「全ては愛の中のことだった」を前提に、自分史を書いています。
(自己満足で、半生を振り返ってつらつらと書いていますので、
ご興味ある方だけお付き合いくださいね(^-^)
初めから読んでくださる方はこちらです。→自分史(序章))
外の世界の極度の緊張の中で
私の意識は、さらに内へ内へと向かいました。
しかし、自分の心の内だけは自由で、誰にも脅かされず、どんなことも味わえる世界が広がっていました。
(今振り返れば、これはとても大切な体験だったことを思います。外側の何かがどうあっても、内側はまるで不可侵な領域が無限にあることを身をもって体験することができたからです。)
外に放り出されるとき、よく行く所がありました。
すぐ近くに、一本の樹が立っている小さな空き地のような所があったのです。
私は、その樹に登るのが好きでした。
枝なりに登っていくと、子どもの私が腰かけて足を伸ばして身体をあずられるような
ちょうどよいスペースがあり、そこは下からも見られず、だからといって高すぎることもなく、
いつまでもそうしていられることができました。
今でも、身体がどこに手を伸ばして足をかけるか鮮明に身体が覚えています。
どんなに時が経っても、身体が感覚として記憶しているものってあるのですね。
今思えば、その樹は、まるで宇宙が与えてくれていたとしか思えないような、私の身の寄せ場でした。
そしてその樹の上で、目を瞑り、色んな空想をするのが好きでした。
あるときは、理想的な優しいお母さんと過ごしている様子を思い浮かべたり。
またあるときは、知らないお姉さんがニコニコしながらやって来て、一緒に遊んでくれたりしました。
このお姉さんのことは辛い時にいつも思い浮かべて、
遊んでもらったり、抱っこしてもらったり、眠れない夜にはずっと一緒に傍にいてもらったりしたのです。
(そしてこのお姉さんは、後にイメージワーク(インナーチャイルドセラピー)
の中で、時空を超えて何度もこの頃の自分に会いに行った大人の私だったことに、ずいぶん後になって気が付くことになります。)
空想をしていると、一見辛い状況の中でも、あっという間に時間が経っていました。
しかし、年令を重ねるにつれ、母親の暴力や暴言は収まるどころかさらに強力化し、
次第に私の中で、楽しいことを思い浮かべることも難しくなっていました。
少し先の話になりますが、
小学生の頃の私は、外に出されると何をするのもめんどくさくて、そのままドアの前にうずくまり、
ドアノブの鍵穴をぼんやりと見つめて過ごすようになりました。
鍵穴から漏れ出てくる部屋の薄オレンジ色の灯りや、聞こえてくる妹の声...
それらがただ身体を素通りしていくような感覚です。
もしかしたら、そんな感覚すらなかったかもしれません。
もう、空想の世界に浸ることもなく、お姉さんのことを思い浮かべることもありませんでした。
(後に、イメージワークでこの頃の私に会いに行っても、繋がれなかったり、目が合わない時がずいぶん長くありました。)
私は自分自身に対しても心を閉じ、暗黒の時を彷徨うように生きるようになります。
自分史④につづきます