事流れていくか、祈るような気持ちでついて行っていました。

(その後、通りに出ると、足が動かなくなるというあの症状が出てくるのですが...)

その笹船の姿に自分を重ね、どうあっても大丈夫という

安全やよりどころの確証のようなものを、求めていたのかもしれませんね。

 

それでも...

意味のない体験はないことを思います。

この強烈な体感の全容が、今の自分の中に息づいているのです。

安全基地があろうとなかろうと

よりどころがどうあろうと

だからこそ感じられたこの領域での体感は、

今、思考を超えた流れに委ねている礎となり、

深い層のようになって、私という存在を底支えしてくれているのを感じます。

 

もしかすると、人は、絶対的な安心感を魂のどこかで知っているからこそ、

安全基地もなく拠り所もないと感じられるような

この対極の体感(コントラスト)を手放しで味わえるのかもしれません。

そして、多くの人が体験は違えど、そういったコントラストを通して

唯一無二の体感を重ねている...

それが、その人それぞれの自分史なのだと思います。

 

どういう風に何を感じて生きてきたとしても

全て愛の中のこと...

まるでお釈迦様の手の上で感じてきた様々なのかもしれないと思うことがあります。

だとしたら、どんな体験もかけがえのないギフトだし、

例えもし、ギフトではないとしても、これが私なのだと深く実感できること自体が

喜びなのかもしれませんね。

 

 

自分史⑧に続きます。