「全ては愛の中のことだった」を前提に、自分史を書いています。

 

(自己満足で、半生を振り返ってつらつらと書いていますので、

ご興味ある方だけお付き合いくださいね(^-^)

初めから読んでくださる方はこちらです。→自分史(序章)

 

 

 

小学校に入学する直前に、引越しをしました。

子ども心にも、それまでよりもどこか狭くてほの暗い感じがする

団地に転居したことを感じました。

 

お気づきかもしれませんが、ここまでの自分史に

父親のことがほとんど出てきていません。

父は柔和な人でしたが、

母の言うなりで、自分をもっていないように当時は見えていました。

私がどんなに母親に酷い扱いを受けていても、

なす術もなく、所在なげに立っている姿が、私の中の父の原像です。

そういう時、本当は止めたいと思っているんだろうなっていうのが伝わってきて、

それで十分だし、

もし下手に止めようとすると、逆に厄介なことになるので、

父とはそういったことが暗黙の了解で理解し合えていて、

阿吽の呼吸で繋がっていると信じていたのです。

そして、全く変な話だけれど

私が父を守っているというような気持ちにすらなっていたのです。

 

後に、この時のことをワークしたときに、

「助けて」と求める選択肢があったことにも気づいたことがあります。

 

でももし、当時助けを求めてもどうにもならなければ、

私は、絶望したかもしれません。

絶望だけはしたくなかったんですね。

父は、私のことを助けたいけれど、

黙って見ていることが最善だと思って、あえてそうしてくれていると思う方が

遥かに楽だったのです。

 

また、当時の父は、何度か転職を重ねていたようでした。

その頃は、昭和の終身雇用制の風潮の真っ只中で

一度就いた職を離れることは、珍しいことのようでした。

父は、真面目で朴訥な人ですが、

どこか生き方に不器用なところがありました。

ただでさえ大変なのに、兄の借金を背負わざるを得ない状況にもなったり。

それに、時々車を無くしたと言って帰ってくる姿も印象的でした。

行く先で鍵をそのままにして車を離れ、盗難にあっていたようなのです。

父を通して、こうして突然驚くような事態が発生するので

なんだか危なっかしい人だなという印象が

子ども心にも感じられていました。

何よりも、父自身がそんな自分に、自信をもてずにいたのかもしれません。


父の度重なる転職は

私たちの生活に、貧困という深刻な影をもたらしていました。

母は、内職を始め、

何かの機械の部品を組み立てたり

ダルマの底に布を張ったりするという部品や資材で

狭い部屋の中が、あっという間にいっぱいになりました。

 

それでも...

そんな中で、私はピアノを習わせてもらっていたんですよね。

母の意地でもあったのかもしれません。

でも、私はそのときにはピアノにどれほど救われていたか...

先生の家で、ピアノに触れ、

新しい曲を知り、弾けるようになっていくことが、楽しくて仕方ありませんでした。

音の重なりが流れとなって、美しい音楽になることに心動かされ、

その流れを何度も何度も辿るように味わうことに、喜びを感じました。

音楽に生かされていたあの頃だったことを思います。

 

 

自分史⑨につづきます